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「もっともっと束縛して…辰巳。僕を離さないでいてくれる?」
「ああ」
短く応える辰巳の唇に、フレデリックは短く口付けて微笑んだ。
◇ ◆ ◇
買い物に行こうと、そう突然切り出したのは辰巳だった。『Queen of the Seas (クイーン・オブ・ザ・シーズ)』が日本を離れた数日後の事である。
あの後、バルコニーから戻った辰巳とフレデリックは、一哉を連れてジムとプールで一日を過ごした。フレデリックの組んだトレーニングメニューを殆ど気力で乗り切り、もう動けないと音を上げた一哉がプールで辰巳とフレデリックの玩具にされた事は言うまでもない。それはまるで、イルカショーでイルカにつつきまわされるボールのように。
夜の出航にも関わらず世界屈指の豪華客船を見送ろうという人は相当数居た。それまでカジノで遊んでいた匡成や雪乃、一哉が見守る中、ショーアップ仕様のライティングを施された『Queen of the Seas』は、その優雅な姿を再び大海原へと向けて滑り出させたのである。
これから二か月をかけて船はサウサンプトンへと帰港する予定だ。辰巳とフレデリックは、そこから飛行機で日本へと戻るのである。それまで受験勉強をしておくようにと一哉に言いつけた辰巳がしっかりと腹を据えた事を、フレデリックも理解していた。
日本に帰った後、忙しくなるのだと思えば、残りの自由な時間も愉しまなくてはとそう思う二人だ。
辰巳がフレデリックを伴って訪れた店は、意外な事に貴金属を取り扱うジュエリーショップだった。辰巳とフレデリックの二人を、店員は奥にある別室へと案内する。どうやら辰巳が既に連絡を入れていた事に、フレデリックは驚きを隠せなかった。
「急にこんな店に連れてこられるとは思わなかったな…」
「お前、そろそろ誕生日だろ」
「僕の希望を聞いてくれるつもりでいるのかな?」
「ああ」
そう。辰巳とフレデリックは互いの誕生日がそう離れてはいない。このクルーズ中に、二人とも誕生日を迎えるのだ。
辰巳の誕生日は仕事が入ってしまったのとクリストファーの一件が重なり、挙句辰巳自身が忘れているという、フレデリックにとっては頗る残念な結果になってしまった。なので、せめてフレデリックの誕生日くらいはしっかり祝ってやろうと思う辰巳である。
希望を聞くと言いながらも、辰巳が何かをフレデリックに聞くような素振りはなかった。
コーヒーを運んできた女性スタッフと入れ替わるように、濃いブルーのジュエリートレーを持った男性店員が入ってくる。お待たせしましたと丁寧な英語と共に差し出されたトレーには、幾つかのペアリングが乗っていた。
フレデリックは驚いたように辰巳を見る。
「これって…ウエディングバンド…?」
「ああ」
「どうしよう…僕は夢の中にいるようだ…」
「阿呆か」
満面の笑みを浮かべて、トレーに乗せられた指輪をフレデリックは摘み上げる。どれもシンプルではあるが、辰巳やフレデリックの指にも華奢過ぎないデザインだ。
あれこれ店員と話しながらフレデリックが選んだのは、ブラックゴールドとプラチナのペアリングだった。捻るように細工された二本のラインの中に、目立ちすぎない大きさのダイヤモンドが並んでいるデザインだ。
サイズと刻印をオーダーしてしまうと、辰巳とフレデリックはさっさと席を立った。二人とも、用もない場所に長居をするような性格ではない。
店を出て少し歩いたところでフレデリックが辰巳の肩に腕を回す。こうしてフレデリックが肩に腕を回して歩く事も、辰巳が嫌がらなくなった事のひとつだ。最初は腕を掴んで放り投げられたフレデリックである。
「ありがとう辰巳。こんなに誕生日が待ち遠しいのは初めてだよ」
「そりゃあ良かったな」
言葉少なな辰巳の顔を、フレデリックが覗き込む。
「照れてるね?」
「当たり前だろうが。ガラじゃねぇんだよ」
ガラじゃないと言いながらも自分のためにこうして動いてくれる辰巳が、フレデリックは愛おしくて堪らない。なにせフレデリックは、フランスで一度ペアリングが欲しいと言って辰巳に断られていた。やはりガラじゃないと、そう言って。
どんな顔をして今日のために連絡を入れたのだろうかと、そんな想像をするだけで笑みが漏れるフレデリックである。
