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『頼りない? 違うね、マイク。確かに僕にとってクリスは大切な弟だ。でも、キミも大切な弟なんだよ、マイク。キミは、すべてを知った時に体術も学んでいるだろう? だからといってクリスを守ろうなんて馬鹿な考えをキミに持って欲しくないから僕は言ってるんだよ。今回のようなケースが、今後この船で起こる可能性はゼロじゃない。目の前で起きる出来事に、キミには中途半端に関わるような真似をして欲しくないんだ』
フレデリックの言葉は、もしかしたら自分にも向けられているのかもしれないと思う辰巳である。
『キミはこの船のキャプテンであって、それ以上の事をしてはいけない。キミはキミの立場から、クリスを支えられると信じてるよ。くれぐれも、無茶な考えは持たないで欲しい』
『フレッド…俺は…』
マイケルが言いかけるのを、フレデリックは口許に人差し指を立ててとどまらせた。反論したくなる気持ちは、フレデリックにも分かっている。マイケルも男なのだ。愛する人を守りたいと思うのは、当然だろう。
『今は…理解出来なくていい』
どうせマイケルはそのうち知る事になると、フレデリックはそう思っていた。クリストファーがこの船に残りたいと言い出すのは、時間の問題だ。今はまだ怪我をしているから動いていないだけだと、そう思う。
クリストファーの怪我が治れば、どうせひと悶着起こる事になるのだ。マイケルは再び現実を突き付けられることになる。その時に、フレデリックの言った意味を理解出来ればそれで良かった。
それよりも、フレデリックにとっては隣で渋い顔をしている辰巳が気にかかる。きっと、マイケルへの言葉を自分の事として捉えてしまったに違いないと思うと微笑ましい限りのフレデリックだ。
やはり我慢も出来ず、フレデリックはその身を辰巳の右側へと移した。金色の頭を辰巳の肩にもたせ掛ける。どうにも左側に寄り掛かるというのは慣れないが、怪我が治るまでは仕方がないかと諦めた。
フレデリックの行動を機に、マイケルとクリストファーは部屋へと戻っていった。見送りを済ませて再びフレデリックが頭をもたせ掛ければ、辰巳が静かに問いかける。
「あれは、俺にも言ってんのか?」
「ふふっ、やっぱり辰巳はそう思ってたんだ?」
「違うのかよ?」
渋い顔をして問い掛ける辰巳を、フレデリックはすぐ間近に見ながらクスリと笑った。
「辰巳は…僕と一緒に仕事をしたいと思うかい?」
「無理だろうな」
「うん。キミは、そうやって分かってくれるからいいんだよ。でも、マイケルは違うだろう? だから言っただけだよ。辰巳に言ってる訳じゃない。それでも、僕はまた…キミと離れたくないと我儘を言ってしまうかもしれない」
その言葉に、驚いたように目を見開く辰巳の頬にフレデリックは口付ける。
「どうせキミは…それくらいの怪我で懲りるような性格じゃないだろう? 辰巳」
「無理に首を突っ込むつもりはねぇよ」
「分かっているよ。でも、僕は我儘なんだ」
困ったように微笑むフレデリックの肩を、辰巳は抱き寄せた。
「せっかく人が大人しく引いてやってんのに無駄にすんじゃねぇよタコ」
「僕と一緒に居れて嬉しいくせに」
「ああ? お互い様だろぅが」
「うん。だから約束する。我儘を言う代わりに…僕は絶対に辰巳の命を守るよ」
怪我は我慢してねと、そう言って笑うフレデリックに辰巳は低く嗤った。辰巳は今まで、面と向かってフレデリックにこんな事を言われた事はない。まったく男前すぎるフレデリックに惚れ直してしまいそうだと、そう思う。
「うちの嫁は男前で困っちまうよ」
「辰巳を骨抜きにするためには、これくらいじゃないと駄目かと思ってね」
いつもの優し気な微笑みではない笑みを浮かべるフレデリックは、男の辰巳から見ても男らしくて恰好が良かった。
◇ ◆ ◇
フレデリックの携帯電話が鳴動したのは、辰巳の腕の傷が癒えて間もない日の事だった。
つい先日、クリストファーもディーラーの仕事に復帰した事を考えれば、まあ妥当な時期かとそう思うフレデリックである。もはや条件反射のように眉根を寄せる辰巳に苦笑を漏らして、フレデリックは通話ボタンを押した。
アンダーボス。アドルフの右腕と言ってもいい男の声は、フレデリックが嫌いなものの一つである。それでも、いくらフレデリックがアドルフの息子といえど、地位は向こうの方が上だ。あまり嫌悪感を露わにする訳にもいかないのがつらいところだった。
