22 / 61

22 週の始まり

 週の始まり──  今日もまた、いつもと同じ朝を迎える。  まだ誰もいない薄暗い廊下を進み警備室に入る。夜間の担当と交替をして、靖幸はひとり珈琲を淹れた。  週末はマスターの店で酒を呑み、美味しいマスターの手料理を平らげてもどういうわけか苛々がおさまらずに、無愛想のまま家に帰った。  いや……苛々がおさまらなかった理由はわかっていた。剛毅は安田と一緒だったのだと考えたら苛々が募っていったんだ。自分以外の人間が剛毅を痛めつけ凌辱することが靖幸は何故だか許せなかった。 「……さて、と」  珈琲をひと口程カップに残し靖幸は立ち上がる。軽く深呼吸をし気持ちを切り替え、今日も学園内から見回りを始めた。  授業中の園内の巡回はいたって静かで平和そのもの。休み時間になれば生徒達が廊下にも溢れ、少しだけ賑やかになる。稀に元気の良い生徒から靖幸にも挨拶の声が掛かる。そういう時は作り笑顔で会釈をした。  中庭を跨ぐ渡り廊下の先に数人の生徒と立ち話をしている剛毅の姿が見える。そちらの方へは行かずに玄関から外に出るつもりの靖幸だったが、思わず剛毅の方へと足を進めた。 「まただ……」  近づくにつれ剛毅の様子がよく見えた。  あの時と同じハイネックの服を着ていて、生徒達と立ち話をしている剛毅は近付いてくる靖幸には気がつかない。口元には絆創膏を貼っていて、如何にも髭剃り負けをしましたという体で貼っているものの、本当はそうではないと靖幸にはわかってしまった。  またあの時と同じ……あの服の下はきっと傷だらけなんだ。  すれ違い様に剛毅を見るものの、話に夢中で気付かれずに、靖幸はそのまま通り過ぎた。  つまらない。面白くない。イライラする……  この日一日、靖幸はモヤモヤとした気持ちで仕事をこなした。学園内でもう一度剛毅と会うことがあったら、今度も絶対に警備室に呼び出していた事だろう。でも剛毅とは会うこともなく今日の勤務時間が終わってしまった。  靖幸はまた、帰りにマスターの店に寄った。    今日は平日──  剛毅がいる確率は低いが、まっすぐ家に帰る気にはならなかった。  店に入ると案の定剛毅の姿はなく、他の客の姿すらない。カウンターの奥でマスターがタバコの煙を薫せながら新聞を読んでいるだけだった。 「いらっしゃい」  いつもと同じにマスターは靖幸の前に立ち笑顔を向ける。「ちょっと待っててね」とひと声かけて裏へと入り、靖幸のためのメニューの準備をした。  靖幸が席に着いてから程なくして客がちらほらと入り始めた。マスターは楽しそうにあちらこちらの席で談笑をしながら、靖幸のためにこしらえた料理をさりげなく差し出した。  何種類かのキノコを使ったパスタを靖幸は頬張り、その美味しさに思わず目尻を下げると、嬉しそうなマスターがその顔を覗き込んできた。 「今日もいい顔……ふふ、美味しい?」    目の前で頬杖をつき微笑むマスターに、靖幸は素直に頷く。マスターはここのところ連日のように来店する靖幸の表情の変化に気がついていた。  靖幸が食べ終わる頃、また店の扉が開く音がした。マスターの表情がぱあっと明るくなり、靖幸の顔をチラッと見ると今しがた入ってきた客に元気に声をかけた。 「いらっしゃい! 平日なのに珍しいわね」  明るいマスターの声に靖幸も振り返ると、少し頬を赤くした剛毅がそこに立っていた。 「靖幸さん、お疲れ様です」  少しだけ白々しい感じで、剛毅は靖幸からひとつ離れた席に座る。それが靖幸には面白くなく、思わず隣のシートをバンと叩き「隣に座れ」と無言で剛毅に訴えた。 「……あ、失礼します」  遠慮気味に隣に座った剛毅を見る。ハイネックのシャツに唇に近い場所の絆創膏。さすがにマスターも気になったのか、剛毅の口元を指さし、どうしたのか問い詰めた。 「これ、今朝ぼんやりしていて剃刀でやっちゃって」  靖幸の思った通りの回答だった。でもマスターはそれ以上何かを聞くこともなく、オーダーされたウイスキーを剛毅に差し出した。 「……なんですか? 俺の顔に何か付いてます?」  靖幸にジッと見つめられ、落ち着かなくなった剛毅はおどおどしながらそう聞いた。言われて初めて、靖幸は剛毅の事をずっと見つめていたことに気がついた。

ともだちにシェアしよう!