「どういう心変わりがあったんだい?」
「別に。フランスで買っちまったら何やろうかまた考えなきゃならねぇだろうが」
「それって、僕の良いように解釈してもいいのかな?」
「好きにしろ」
新たにプレゼントを考えるのが面倒ととるか。その頃から誕生日に指輪を贈ろうと考えていてくれたととるか。もちろんフレデリックが思うのは後者である。
「辰巳は本当に僕を喜ばせるのが上手いね」
「お前は欲求がすぐ顔に出っから分かりやすいだけだ阿呆」
「それは…キミの前でだけだよ」
フレデリックの仮面が分厚い事は、誰もが認めるところだ。そもそもそうでなくては『Queen of the Seas』のキャプテンなど務まらない。そのうえフレデリックは幾重にも仮面を纏うのである。
辰巳からすれば、未だに素顔なのかどうかすら疑問を感じる程に。それを一枚一枚剥いでいって、何が出てくるのかを愉しむくらいでないと、フレデリックの旦那は務まらない。
「どうだか。お前は…本音は分かっても、本心は分かんねぇよ」
「辰巳がいないと生きていけない」
「俺は時々お前が恐ろしくなる。お前に依存しきったら、飽きられんじゃねぇかと怖くなる時がある」
「ふふっ、それは…そろそろ危ないって事かな?」
さあな。と、そう短く応えて辰巳はフレデリックの腕を掴んで放り投げた。部屋は、もう目の前だ。
二度目のクルーズという事もあって、船内の施設は粗方回りつくしている二人である。行った事がない場所といえば、毎夜開催されているダンスパーティーや、アイスショー、オペラといった類の興味のないものばかりだった。
船旅でいくら時間が有り余っているといっても、興味もない場所に費やすくらいなら二人きりで部屋で過ごす時間の方が余程有意義だと思っている辰巳とフレデリックである。
むしろ会話も何もなくとも、ただ二人だけの時間が何よりも居心地が良かった。
ソファに寝そべる辰巳の上に乗って、フレデリックはその心音に耳を傾ける。この音が聞こえなくなったなら、今と同じように辰巳の上で自分も死んでやろうと、そう思っている。そうフレデリックが言えば、辰巳は顔を顰めた。
「勝手に人を殺すんじゃねぇ」
「だって辰巳が飽きられるなんて言うからじゃないか。僕は確かに十年以上キミに隠し事をしてきたから…キミに信用されないのは仕方がないけれど、今はもう何もないよ。だから僕の方こそ飽きられるんじゃないかって心配になる」
どうしたら信じてくれる? と、そう問いかけるフレデリックの声は、いつになく弱々しかった。
胸にぴったりと頬をくっつけて目を閉じたままのフレデリックの頭を辰巳の手が撫でる。例え何もなかったとしても、そこに”在る”こと自体が既に重要になっていると、辰巳が告げた事は一度もない。
フレデリックの『辰巳を骨抜きにする』という目標は、既に叶っている。ただ、辰巳はフレデリックのように素直ではないし、少しだけ気持ちが違っているのだ。
どう言えば伝わるのだろうかと、辰巳は思案した挙句に言葉を紡ぎ出す。
「何もなかろうと、何かあろうと、俺はお前を失くしたくねぇよ」
「僕がいないと生きていけない?」
「どうだろうな。なってみなきゃ分かんねぇだろそんなもん。お前の分も生きてぇって思うかもしれねぇし、抜け殻になるかもしれねぇ。だから今言えんのは、失くしたくねぇって、それだけだ」
辰巳らしい答えにフレデリックがクスリと笑う。こればかりは、試してみる訳にもいかないからどうしようもない事だった。
フレデリックが居なくなったところで、生きていく事は可能だと、辰巳はそう思う。だが、ひとりで生きる時間は、とてつもなく虚無なものだと予想はついている。
そもそも辰巳は、フレデリックのように居なくなった後の事を考えるよりも、どうしたら失くさないかを考える。その時点でフレデリックの望む言葉は出てこない。
二人ともが生きているうえで離れるという選択肢は、最初からないのだ。つまりその時点で、フレデリックの願いは叶っている。
「お前って案外馬鹿だよな」
苦笑しながら辰巳が言えば、フレデリックはその目を開いた。ゆっくりと上を向いて辰巳の顔を見る。
「僕は臆病だし、我儘だから、キミの口から望む言葉が聞きたいんだよ」
「どうせ聞いても不安になんだろ」
「そしたらまた確かめればいい」
ふっ…と、辰巳が小さく笑う。
「お前が居ないって事が考えられねぇ」
