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第9話:バルトロメオ9

 付属の養護院に入りたての頃は、そこを取り仕切っていたシプリアーノ司教が何かと目をかけてくれたものだ。  けれどもいち修道士としてここに所属する身となった今、修道院長は雲の上の人。話す機会はあまりない。 「お前、何かやらかしたのか?」  冗談めかしてルカが聞いてきた。 「いや、まさか! でも、えーと……」  昨夜見たことを、自分の胸の中だけに収めようとした矢先だ。そのことを(とが)められるのではと思い当たり、あせってしまう。 「ええっ、どっちだよ」 「分からない……」 「分からないって、変なやつだな」  ルカは一瞬だけ不安そうな顔をしたけれど、それ以上何も言うつもりはないらしい。口の端に薄い笑みを浮かべ、(きびす)を返した。 「……まあ、気をつけろよ?」 「え……?」  なんのことか分からずにユァンは聞き返す。 「いや、なんでもない」  ルカはこっちを向かずに背中越しに片手だけを挙げ、行ってしまった。  何はともあれ、自分も行かなければならない。  朝の礼拝での説教を終えた修道院長は、自分の執務室に戻っている頃だろう。  ユァンは方向転換し、そちらへ向かった。  *  気持ちを落ち着かせるため胸に十字を切ってから、ユァンはなだらかなアーチを描く背の高い扉を見上げた。  簡素で優美、そして素朴。そんなロマネスク様式の修道院の中、どうしてだろう、この扉だけはやけに重たい印象を抱かせる。 「ユァンです、お呼びでしょうか?」  恐る恐るノックすると、すぐに中から声が返ってきた。 「ユァンか、入りなさい」  揺らぎのある、落ち着いた声のトーン。シプリアーノ司教の声だ。  ユァンがドアノブに触れる前に、扉が中から開かれる。  ギイッと軋みながら開く重たい音。  その音が止まったところで、額にしわのある司教の顔が見えた。 「こちらへ」  扉を開けてくれた司教に続き、ユァンは中へと足を進める。  院長の執務室は応接室を兼ねた、広々とした空間になっている。  修道院は質素倹約をむねとしているが、この部屋は客をもてなすのにも使われるため、他とは少し雰囲気が違っていた。  足下は板張りでなく、毛足の長いペルシャ絨毯。革張りの大きなソファにはいつの時代のものなのか、手編みのレースが被せてある。  奥にはこれまた年代物の、マホガニーのデスク。よく磨かれたそれは、後ろのレースカーテンからの光を強く跳ね返していた。  そして屋根裏部屋に置きっ放しだったシーツのような、この部屋の匂い。  この匂いは前から苦手だ。悪い匂いではないのに、どうしてか胸を圧迫する。 (それで、僕はどうして呼ばれたんだろう?)  前を行く司教の表情を、そっと肩越しに探ろうとした時――。  この部屋に似つかわしくないものが目に飛び込んできて、ユァンは思わず息を呑んだ。 「……ユァン?」  シプリアーノ司教が振り返り、肩越しだった視界が開ける。  部屋の奥、外からの光をふんだんに取り込むカーテンを背に、背の高い人が立っていた。  逆光で顔がよく見えない。見えないからこそ分かった。  厚みのある大きな体、特徴的な長い髪。  光にかたどられたシルエットは、昨夜ユァンを助けたあの人だった。

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