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十一 ①

 翌日は予定を変え、女物を着ていつぞやより薄く、響からも景色が見える面紗を付けた冠を頭に響は町に下りて来ていた。隣には秌、四方を囲むように少し離れた位置にぴたりと黙ってくっついて来ている白衣の男達は、町へ下りるならと将極に無理矢理つけられた衛士達。手に槍はないが、腰には物騒な物をぶら下げしっかりと握っている。  仰々しくなるからよしてくれと頼んだが、万が一があっては大変だと一切引かなかった。それが嫌なら馬車に乗れと言うもんだから、結局衛士をぞろぞろ引き連れ町に下りて来た。  馬車なんかに乗ったらゆっくり町を見れないじゃないか。  下りて見ると意外にも人が多い。民家が建ち並び、商店街なんかもあって、賑やかなのは現世と同じだ。  ただし、感じる時代が酷く古い。  人々の着ているものは着物だし、建ち並ぶ家々は昔ながらの日本家屋で長屋やお店は映画のセットを思わせる。  朝も早いと言うのに町は活気に溢れている。長屋入口から見える共同井戸では井戸端会議が開かれており、その側ではしゃぎ回る子供達の喧騒。表通りに目を戻せば、お茶屋の女中が店先の落葉を掃いていたり。朝捕れの魚介を並べるのは漁師だろうか。脇をすり抜けて行った煙管売りを呼び止めた声に振り向けば、身形の良い初老の男性の快活な話し声。  町の人々から感じる空気は軽く楽し気で、ここが死者の魂の集まる場所だとはちょっと信じられない。  ちなみに。行く先々で皆平伏してくるもんだから、いちいちよせと言うのが面倒になってきた。屋敷に戻ったら、民衆に平伏を止めさせられないか今度は煌隆に直接聞いてみよう。 「ここは長くこちらに留まり生活の根付いた者達が住まう区画なのですよ」  のんびり歩きながら秌の説明に耳を傾ける。  町は三つの区画に分かれている。例えば常世に来て伴侶を得た者、現世で心中した魂がこちらで再会し転生を望まない者等が家庭を持ち養子を取る。そうした者達が屋敷に一番近いこの区画に移り住み、常世を当たり前として育った子供らもここでまた家庭を作った。やがて現世の存在を忘れ知らぬ者達だけが住むのがこの区画。  だから人々はここで現世と変わらない生活を営む。彼らにとって常世が現世なのだ。 「彼らの間では、媛响様のお生まれになった現世は伝説上の世界だと語られているのです」  屋敷で働く下女達もここの出身だとか。  ちなみに通貨は存在しないらしい。店があるのだから商売は成り立っているようだが、通貨が無い為儲けるという概念はないのだとか。基本的には物々交換で成り立っているらしい。 「官吏の目が届かないところで何か通貨の代わりになる物をと、こそこそやっている輩が居るようですが、大した問題ではありません。何せ常世で悪巧みをし主上のお怒りを買えば、区画から追放、もしくは地獄行きですからね。滅多な事をする者はおりません」  先程女中が掃いていたお茶屋の床机に座れば秌が茶と茶請けを頼む。女中は大慌てで店に戻り「后妃様がいらっしゃいました!」と叫ぶ声は二人に丸聞こえ。中では大騒ぎになっているようだが気にするなと秌が響の背をやんわり撫でる。 「……地獄行き?」  本当に地獄なんてものがあるのかと言外に繰り返す。秌は視線を泳がせ、ふっと息を吐く。 「この地のすぐ側、禁門の横に崖があります。その下が地獄だと言われておりますが、何せ地獄から還って来た者がおりません故、その存在も不確かなものなのです」  ただ煌隆が地獄行きの烙印を押した者は暗い穴に飲み込まれる。それが恐らくその崖下なのだろうと。行って確かめる事も出来ず、戻って来る者もないから伝承にも残ってはいない。  崖の中腹にも町があるが、そこから上がって来る者も無く、どうしたってその存在を確かめる術もない。  中腹の町と言うのは区画のうち一番位の低いもので、現世で大罪を犯した者等が住むところ。そう言う者達は得てしてその暗い空気を好み、この澄んだ地には決して上がって来ないらしい。 「そう言う者達は現世へ転生しても、結局畜生からのやり直しなのです。だからここへ還って来たところでこちらの記憶も無いのです」  地獄行き、と言う言葉を聞いて響は背中に寒いものが走った。  確かに煌隆が神だと聞いた。現世と常世の秩序を守るものだと。しかし確かに煌隆が神ならば、魂の行方を決めるのも彼の仕事なのだろう。地獄行きの烙印を、煌隆はどんな顔で、押すのだろう。  暗く影を落とした響の顔を見て、秌が我が神を庇うように昏い声で話す。 「主上も烙印を押す事が楽しい訳ではございません。ただその者の人となりを見て、ここに留まらせる事の許されない者は必ず居るのです。