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フレデリックがゆっくりと手を離しても、辰巳の手が止まる事はなかった。羞恥に顔を染めながらも快楽を求めて自ら手淫に耽る様がいやらしい。辰巳が息を詰める度に引き締まる腹筋をうっとりと眺め下ろす。
熱くなった蟀谷に張り付いた黒く艶やかな髪を、長い指先が掻き上げた。
「ねえ辰巳? ちゃんと反省してる?」
「んっ…ぁっ、ぅ…」
「反省してますって…ちゃんと言えたらご褒美に後ろに指を入れてあげる。…それとも自分で後ろを弄ってみるかい?」
意地悪く唆すフレデリックの言葉に、辰巳の手が僅かに揺らぐ。きつく閉じていた双眸が開いて、黒い瞳が姿を覗かせた。その目には、はっきりとした意思が宿っている。
「悪かったとは…思ってる…が、それとこれとは別だろぅが。っはやく…寄越せこの馬鹿」
「まったくキミって男は…素直で参るね」
「っるせぇんだよ…人の手煩わせやがって…」
「気持ち良かったくせに」
クスクスと笑いながら、フレデリックが辰巳の中心を口に含む。同時に長い指先を辰巳自身の透明な蜜に濡れた奥の蕾へと潜り込ませた。
「んっ…ばぁか…あッ、こっちのが…んっ、気持ち良…ッ、だよ…阿呆ッ」
悦楽に塗れながらも毒づく辰巳の声がフレデリックの耳に流れ込む。本当に素直で可愛い男だと、そう思う。結局甘やかしてしまったと苦笑を漏らし、だが羞恥に顔を染める辰巳が見れたからと満足するフレデリックである。
口腔に吐き出される熱を飲み込む度にフレデリックは喉を鳴らす。辰巳のすべては自分のものだ。
フレデリックはいつもこうして怒りを発散させる。大抵は、気持ち良さそうな辰巳の顔を見ていると、いつの間にか怒りなど忘れてしまうのだが。というよりも我を忘れると言うべきか。
たまに本気で辰巳を閉じ込めて自分のものにしてしまいたいくらいだ。今度数日くらい鎖に繋いで部屋から出さないのもいいかもしれないなどとそんな事をフレデリックが考えていれば、不機嫌そうな辰巳の声が聞こえてきた。
「おいフレッド…てめぇはいったい俺に何をさせてぇんだ? ああ?」
「お仕置き…のつもりだったんだけど…、ちょっと失敗しちゃったかな?」
「中途半端に引き戻しやがってこのタコ」
苦々し気に不満を漏らす辰巳に、フレデリックは思わず笑ってしまう。お詫びという訳でもなかったが、フレデリックはコーヒーと一緒に運んできた煙草を点けて辰巳に差し出した。旨そうに煙を吹き上げる辰巳の胸に頭を乗せる。
「あんなところで素に戻ると思わなかったなぁ…」
「阿呆か。言っとくがこれでも悪ぃとは思ってんだよ。どっかの馬鹿がなんでも手前のせいにしやがるからな」
「辰巳は僕が守ろうとすると怒るから困るんじゃないか」
「はぁん? お前が過保護過ぎっからだろぅが」
「だって信用して遊ばせておくとすぐこうして怪我をして帰ってくるんだ…」
「うるせぇな放っとけ」
子供のようにふいっと顔を背けてしまう辰巳に、フレデリックがクスクスと笑う。辰巳はいい意味でも悪い意味でも、好奇心が旺盛である。フレデリックのすべてを知りたいと、そう言われるのは吝かではないが、あまり深入りはさせたくないと言うのが正直なところだった。
辰巳を信用していない訳ではないが、やはり優しすぎるし、考えが甘いのだ。不用意に近付いてはこうして傷を負ってこられては、フレデリックの心臓がいくつあっても足りない。
そんな事を考えていれば不意にバルコニーの芋虫を思い出したフレデリックである。勝手に息絶える前に、どうにかしなければならない。せっかく手間をかけて運んできたのだ、役に立ってから魚の餌になってもらわねば困るのである。
ベッドサイドのテーブルから携帯を取り上げて、クリストファーを呼び出す。クリストファーは、数コールの後に電話を取った。
「やあクリス、王子様とは仲良くしてるかな?」
『おかげさまでな』
クリストファーの返事に、フレデリックはにこりと微笑んだ。電話の相手に見えるかどうかなどは関係がない。望み通りの答えが返ってきた。それだけで満足だった。
「キミもマイクも今日は休暇だろう? 昼食をどうかな」
『断る権利は?』
「そんなものがあった例があったかな?」
わかったと、そう返事をしてクリストファーは電話を切った。フレデリックが電話をしている間に立ち上がった辰巳は、いつの間にかソファに座っている。
