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十一 ④

 響と涼が和やかに近況報告している頃、社務所では一触即発の状態にあった。  煌隆が本殿から出て、境内をぐるりと見渡し明かりの灯る社務所へ入った時、居間では茶を啜る松山老人と華が談笑していた。  即座に平服する松山老人に対し、華は訝しげに煌隆を上から下まで眺める。それに気付いた松山老人が華の頭を鷲掴みにし、無理矢理額衝かせる。 「いきなり何すんの!」 「主上の御前じゃぞ! 頭が高いわい!」  押し付けられた手を振りほどき抗議したが、怒鳴られまた頭を押さえ付けられた。煌隆はくすくす笑いを漏らし、居間に上がり座卓に肘を付いて座ると、二人に頭を上げるように言う。頭を上げた華は松山老人を睨み付けた。 「で、何故ここに若い女がおるのだ? 今夜来る女は響の母君だと聞いておったが」  いつか涼と二人で話した時と同じく、冠を取った煌隆は扇子で顔の半分を隠し華をじろじろと見る。  口を開いた華を制止し、松山老人が説明をする。響の両親は体を清める為今風呂に入っている事、華は涼が連れてきた娘で、数日前からここに通っている事。 「なんと、ここで話していたと? 全く声は聞こえなかったが」 「恐れながら、媛响様ならば主上が現世に気を取られる暇も無かったのではないかと、儂の独断にて」  確かに現世の禁門に女が来ているなど気付かない程に響に夢中になっていた。それは勿論今でもそう。こうして本殿に響と涼を二人きりにさせ松山老人と会話をしている間にも置いてきた響の事が気になって仕方がない。  華は、顎に手を添え唸る煌隆の頭の先から足の先まで見た。  床を撫でる長い長い川のような黒髪、切れ長に黒い瞳、しなやかな身のこなしは品があり美しい。顔を半分隠していてもその浮世離れした美しさは十二分に解る。華は一つ息を飲んで煌隆に訪ねた。 「大河は、どうなったの」  やっと口を開いても、僅かに眉間に皺を寄せた煌隆を見た松山老人に頭を叩かれ、質問の仕方を変えた。 「その、媛响様はどうなったん、ですか」 「……お前は? 響とどう言う関係だ」 「友人です。だから聞く権利があると思うんですけど」 「ふ……松山涼と言いお前と言い物怖じもせぬのだな。心配せずとも丁重に扱っている。現世に歪みが生じぬよう現世の官憲達を惑わし既に死した者にはしておるが、それはあくまで現世での話」  いまいち説明の意味は良くわからないが、華は響が元気にしていると言う事だけは分かりほっと息を吐く。が、どうやら廊下でそれを聞いていたらしい声が会話に割って入る。 それは悲痛な金切り声。 「元気に生きているなら、響を返して!」  勢い良く居間の戸を開いたのは雑に着た浴衣の上に厚い綿が入った半纏を肩に掛けた響の母親。父親はまだ風呂らしく、真っ青な顔をして煌隆を見たのは母親一人。  母親を見た煌隆が頭を下げたのを見てぎょっと体を竦めたのは松山老人だけ。 「……響の母君であらせられますか。お初にお目にかかり候」  扇子を置き、床に手を付き深々と頭を下げた煌隆に慌てて松山老人が近寄る。 「主上、お顔が」 「良い。母君を前にしてまで顔を隠していては無礼千万。後でどうとでもなる」  顔を上げた煌隆は手で松山老人を払い、未だ立ち尽くし血の気の引いたままの響の母親を見上げる。  母は煌隆の余りの美しさに一歩たじろいだが、そこは母の強さ、強く足を踏みしめ一人息子を黙って拐ってしまった男を冷たく見下ろす。 「母君に神名を申すのは失礼と存じ候らえば。私は人の名を煌隆と申し候。姓名は失って久しく候」  再び床に額衝き静かに声を落とした美しい声に、母も膝を折って煌隆に顔を上げて話すよう言う。しかしあくまで気丈なまま、煌隆を睨んだまま。 「……あなたが響を拐ったんですか」 「母君に了解も無く連れ去ってしまった事を申されているのならば、私に言い逃げ道はございませぬ」 「どうして……どうしていきなりそんな! 響を返して!」 「恐れながら、響を母君の元にお返しする事は出来ませぬ。今響が門を潜ればすぐに魂は蒸発し、転生する事も叶いませぬ」  いつも高い場所から威厳に満ち溢れる煌隆が低く低く話す姿に、松山老人は違和感を隠せない。