決して、感情のまま安易に押される訳ではありません」  その断崖の区画にさえ留まらせる事の出来ない者だけ、煌隆は烙印を押し付けるのだと言う。 「烙印を押す時の主上のお顔は、私は辛くて見る事が出来ません。宰相様も辛いと仰います」  何せ、烙印を押す行為は相手を人外だと示す行為だから、次は人には生まれ得ないと決めるものだからだと秌は言う。  常世の暗い部分をあまり響に知って欲しくないのか、秌はぼそぼそと言葉を濁す。 「……時には、主上でも誤る事もあります。ここにはありとあらゆる魂が集まります。こちらで徳を積めば次に人に生まれる事も出来ます。麓の区画には、人外の魂が多くあります。うまく網を掻い潜って主上の眼を騙すものもあり、主上は判断を誤っておしまいになります。その魂はこちらに還ってくれば必ず地獄行きですが、その魂に烙印を押す主上は……見るに耐えません」  この地は屋敷から禁門にかけてなだらかな斜面になっていて、禁門に近い区画は更に細分化されており、新旧の魂が寄り集まった混沌だと言う。  大通りの側はまだましらしいが、崖に近い地区に善くない魂を集めているため、治安は酷く悪い。だから崖の手前にはもう一つ門があり、そこを衛士ではなく、常世では殆ど用を成さない屈強な武官が固く守っている。  この地で浄化出来ない程の闇を持つ者は、純粋な魂に悪い影響しかもたらさない為遠ざけるしか無いのだと。  常世で生命は剥き出しの魂に薄く肉が包んでいるだけだから、簡単に悪いものに染まってしまうらしい。だからこそ、神の威光を恐れずわざわざ常世で悪事を働く者があれば、早々に引き離し時間を掛けて浄化しなければならない。  長く永く生きる神でさえ、見破れない程巧妙に騙す者はいつも居るのだと、悲しそうに秌は言う。 「主上の元には、官吏の判断がつかない者だけ上がります。そこで厳正な判断を強いられる立場の主上を、私共はいつも尊敬致しております。神もやはり人なのです。主上は、重なる重圧に良く耐えておられると感じます。だからこそ、媛响様のようなお方を求めたのだと私は思います」  秌の話を黙って聞いていた響は、すっかり冷めてしまった茶を啜る。  そうか、神様だからって良い事ばかりじゃないんだな。  心優しい神はいつも烙印を押す前に躊躇い、何か他に方法はないのかと心を痛めていると、秌は教えてくれた。  だから、と秌は表情をぱっと変えて響の手を包む。 「媛响様をご案内出来るのはここまでです。次の区画へは私はお連れ出来ません」  近くに見える境界門の衛士達も、響の姿を見て表情を変え、門の中央で槍を交差させとおせんぼしている。恐らく将極あたりから后妃を通すなと通達が先回りしているのだろう。響としても今の話を聞き、これ以上町を下りる気は失せていた。 「……もう少しここを散策して、屋敷に戻ります。今日は現世に行く予定だしそれに……煌隆に会いたくなったから」  ぽつりと落とした響に秌はにっこり笑い、近くでぎこちなく掃除を続けていた女中に暇を告げた。雷に打たれたように身体中を緊張させる彼女に向かって響は腰を折る。 「饅頭美味しかったです。ありがとう。えっと……何を渡せばいいのかな」 「お、お、お止め下さい! そんな勿体ねぇです、后妃様が来ていただいただけで、もう」  隣でくすくす笑う秌に助けを求めたが、秌は悪戯っぽく目を細めただけで助ける気はないらしい。 「じゃあ……その、また来ます」  声も出ない程彼女は感激したようで、中から主人と奥さんを慌てて呼び出す。揃って膝を折るものだから、平伏はよしてくれと言うと深々とお辞儀し、響が見えなくなるまで顔を上げなかった。  町でお茶をするのも一苦労だ……  屋敷に戻る道すがら、商店街を眺めながら響は今仕事をしているだろう煌隆を頭に浮かべた。 「ねぇ秌さん、煌隆の好きなものって何だろう」 「主上の? それは勿論媛响様でしょう」 「そ、そうじゃなくて! ……ほら、煌隆は仕事してるのにオレはのんびり散歩してるから、何かお土産でもと思うんですけど……」 「まぁ……! ふふふ、主上はお酒が大好物ですけれど、媛响様の選ぶものならきっと何でも喜ばれますよ」 「お酒かぁ……良く分からないな……」  言いながら、覚えのある匂いに釣られ響はふらりと酒屋に入る。ここは中国の酒を作っているらしく、瓶に詰めたてだと言う一際香りを強く放つその酒を一本貰う。味も何も分からないが、その香りは煌隆にぴったりだと思った。  ここでもお代はいらないと言われ、何だか申し訳なく思いながら店を出た。  帰り道では昼も過ぎていて、朝には閉まっていた店の多くが開き一層賑わっていた。結局あちこち覗きまわるうちに屋敷に着いた頃には空は夕方の、茜色に変わっていた。

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