「辰巳、コーヒーのおかわりは?」
「いる」
コーヒーを淹れ、四人分の食事をオーダーして隣に座るフレデリックを辰巳は見た。
「マイクの覚悟を確かめるって、お前何する気でいんだ」
「ショーを、見せてあげようかと思って」
「悪趣味だな」
「マイクも可愛いけれど、やっぱり僕はクリスが可愛いんだよ。それに…彼らはきっと、父上の怒りを買う」
困ったように微笑むフレデリックの表情の意味は、辰巳にも理解できた。
クリストファーは、フレデリックがこの船を降りた後、フランスに戻る事になっている。それをあの二人が受け入れられるとは思えない。というより、一緒にこの船に残ろうと思うのが当然だろうと、そう辰巳は思うのだ。
しかしそれは、必ずアドルフの不興を買う。
「だが、そりゃあある意味俺らの我儘でもあっからな。どうにかしてやりゃあいいんじゃねぇのか」
「そう簡単にあの父上が納得すると思うかい?」
「まあ、しねぇだろうな」
しかし手を貸すその前に、マイケルの覚悟がどれ程のものであるかを知っておかなければならないと思うフレデリックである。
「愛した人に罵られる事ほど、悲しいものはないだろう?」
「そうだな」
わしわしと辰巳に頭を撫でられながら、自分も随分と人が変わったものだと思うフレデリックだ。夫婦は長く連れ添うと似てくると言うが、辰巳に似るのなら文句などあろう筈がない。辰巳は、フレデリックが興味を持ったただひとりの男なのだから。
辰巳とフレデリックは、船室に設えられたバルコニーから二人で海を眺めていた。しかし彼らは何も、好き好んでこんな場所に居るのではなかった。理由は、部屋の中でクリストファーとマイケルがいちゃついているからだ。
自分たちがいちゃつくのを見られるのは気にしないが、男同士が抱き合う様など見たくない辰巳とフレデリックである。
お前の隣にいるのは人殺しなのだと、そう言った辰巳の言葉に、マイケルはそれでもクリストファーを愛していると答えた。そして最後まで逃げなかったのである。
フレデリックが覚悟を試すと言ったその通り、バルコニーに転がされていた芋虫はクリストファーの手によって頭を撃ち抜かれた。マイケルの目の前で。
バルコニーに転がっていた芋虫は、予想通り辰巳から見ても無残というに相応しい姿をしていた。腕を一か所斬りつけただけで、まさかここまでの仕打ちを受けるとは芋虫本人も思ってもみなかっただろう。
目にした途端、マイケルが口許を押さえて顔を背けるのは致し方がない事だと思う辰巳だ。辰巳とて、ただの死体ならまだしも拷問にも近いような仕打ちを受けた人間など好んで見たいとは思わない。
それでもフレデリックがマイケルの目の前に死にかけの人間を転がし、恋人であるクリストファーにとどめを刺させたのは、確かにマイケルの覚悟を試すのには効率的だと辰巳は思う。
愛した人に罵られるのは辛いと、そう言ったフレデリックは、愛するものを守るために他人を犠牲にする事を厭わない。クリストファーもまた同じなのだと、マイケルに教えておきたかったのだろう。それは、辰巳にしても同じ事だった。
辰巳やフレデリックは、その事をしっかりと理解している。フレデリックに身の危険があれば、辰巳は容赦なく相手を殺すだろう。それでも、フレデリックがそれを罵るような事はない。だが、マイケルは違う。辰巳とも、フレデリックやクリストファーとも違う世界にマイケルは生きている。
フレデリックは、いざクリストファーがマイケルを守って相手を殺してしまった時に、人殺しと罵られるような悲しい事態には陥って欲しくないのだ。
「あんな泣かせちまって…意地の悪ぃ兄貴だなお前は」
「逃げなかった以上慰めるのはクリスの仕事だよ」
「で? お前は納得できたのかよ?」
「納得するしかないんじゃないかな。あんなにボロボロ泣きながらも我慢してるのは、クリスのためだろうしね」
煙草を取り出す辰巳に、フレデリックは僕も吸いたいと一本せがんだ。ふたりの吐き出す紫煙は、海風に乗ってすぐに消えていく。
「アドルフの親父は…どう出てくっかな」
「僕は、十八年前と同じだと思う」
「マイクが居なければ…か。お前の事を攫っておいて言うのも何だが、まあアドルフも可哀相だよな。せっかく育てた息子が二人とも男に走るたぁな」
そう言って愉しそうに嗤う辰巳を、フレデリックは呆れたように見た。
