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21 味わったことのない感情
靖幸に見つめられながら、ゆっくりと自分のシャツのボタンに手を掛け外していく剛毅。途中までボタンを外し、ある程度肌が露出したところでわざと「もういい」と動きを止めさせた。
「もういい。傷、殆ど治ってるな。よかったな」
そう言うとあからさまに残念そうな顔をする。
「な……何もしないの?」
思わず口に出たのだろう。言った側から慌てて口を押さえる様が滑稽で笑いそうになってしまった。
「まだ傷があるようなら薬を塗ってやろうと思ったんだけど、もう傷も癒えてるんだ。何もすることないだろ? 何を期待しているんだ?」
おかしいのをグッと堪え、冷たい視線を送りながらそう言った。そんな自分をおどおどしながら見つめる剛毅を見て、靖幸は不思議とちょっと欲情していた。
その日は真っ直ぐに帰らずに、マスターの店に寄った。
自分の思った通りの反応を剛毅がした事がとても愉快で気分がよかった。何か新しい玩具を手に入れた……そんな高揚感なのか、今まで味わったことのない感情に靖幸は珍しく浮かれていた。
「あら、靖幸ちゃんいらっしゃい」
扉を開けるとマスターが少し驚いたような顔をして靖幸に声をかける。靖幸はいつも座るカウンターの端の席へ座った。
「最近よく来るわね。嬉しいわ。何か食べる?」
「ん……いやいい」
今日は週末だからか、早い時間でもいつもより賑わっている。マスターは靖幸の座っているカウンターの少し隣を拭きながら、靖幸の顔色を伺うようにチラチラと盗み見た。
「……なんだよ?」
そんなマスターの視線にすぐに気がつきジロッと睨むと「別に……」と含み笑いをされて少し気分が悪かった。
「じろじろ見てんなよ」
ぼそりと呟くと、マスターはクスッと笑って靖幸の前に立った。
「だって靖幸ちゃん、そんな顔して珍しいったらありゃしない。どうしたの? 何かいいことあったの?」
確かに剛毅の事があり気分が良くてここに来た。でもそれをわざわざマスターに話すつもりでこの店に来たわけではない。マスターに気持ちの悪い笑みを投げかけられるほど俺は顔に出てるのか? と、靖幸は自分でも驚いた。平静を装いつつ「いつもと変わらない」としれっと答えた。
「そういえばさっきまで剛ちゃんも来てたのよね」
なんとなしに呟いたマスターの言葉に靖幸はどきりとする。
「は? さっきまでってどう言う事だ?」
剛毅は自分が警備室を出る少し前に出て行ったはずだ。そんな時間も経っていない。
「あ……一杯呑んでる途中で出て行ったのよ。まぁよくあることよね」
マスターはどさくさに紛れて靖幸に出したナッツの皿からひとつ摘み、自分の口に放りながら喋る。
「………… 」
「あら、どうしたの? ご機嫌損ねちゃったかしら?……いいじゃない一個くらい、ケチね」
マスターは摘み食いをした事で靖幸が不満気な顔をしたのかと思い、そう言った。
「一人か? それとも誰かと一緒か?」
靖幸はどうしても剛毅の行動が気になってしまう。
「へ? 剛ちゃん?……あらぁ、どうだったかしらね。忘れちゃったわ」
ケタケタと笑い、マスターはまたナッツをひとつ摘み食いをする。
客には干渉しないと以前言っていた。勿論プライベートな事だって人に話すつもりはないのだろう。前は聞いてもいないのに剛毅と安田のことをペラペラと喋っていたくせに……と少しムッとしながら、それでも靖幸は聞いた自分が悪かったと溜息をついた。
「やっぱり何か食わせてくれ……腹が減った。悪いな、正男」
「だから! なんでまさおなのよ! どうせ名前で呼ぶならマアサにして頂戴って言ったでしょ! もうっ、意地悪なんだから!」
気分良くこの店に来たのに、一瞬にしてイライラが増し、靖幸は食べずにはいられなかった。
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