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十 ⑥

 結局広い屋敷はたった一日では全て回り切れず、すぐに夕食の時刻になってしまった。続きはまた今度にと約束し、座敷の前で秌と別れた。  中へ入れば既に夕食の支度が整っており、そこには煌隆の姿もあった。顔を合わせるなり早く来いと手を招く。隣に座れば横から肩を抱き寄せられ、どうして食事をしたものかと困っていると正面から溜め息が聞こえた。 「主上、それでは媛响様がお食事出来ませんよ」  ここでは、煌隆と響、それと将極の三人だけが食事をする。部屋の隅で黙って控えている下女に見られながの食事もやりにくい。 「そうだな、すまない。早くお前に触れたくてな、我慢出来なかった」  解放された響はもじもじと隣に正座する。将極はともかく、正面で咳き込む下女にまで見られたのは恥ずかしい。  煌隆の号令で気を取り直し、手を合わせ今日の献立を見る。焼き茄子、白和え、里芋とコンニャクの煮物…焼き魚。常世に来て初めて魚が出た。響は煌隆を見上げ魚を指す。 「煌隆、魚……オレ食べられません」 「大丈夫だ、食べてみろ」 「でも」  無理だと言う響を横目に、煌隆は自分の魚を解し響の口元に持ってくる。暫く目を泳がせ考えるも、大丈夫と繰り返す煌隆の言葉を信じ、意を決し目の前の箸をほうばる。 「どうだ、口に合うか?」 「……美味しいです」  思えばまだ小さい頃、魚を食べた時全部吐き出してしまってから一度も食べた事がなかった。やがて肉も魚も体が受け付けない事が分かってからそれらに対する興味も無くなっていた。  こんなに美味しいものだったのかと、一口食べれば次が欲しくなる。響はこの後また吐いてしまうのではないか、また苦しい思いをするのではないかといった考えを押し出し、自分の魚に箸をつける。  しかし、隣でいとも簡単に骨を取り皮から身を剥がす煌隆のように上手く出来ず、響の皿は身が散って汚くなるばかり。  四苦八苦しながら魚を解す響を見て煌隆はくすりと笑い、丁寧に解した自分の皿と入れ換えた。そんなにばらばらになった物を煌隆に食べさせる訳には行かないと断るも。 「よい、これは将極に食べさせる」  と、黙々と自分の魚を食べていた将極に押し付けてしまった。  煌隆の分の魚はすぐに用意され、響はぽつりと礼を言い食べやすく解された魚を夢中で食べた。 「でも、オレ今まで魚とか食べたらすぐに吐き出しちゃってたのに」  食事を終え、酒を飲む煌隆の膝の上で茶を啜りながら呟く。結局完食した後も何事も無く、不思議に思った。  ちなみに、酷く居心地が良いから結局胡座の膝におさまっているが、元々は煌隆が無理矢理響を膝に乗せた。 「ああ、それはお前が巫女であったからだ……お前は男であるから、この場合、巫覡(ふげき)と言うべきか」  響が聞き返すと、煌隆は言葉を探し中空に視線を泳がせたが、それもすぐにやめた。 「将極、説明を」  呼ばれた将極は体を二人に向け、呆れて息を吐く。 「相変わらず説明が苦手なのですか」 「悪いか。そんなもの、得意な者がすればよかろう」  そう言えばいつかも説明が面倒だとか腹かいていた。なんだ、単に説明が苦手なだけだったのか。  何だか可愛く思い、響はこっそり笑う。  将極が一つ咳払いをし、説明を始めた。 「現世の者は巫女と定められたその時から、一切血肉を口に出来ず、食せる物は大地の物だけとなります。媛响様の場合は主上と約束を交わし蘇生された時から。それはこちらで生まれ変わる為の体作りでございます。不浄や穢れがあってはうまく不変となれません。媛响様は巫女──巫覡となられ、婚姻まで長く時があったので禊も一度で済みました。不変となった今ならば、もう肉も魚も口に出来ます。ただし、それはこちらのものに限られます」 「へぇ……そうだったんだ。じゃあこれからは何でも気にせず食べれるんですね。楽しみだな」  微笑む響の額を煌隆が優しく撫でる。  この大きな温かい掌に撫でられると、そこから幸せが全身に広がるようで、響はその行為がとても好きだった。  お返しにとばかりに体を捻って煌隆の額に手を伸ばすも、その手を取られ甲に唇を押し当てられ顔が熱くなる。 「何が食べたい? 明日からはお前の食べたいものを作らせよう」  険しい顔でこちらを凝視する将極の視線も意に介さず煌隆は響の肩越しに酒を注ぐ。立場上普段から見られる事に慣れているのだろうが、響は全く落ち着かない。 「食べたいものかぁ……」  響は頭を捻って唸る。一般の食から遠く離れていて、かつテレビや雑誌に興味がなかった響は肉や魚でどういった料理があるのかよく知らない。考えあぐねとりあえず一番に浮かんだ物を言ってみたが。 「はんばぁぐ? 何だそれは……将極」 「某も何の事やら」  と悩まれてしまった。

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