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十二 ③

 ぽんぽん、と控え目に襖を叩く音が聞こえたのはその直後。愛おしそうに響の髪を撫でる煌隆をちらりと見たが、耳に届いていないらしい。  後にしろと口を開けば、そろりと開いた襖の隙間から覗くのは秌。将極は無言で頷き招き入れてやる。 「あら、あら、お食事中でございますよ」  突然の陽気な声に響は現実に戻り、歯を見せて笑う秌と目が合い真っ赤になって俯く。 「またお前か! いつも間の悪い奴だ」  煌隆はひょいと離れてしまった響の体温を追うも、羞恥に顔を隠す響に拒まれてしまった。 「何だか懐かしいお話をしておいでのようでしたけれど」  秌は不機嫌そうに唸る煌隆を無視して三人にグラスを配る。 「そうだ、秌さんは何で煌隆と一緒に昇天したんですか?」  俯いていた響はぱっと顔を上げ、一番聞きやすい秌にこれ幸いに質問する。 「我儘放題の主上をお諌めする者が必要でしょう?」  くすくす笑う口許を袖で隠し、悪戯っぽく目を細める。 「……煌隆、そんなに我儘だったんですか?」 「そ奴らが勝手に言っておるだけだ」  隣で小芋のぬたを口に放り込む煌隆を見上げれば、拗ねてそっぽを向いている。神様のくせに人間臭いその仕草が、何だか可愛らしく思えた。 「何て、冗談ですよ。あの頃はいつも三人一緒でしたから、当然の選択だったのです」  秌は将極をちらりと見て微笑んでから、煌隆の前に座り先程配ったグラスに琥珀色の液体を注ぐ。途端金木犀の香りが部屋中に広がる。 「これは?」 「媛响様が主上にと、町でお選びになったお土産にございます。中国のお酒だそうですよ」  言いながら秌は響のグラスにもそれを注ぐ。目が合えば、歯を見せて笑っている。 「何と、良い香りだ。先程馬車で言っていた土産か」 「お酒の事なんて全然分からないけど、この香りが煌隆にぴったりかなと思って」  鼻の下でグラスを回し、香りを楽しむ煌隆を見上げる。一口含めば、味も口に合ったようで満足気に微笑み響の額を撫でる。 「私が金木犀が好きだと、良く分かったな」 「そりゃ、煌隆から金木犀の匂いがぷんぷんするから」 「ん……そうか?」  将極と秌を見れば、二人は顔を合わせて苦笑し、こくりと頷く。 「母の仕業だな」 「お母さん?」 「そうだ。母は死して暫くこの屋敷で過ごしていたが、こちらで初めて目にした金木犀を母も大層気に入ってな。こちらで二度目の死を迎えた時、転生を望まなかった母は指輪と、言葉を遺したのだ。ずっと私を、傍らで見守っていると」  煌隆にまとわりつく金木犀の香り、それが母そのものなのだろうと、煌隆は柔らかく表情を緩ませ空虚を見詰める。最早魂の欠片さえも存在しないのに、目を細めればそこに母が笑っているような気がして、温かなものが心に広がる。 「転生を望まなかったって……」 「私が輪廻を絶ち切った。母の魂は最早再生も転生もしない」 「そんな、どうして」 「私を残し、幾度も生まれ変わりたくないと、幾度か産まれ変わり……父と、再会したくないと、そう何度も言った」 「そうなんだ……煌隆はそれで良かったんですか?」 「初めて母が子に頼んだ願いを叶えてやれずにどうする」  煌隆の口には母親の事はよく出てくるが、父親は全く出てこない。今も、煌隆の口から出た「父」と言う単語も、言い淀んで喉を鳴らした後だった。  話の邪魔をせず静かに佇む将極と秌を見ても、二人の表情からは何も窺えない。  触れずにおくか迷ったが、土産の酒を舐めて煌隆は静かに言った。 「……父は、今頃私も把握出来ぬ畜生に成り下がっておるよ」  響は何も言う事が出来ず、ただ煌隆の手を握った。  その手を煌隆は強く握り返し、空いたグラスを秌に突き出す。 「さぁ、湿っぽい話は終わりだ。秌、今夜はお前もここで一杯やれ」 「あら、よろしいので? 一杯と言わず二杯でも三杯でも飲みますよ?」 「良い。折角の響の土産だ、皆で楽しくやろう」  すぐに秌の分の肴が用意され、夜も遅くまで飲み明かした。  ちなみに、結局響はグラスに一度も口をつけず、お茶を貰って煌隆の膝の上で過ごした。

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