フランス語で交わされる遣り取りを、辰巳は理解することが出来ない。不安そうに見つめる辰巳の前で、フレデリックはアンダーボスの言葉を聞いていた。内容は、予想通りクリストファーの一件である。
幾つかの問いかけに、フレデリックは正直に答えた。その内容は、やはりマイケルに関するものだ。クリストファーが何と言ってこの船に残りたいと申し出たのかは知らない。変に隠し立てをすれば、余計な不信を買うだけの事だと分かりきっている。
フレデリックからの質問は、答えるに値しないと素気無く返された。あまりの隙のなさに舌打ちをしたくなるフレデリックである。
ただ、アンダーボスにしては珍しく、この船にアドルフが直々に乗り込むという情報をくれた。丁重に出迎えろと、そういう事だろうか。
日時を確認したフレデリックが通話を終えると、辰巳が視線で問いかけた。
「クリスの件で、父上が来るらしい」
「来るって、この船にか?」
「そう。クルーズが終わってからでは遅いからね」
ソファに座る辰巳の肩に寄り掛かると、フレデリックは長い脚を持ち上げて膝を抱えた。ぼんやりと宙を見据えて作戦を考えてみる。
「今回は…総力戦かなぁ。セキュリティースタッフ全員とまでは言わないだろうけれど」
「あー…そういやお前んトコの連中だっつってたな」
「辰巳は、父上を頼むよ。ペットが何人いるか分からないけどね」
「アドルフは、本当にマイクを狙うと思うか?」
「それ以外に考えられない」
ごそりと、辰巳がフレデリックの頭を抱えたままソファに転がった。両腕を枕代わりにする辰巳の躰の上にうつ伏せになって、フレデリックは両手を顎の下に交差させて恋人の顔を見上げる。
辰巳の顔には、恐怖も緊張も浮かんではいなかった。フレデリックが微笑むと、僅かに眉を上げる。
「父上が…妥協してくれるといいのだけどね」
「まあ、あの親父じゃあ期待はできねぇな」
そう言って面白そうに笑う辰巳の首筋に、フレデリックは手を伸ばした。指先で擽るように辰巳の喉元を辿る。
「ねえ辰巳、キミは…マイクのために父上を撃てるかい?」
「マイクの命と、アドルフの腕を秤にかけりゃあ、答えは決まってんだろ」
あっさりと答える辰巳に迷いはない。フレデリックは悲しそうにその目を伏せた。
「僕は…撃てない。例えマイクが死ぬと分かっていても…僕は父上を撃てないんだよ、辰巳」
「あんまりプレッシャー掛けんなよお前…」
自信がないと、そう言う辰巳にフレデリックは唇を噛み締める。辰巳のように、はっきりとマイケルを守ると言えない立場がフレデリックは苦しかった。
手がないわけではない。だがそれは、あまりにも自分勝手だという自覚がある。それでも、フレデリックは弟を守りたいと、そう思ったのだ。辰巳のように…。
「辰巳…我儘を…言ってもいいかい…?」
「あん?」
怪訝そうな声が聞こえても、フレデリックは顔を上げることが出来なかった。
「もし……、もしキミが守り切れないと判断した時は、マイクの盾になってくれるかい? その時は、僕が必ずキミを守ると約束するから」
「フレッドお前…」
「キミを…危険に曝さないと人ひとり守れない僕を許して欲しい」
恋人を危険な目に遭わせなければ人ひとり守る事も許されない自分の立場を、フレデリックは恨めしく思う。だが、相手がボスである以上、フレデリックには他に手がないのだ。
合わせる顔などないと、フレデリックがそう思っていれば、辰巳の大きな手が頭を撫でた。
「俺はお前みてぇに強くねぇからよ、きっとお前に親父を撃たせちまうかもしれねぇが、それでもいいならな。お前がマイクを守ってやりてぇってんなら、いくらでも盾になってやるよ」
「辰巳…」
「俺が無理して下手打つよりは、お前に守ってもらう方が確実だ」
俯く金色の頭を撫でる辰巳の大きな手は温かい。
「…ごめんね…辰巳」
「ばぁか。謝んじゃねぇよ。弟守ってやりてぇってお前の我儘をきかねぇ訳がねぇだろう」
「うん…ありがとう」
いくら体術に長けていようが、いくら射撃が得意であろうが、相手がアドルフである限りフレデリックの立場ではどうする事も出来ない。だが、ただひとつだけ、愛する人を守るというそれだけが許される事だった。
辰巳を傷付ける者を、フレデリックは許さない。相手が…誰であろうとも。
辰巳が命を賭けてマイケルを守るのならば、フレデリックもまた同じようにマイケルを守ることが出来る。
「キミが…キミでいてくれて良かった…辰巳」
