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第6話:バルトロメオ6
「……ごめん、嬉しくて」
お産を見届けられなかった自分を悔やむが、見たところ母子ともに健康そうだ。
子山羊は二頭、オスとメス。ユキの後産 もしっかり済んでいた。
あとは汚れた飼葉を片づけて、飲み水を新鮮なものに取り替えてやればいい。
そこまで考え、ユァンはふと記憶を反芻 する。
(あれはなんだったんだろう?)
悲鳴がして駆けつけたら、ペティエ神父が血を流して倒れていた。
そして殴りかかってきた男と、助けてくれたらしい人。
よほど動転していたのか、ユァンはこの小屋にどうやって帰ってきたのかも覚えていなかった。
思い返すとユァンの体を、恐怖と興奮が駆け抜ける。
あれは現実だったんだろうか。
安らぎと祈りの修道院であんなことが起こるなんて、まるで現実味がない。
立ち上がり、確かめるように窓の外へ目をやった。
だが、そこには時代に取り残されたような中世ロマネスク様式の修道院が、雨上がりの朝日に照らされ佇 んでいるだけだった。
春分も過ぎたこの時期、北の大地の日の出は早い。
ほっとため息をついたところで、時計塔の時計が目に入った。
(いけない、もうすぐ朝の礼拝の時間だ!)
朝の礼拝は日に七度ある祈りの時間の中でも、預言者の復活を記念する大切な時間だ。修道士として遅れて行くことは許されない。
ユァンは大急ぎでお産の片づけをし、身支度のため一旦宿舎に戻った。
*
ローブ型の修道服に着替えて礼拝堂に入ると、他の修道士たちはすでに賛美歌集を手にして並んでいた。
ユァンは建物脇の通用口からそっと中へ入り、列の後ろに加わる。
ここ聖クリスピアヌス修道院で共同生活をおくる修道士はおよそ百名。「祈りと奉仕」を合言葉に、自給自足の生活をおくっている。
最高位は司教の肩書きを持つ、シプリアーノ修道院長。その下に叙階された数名の神父がおり、他は修道士、もしくは修道士見習いという立場になる。
ユァンは十五歳からの二年間で見習い期間を終え、今は修道士という肩書きを手にしていた。
昨夜倒れていたペティエ神父は、修道院長に次ぐ高位にあるのだが……。
(あ……)
彼は祭壇左そでの一番手前、いつもの位置に立っている。
小柄なせいで他の修道士たちに隠れ頭部しか見えなかったが、頭に包帯を巻いているらしいことが遠くからでも見てとれた。
とりあえず彼の怪我が思いのほか軽そうなことにほっとする。あんなに血を流して命に関わるのではと思ったけれど、あの血は水たまりの水に薄められたもので、出血は案外少なかったのかもしれない。
そう考えたあと。外回廊でのことが現実だったんだと実感し、ユァンはまた恐ろしくなった。
本当に、昨夜あそこで何が起こったのか。
ユァンの目にした光景だけでは、バラバラになった本のページを拾ったみたいに情報が散乱している。
誰が誰の味方か、はたまた敵なのか。
そうだ、鍬の男が強盗か何かなら、ペティエ神父はそのことを警察に届け出なかったんだろうか。
届けたなら今頃、修道院内に警察が立ち入っている気がする。
しかしそんな気配はない。
警察に届けなかったとしても、シプリアーノ修道院長には報告したんだろうか?
その修道院長は礼拝堂正面入り口から続く花道に立ち、胸に十字を切っていた。
それを合図に皆が入祭の歌を歌い始める。
明るいアーチ天井の礼拝堂が、凜と引き締まった空気に満たされた。
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