「まったくだよ。でもね、僕はそうでもないと思っているよ? マイクだからこそ、母上のように家庭に入ってクリスを支える事もできる。それは何も、今すぐの事ではないからね」
「はぁん? お前はそれでいいのかよ?」
「辰巳が家庭に入るなんて考えられないだろう? それに、キミは跡取りだ。僕は、辰巳の家に嫁ぐのも悪くないと思っているよ」
フレデリックは辰巳と離れるつもりなど毛頭なかった。アドルフの跡を継げば、すなわちそれはフランスに戻る事を意味する。そんなのはまっぴら御免だった。辰巳が跡取りである以上、日本に移住する以外の選択肢などフレデリックにはないのである。
そう思えばむしろ、マフィアでもなんでもないマイケルがクリストファーとくっついてくれるのなら万々歳だと思うフレデリックだ。
「んじゃまあ、俺らのためにまたアドルフには泣いてもらうしかねぇな」
「そうだねぇ。どうせまだ引退する気もないだろうし、父上にはもう少し頑張ってもらおうかな」
そう言って顔を見合わせ、辰巳とフレデリックは額をくっつけて笑い合っていると、窓の開く気配がした。辰巳とフレデリックが同時にそちらを見る。そこには随分と泣き腫らした目をしているマイケルと、その腰を抱いたクリストファーがいた。
ようやく潮風から解放された辰巳とフレデリックは、リビングに足を踏み入れた。辰巳とともにソファに座って待つよう二人の弟たちにも促してキッチンに入ったフレデリックは、アイスティーを四人分乗せたトレーを持ってリビングへと戻る。
フレデリックが戻ってみれば、いくら大きめとはいえ一人掛けのソファの肘掛けに行儀悪く座り、マイケルの肩を抱いているクリストファーには呆れてしまう。
『ふたりとも…随分と見せつけてくれるものだねぇ』
愉しそうに笑いながらグラスを目の前に差し出してやれば、マイケルが僅かに顔を俯けるのが分かった。嬉しいけれど恥ずかしいといった様子が微笑ましくなってくる。
フレデリックはグラスをさっさと置いて、自分も辰巳の横に陣取った。弟たちの前で辰巳に寄り掛かるつもりはなかったのだが、一瞬寄り掛かれる右側に座ろうか迷うフレデリックである。
『怖かったかい? マイク』
『怖くないといえば嘘になるが…お前が俺に何を見せたかったのかは分かったよフレッド』
『そう。キミは真面目だから…悩むこともあると思うけどね』
マフィアは非公認の組織である。ある意味それはマイケルにとって有難い事だろう。誰もクリストファーがマフィアである事を知らないのだから。
『僕たちファミリーは存在しているけれど存在していない。キミとクリスはただの恋人同士だ、言っている意味は分かるね? マイク』
『ああ』
『もし、クリスの素性がキミから明らかになるような事があったら、僕はキミをこの手で殺さないといけなくなる。お利口なキミは、僕の手を煩わせないと信じているよ』
にっこりと微笑むフレデリックに、マイケルが僅かに躰を引くのが辰巳には分かった。その躰を受け止めて、クリストファーが呆れたように肩を竦める。
『おいフレッド、いい加減そう苛めてくれるな。お前のとこの旦那と違ってミシェルは普通の人間なんだぞ』
「俺が普通じゃねぇって言ってるように聞こえんだがなぁクリス?」
『当たり前だろう辰巳。公然と極道の看板背負って何を言ってるんだお前は』
「あー…まあ、そうだな」
『いいかお前ら、お前らがそうやって妙に脅さない限りミシェルはこれまで通りで問題はないんだ。無駄に怖がらせるな』
きっぱりと言い切る恋人を見上げるマイケルの唇が動いた瞬間、それをクリストファーの手が塞いだ。むぐむぐとくぐもって何を言っているのかは分からないが、辰巳とフレデリックはその様子に顔を見合わせた。
ともあれしっかりとマイケルを守るクリストファーの姿に安心する辰巳とフレデリックである。どうやら十八年前の呪縛は、綺麗さっぱり解き放たれたようだった。
クリストファーの腕を叩いてようやく解放されたマイケルがフレデリックを見る。
『…っは、フレッド…お前がクリスを大事にしているのは、脅されずとも重々承知しているつもりだ。お前から見れば、俺はまだまだ頼りないのかもしれないが…それでも俺はクリスを愛している。それだけは信じてくれないか』
マイケルの口から告げられる真っ直ぐな言葉は、フレデリックにはどこか辰巳と似ているような気がした。だからこそフレデリックは心配になるのだが。
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