まさか現世と常世を統べる神が人に頭を下げるとは。 「そんな、意味が分からない! 何なのあなたは!」 「……千年以上、常世……あの世とこの世を統治する神に候。この度響を、我が妻と迎え入れ候」 「なにそれ……そんな冗談が通じるわけないでしょう! 変な格好して騙して響を連れ去ろうたって、私は騙されないから! 何が目的なの!」 「お母様、どうか落ち着いて下され」  そんなに興奮していては話も出来ないと松山老人が母を宥めようと優しく肩に手を乗せるも、その手は乱暴に振り払われ怒りの矛先が松山老人へ向いてしまった。 「あなたも! 聞けば涼君のおじいさんだそうじゃないですか。どうしてこんな変な人を庇って誘拐の荷担をしてるんですか!」  母に鋭い目付きで睨まれた松山老人は口を開いたが、何か言い掛けてやめた。  座卓を挟んで小さくなっている華は母の剣幕を見て、これが当然の反応なのだと感じた。あっさり非現実を受け入れた自分達がまだ子供なのか、母が何も受け入れられなくなっているのか。  どちらにせよ言い訳をしない煌隆と頭から信じようとしない母では埒が明かない事は明白。松山老人も煌隆の手前強い事は言えないようで、煌隆の隣で大人しく母に怒鳴られている。  どうしたものかと縮めていた背を伸ばした華の視界に誰か入った。丁度風呂を出た父親が騒ぎを聞き付けやってきたようで、開け放したままの戸から困った顔で入ってきた。 「お母さん、そう頭ごなしに怒鳴るもんじゃない。まずはきちんと話を聞こう。本当にただ響を誘拐するのが目的だったなら僕らをこうして連れてきたりしないんじゃないかな」 「お父さんはいつもそんなのんびりした事言って……! こうしてる間に響が殺され……」  隣に座った父に反発し紡いだ言葉を、母は真っ青になって区切った。それを口に出してしまうと途端に現実になってしまうようで恐ろしい。  とうとう父にすがり付いて泣き出してしまった母の背をさすりながら、父が選手交替した。 「突然今まで大事に、大事に育ててきた息子を失って……警察に話してももう死んだと言われる。誰も何もしちゃくれない……なのに自分で出来る事は少しもない。子供が消えたと言うのに普通の生活もしなくちゃならない。響は必ずどこかで生きていると思うのが、僕らの心の支えだった」  父はたじろぐ事なく真っ直ぐに煌隆を見据え、静かに話す。しかしその柔らかい雰囲気とは裏腹に、瞳の奥は暗く、母以上の怒りと怨みが見える。  一度唇を噛み、ひゅっと息を吸い込み母と同じ事を言った。 「生きているのなら、響を返して下さい。僕らの生き甲斐なんです」 「それは、出来ませぬ」 「……理由は。金ですか」  煌隆は黙り、父を見たまま考えた。  何と説明すれば良いだろう。こんな事なら人任せにせず少しは積極的に説明というものをしていれば良かった。  現世との関わりを絶って百幾年。いくら急だったとはいえ、もう少し現代の仕組みを学んでおくべきだった。煌隆の知る時代とは程違い、常ならざるものを頑なに受け入れようとしない。  将極が居れば、うまく説明をしてくれただろうか。いや、相手は響の両親。自分が話さなくてはならない。 「響は、御子息はもう現世へ還る事の出来ぬからだになってそうろ……なりました」  響の話し方を思い出しながら、現代の言葉で煌隆は話す。 「……それは、死んだと言う意味ですか」 「否、響は不変の身と転じました」 「不変?」 「つまり、不老不死に」  父は眉間に皺を寄せ煌隆を睨む。やはり猜疑が色濃く、煌隆を信じていない。 「さっきはあなた、自分が神だと言ってましたね。今度は不老不死ですか。そんな戯れ言を信じろと? 普通は病院に行けと言われるところですよ。妻が癇癪を起こすのも当然だ。虚言を聞かせる為に僕らをわざわざこんな場所へ呼んだのですか?」 「真実をお聞かせする為に」 「とても信じられません」  煌隆は口の隙間から細く長く息を吐く。 「では、私が神だと信じていただければ私の言葉も信じますか」 「信じる事が出来れば考えましょう」

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