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32 忘れて欲しい
靖幸は剛毅とのあの一件があってからというもの、何となく気まずくて学園内の巡回時もなるべく剛毅とはち合わさないよう避けるように過ごしていた。お気に入りの東屋にも寄らず、足早に警備室へ戻る毎日。
男相手にあんな恥ずかしい真似を……自分のした事が信じられなかった。
そもそも自分が剛毅をいいようにしようとしていたんじゃなかったのか? 弱みを握った気になり、何処からともなく湧いて出た加虐心を満たすために剛毅を利用しようとしたんじゃなかったのか……
靖幸はあの時、急に見せつけられた剛毅の妖艶な雰囲気に酔ってしまった。されるがまま愛撫され、恥ずかしい姿を晒してしまった。
それでも不思議と悪い気はしなかったし、益々剛毅の事が気になっていると認めざるを得なかった。今までなら毎日のように東屋から体育の授業を眺めていた。それをしなくなって何日か経った頃、仕事を終えた靖幸は久しぶりにマスターの店へ顔を出した。
「あら! 靖幸ちゃんお久しぶりね!」
どのくらいここに来ていなかったのか……マスターの素っ頓狂な歓迎の声に、少しだけ罪悪感が湧いてくる。店内をざっと見渡し、相変わらずの客の少なさにホッとした。
「……? なんだよ。ジロジロ見て」
定位置のカウンターの端の席に座るなり、何も言わないマスターにジッと見つめられ靖幸はムッとして文句を言う。
「ううん、なんでもなーい。ちょっと待ってね、何か食べるんでしょ?」
手をひらひらさせながら楽しそうにマスターはキッチンの方へ入ってしまった。少しすると背後から肩を叩かれ、振り返ると笑顔の剛毅が立っていた。
「お久しぶりですね。俺の事、避けてません?」
あの時のことがあったからか、随分と馴れ馴れしく剛毅は靖幸に接してくる。肩に手を置き、わざとらしく顔を近づけ囁くようにして話すから、靖幸は少し動揺しながらそれを手で払った。
「別に避けてないし……」
「ふぅん、そうなんだ」
剛毅は当たり前のように隣に座るとマスターを呼び酒を注文する。靖幸はその様子をチラッと見て、また首元に痣があるのに気が付いた。
「あ、これ気になります?」
靖幸の視線に気がついた剛毅はにやりと笑みを浮かべ、ハイネックの首元を指先に引っ掛けて痣がよく見えるように少し引っ張る。それでも目を逸らし無言を貫く靖幸に向かって剛毅は続けた。
「もう手当て、してくれないんですか?……部屋に呼んでくれないんですか?」
責めるようにして見つめてくる剛毅の視線に戸惑っていると、いつの間にか戻っていたマスターが、出来立てのパスタを靖幸の前に黙って差し出した。
話題をそらせると思ったのも束の間、マスターはすぐに他の客のところに行ってしまい、相変わらず剛毅と二人きりで気まずい雰囲気で靖幸はパスタを食べる。
「あの事は……忘れてほしい」
剛毅の視線にいたたまれなくなってきた靖幸は、ぼそっと呟く。自分からあの時の事を口に出して言うことがとてつもなく屈辱的に感じ、剛毅の顔が見られなかった。
「え? 忘れられるわけないじゃないですか。だってあなた、俺のことが凄く気になるって顔に書いてある……」
そう言って剛毅は微笑み、靖幸の頬に触れる。またしても剛毅のペースにのまれそうになるのが気にくわず、靖幸はその手を払いのけマスターを呼んだ。
「もういい、ご馳走様」
お金をカウンターに置くと、その場から逃げるようにして靖幸は店から出て行った。
「……あらぁ、剛ちゃんどうしちゃったのよ。靖幸ちゃんに随分と嫌われちゃってるんじゃないの?」
靖幸の置いていった金をレジにしまいながらマスターが笑う。
「靖幸ちゃん、剛ちゃんのこと随分と気にしていたのに。勿体無い……」
「大丈夫だよ、俺嫌われてなんてないから」
剛毅は残りの酒を一気に煽り、会計を済ませた。
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