「ッ……」
「取り敢えずこれで我慢しとけ」
顔を隠すように胸に縋りついたフレデリックの金糸の髪に、武骨な指先が潜り込む。不安になると言うのなら、出来る範囲で取り除いてやればいい。辰巳は、仮面を纏わない。纏う仮面など持ち合わせてもいないのだ。
髪に潜り込ませた指先が幾分か熱くて、顔を隠したところでモロバレだろうと辰巳は思う。なんというか、こういうところがフレデリックは抜けている。
「照れてんじゃねぇよばぁか」
「うるさい…」
くぐもったフレデリックの声は呻きのようで、辰巳は喉の奥を震わせた。
「不足かよ?」
胸に顔を擦りつけるようにフレデリックが首を振る。その様子を満足気に見下ろして、辰巳は躰を起こした。僅かに朱が挿したままのフレデリックを、その手に抱えたまま立ち上がる。フレデリックの目が驚きに見開かれた。百九十センチの身長を誇る男に、誰かに抱き上げられた経験などもちろんある筈がない。
寝台の上に運び終えた頃には、フレデリックの頬は再び赤く染まっていた。珍しいその姿が辰巳には愛おしい。
「お前が可愛いよ、フレッド」
そう言って辰巳はフレデリックの熱い額に口付けを落とした。
「辰巳は狡い…」
「嫌いになったかよ?」
ニッと口角を上げる辰巳の首に、フレデリックの腕が伸びる。引き寄せられるまま辰巳はフレデリックの熱い首筋に顔を埋めた。
「なれる筈がない…。僕を…こんなに夢中にさせておいて…どうしてくれるんだ」
「責任持って嫁に貰ってやるよ」
辰巳の舌先がフレデリックの熱い肌を舐める。首筋をきつく吸い上げられて、その強さにフレデリックは僅かに眉根を寄せた。確実に鬱血しているだろうと思えば、それだけでゾクリと肌が粟立つ。
印をつけるその行為は、辰巳にとってもフレデリックにとっても新鮮なものだった。
「そこじゃ隠せないじゃないか…」
「見えなきゃ意味ねぇだろこんなもん」
「僕にこんな事をしたのはキミが初めてだよ…辰巳」
「俺がこんなもんつけたのもお前が初めてだよ阿呆」
つけたばかりの印に噛みついて辰巳が言う。どうにもそれが嬉しくて、フレデリックは戸惑った。肌を重ねる事など慣れている筈なのに、酷く照れくさい。
普段軽々しく口にするような”好き”という感情が形になって、辰巳を”男”として認識してしまったのだ。
男であるフレデリックが初めて、優しく抱かれたいとそう思った瞬間だった。
「辰巳…僕を愛してくれる…?」
「大人しく転がっとけ」
フレデリックは、辰巳に服を一枚一枚丁寧に脱がされた。合間にフレデリックがボタンを外したシャツを辰巳はあっさり脱ぎ捨ててしまうと、再び覆いかぶさるように肌を重ねる。
触れ合う素肌の熱が心地よくてフレデリックがうっとりと目を閉じれば、目蓋に口付けられた。驚いて目を見開くと、間近に愉しそうな色を浮かべた黒い瞳があった。唇が、触れ合う。
辰巳に躰中をくまなく指で辿られ、舌を這わせられてフレデリックの口から吐息が漏れた。いつもは粗暴に振る舞う事の多い辰巳のすべてが優しくて、フレデリックは嬉しくて思わず泣きそうになる。
愛してくれる? と、そう言ったフレデリックの言葉は、ちゃんと辰巳にも伝わっていた。
「っ…ぁ、気持ち良い…辰巳…」
ふっ…と辰巳が笑う気配を肌に感じるそれだけで、フレデリックは躰を震わせた。全身が過剰なほど敏感になっていて、どこもかしこも気持ちが良い。
フレデリックには、いったいどうしてこんなにもぬるい刺激だけで感じてしまうのかが分からなかった。辰巳に触れられていると思うだけで、恥ずかしくてくすぐったくて気持ちが良い。
気持ちが躰にもたらす変化は大きいという事を、フレデリックは知らなかった。
やがて前触れもなく辰巳の唇に中心を食まれて、目を閉じていたフレデリックはびくりと腰を跳ねさせた。口腔に屹立を含んだままくつくつと嗤う辰巳は、ゆっくりと舌を絡ませる。一度喉の奥まで飲み込まれ、先端を締め上げられた。ただそれだけの刺激で、フレデリックはあっさりと陥落したのである。
「ッ、――…! っぅ…あっ、……嘘だ…」
熱を吐き出し切った雄芯を口から抜き出して、辰巳がどろりと掌に白濁を垂らす。その様が生々しすぎて、フレデリックは思わず顔を背けていた。恥ずかしくて直視できない。
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