「はぁん? またお前は謎かけみてぇな事言いやがって」
そう言って顔を顰める辰巳を、フレデリックは強く抱き締めた。それはもう精一杯の愛情をこめて。
「苦しいっつんだよこのタコ。ちっとは加減ってもんを知れ」
「ふふっ、辰巳が愛しすぎてつい…ね」
「お前の場合は、愛されんのも命がけじゃねぇといけねぇのか?」
「辰巳の場合は、命がけの愛じゃないと満足できないだろう?」
ごもっとも。と、そう言って嗤う辰巳の胸に、フレデリックは顔を埋める。
「僕には…キミじゃなきゃ駄目なんだよ…辰巳。僕以外の誰かを…守りたいとキミが言ってくれるから…僕も守れる」
「自分から我儘言っといて何言ってんだお前。俺が守りてぇって言わなくっても、お前は大事なもんは自分で守れるよ。昔のお前がどうだったかなんざ関係ねぇだろ。今のお前は、俺以外にも守りたい奴がちゃんと居るじゃねぇか」
「僕が辰巳以外を守りたいって言っても、嫉妬しない?」
「しねぇよ。そのぶん、愛してやる」
さらりと告げられる辰巳の言葉は、時たまにフレデリックを殺しにかかる。本当に、辰巳は甘やかすのが上手いと、そう思うフレデリックだ。甘やかしたいのに、結局は自分が甘えているのには苦笑が漏れる。
「大好きだよ辰巳」
誰かを守っては怪我をして帰ってくる辰巳に冷や冷やしながらも、フレデリックはそんな辰巳が大好きで仕方がないのだ。辰巳は、誰かのために傷付く事を厭わない。そんな辰巳をフレデリックは守りたいと思うのである。
フレデリックが生きる世界でただひとり、掟にも組織にも縛られる事なく守れる相手は、辰巳以外にないと、そう思う。
自分より大きなフレデリックを胸に乗せても、辰巳が揺るぐことはない。いつでもこうして辰巳はフレデリックのすべてを受け止めてしまうのだ。
命を賭けて我儘を叶えてくれる男などそういない。それは裏返せば、お前を信用していると、そう言われているようでフレデリックは嬉しくなってしまうのだ。
辰巳の胸の上は、とても心地が良い。
「もっと…辰巳に愛されたい」
「強欲だなお前は」
「キミが甘やかすからいけない」
「はぁん? もっと甘えてもいいんだぜ? その代わり、お前の夢が遠のくだけだ」
「それは困る」
辰巳を骨抜きにする以前に、すでにフレデリックの方が辰巳がいないと生きていけないのだからどうしようもないのだが。未だ本人はそれに気付いていなかった。
◇ ◆ ◇
『Queen of the Seas (クイーン・オブ・ザ・シーズ)』の船内にある会議室。二十人ほどが打ち合わせをするのに使われるそこに、フレデリックと辰巳は隣り合って座っていた。
コの字型に配置された机は、口の開いている方に入口がある。フレデリックと辰巳は、底辺部分、入口を入った右側に陣取っていた。向かい側には、入口側にマイケル、奥側にクリストファーがいる。
そして入口を入って正面、部屋の一番奥に、アドルフと、後ろに控えるように黒服が二人佇んでいた。
アドルフが到着したのは、つい今しがたの事だ。自家用ヘリで船上ヘと乗り付けたアドルフに、辰巳は呆れているのか感心しているのか分からない表情をしていたのがフレデリックには面白かった。
挨拶もそこそこに本題に入ったアドルフとクリストファーの遣り取りを、フレデリックと辰巳は黙って聞いている。
不意に左の黒服が動いて、フレデリックはそれを目で追った。黒服が後ろを通り過ぎようとした時、クリストファーが立ち上がって腕を捉えた。クリストファーに膝で蹴り上げられた黒服の手から、ナイフが舞う。それを掴んだのは、腰を上げたマイケルだった。
机に身を乗り出すようにして、マイケルがアドルフに食って掛かる。
『アドルフ。私は確かにクリスやフレッドのように貴方のために仕事をすることは出来ない。辰巳がフレッドを守るように、クリスの背中を守ってやる事も出来ない。だが、自分の身くらいは守れるし、貴方の奥さんのようにクリスに安らぎくらいは与えられるつもりだ。貴方はそれの何がいけないと言うんだ!』
マイケルらしいと、そう思う内容に思わず笑みが漏れた。だが、それはアドルフには通用しないだろうと思うフレデリックだ。
『ならばお前がこの船を降りてクリスの元へ来ればいい。それならば、私には何の異論もない』
案の定あっさりとアドルフに返されて、マイケルは息を呑んだ。アドルフの落ち着いた声が追い打ちをかける。
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