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第66話:獅子と牝山羊9
「彼は、以前私が教鞭 を執 っていた神学校での教え子でね。今は法王庁で書記官をしている」
そんな立場の人がどうしてここに? ユァンのその疑問は、次の司教の言葉で解決した。
「彼にはブラザー・バルトロメオの件で来てもらったんだ。よく分からない人物に、これ以上痛くもない腹を探られるのは敵わない。それでなんとかお引き取り願えないかと、ヒエロニムスに相談していたんだ」
司教の言葉に、ヒエロニムスは肩をすくめてみせる。
「僕とバルトロメオとは同期なんだ。それに以前も、彼の起こした事件の尻ぬぐいをさせられていて……」
「事件……?」
(それ、昨日言っていた、人殺しっていう言葉と関係があるんじゃ?)
思わず聞き返すユァンに、司教が座るよう目で示した。
そこからは三人、テーブルを囲んでの話になる。
「バルトロメオはね」
ヒエロニムスはユァンを見て話しだす。
「過去に、ある事件を起こしているんだ。だけど彼は特別な家柄の人間で、彼の叔父である枢機卿がその事件をもみ消した。僕は当時から法王庁本部で裁判所の書記官をしていたから、その時のことを具体的に知っている」
ヒエロニムスが一旦口を閉じたところで、シプリアーノ司教が話を引き継いだ。
「彼によると、その事件というのがソドミーに関するものらしい」
(えっ――?)
ユァンの心臓は大きく脈打つ。胸に十字を切り、ヒエロニムスがまた話し始めた。
「バルトロメオと特別な関係にあった若い修道士が、ソドミーの罪を苦に命を絶ったんだ。可哀想にね。その彼は、恋人のために命を捧げたともいえる。罪深い関係が周囲に知れ渡れば、いくらバルトロメオが枢機卿の甥でも、教会での地位を失いかねない。だったらいっそ自分がと……思い詰めてしまったんだろうね」
彼は祈る仕草をしてみせ、そして続ける。
「恋人の死後、バルトロメオは一時教会を離れたが、枢機卿の口利きで法王直属の調査部門に……。罪人が人の罪を調べるなんて、僕は笑ってしまうけどね。教会上層部も身内には甘いっていうことさ」
ユァンはまばたきをして、テーブルの向かいにいるヒエロニムスを見つめる。にわかには信じられなかった。まるで物語の中の話を聞かされているみたいに現実味を感じられない。
「じゃあ、彼のことを人殺しと言ったのは……」
ユァンの絞り出したつぶやきに、作りもののような顔が頷いた。
「そうだよ、バルトロメオが罪を犯さなければ、ひとりの若者の命が失われることはなかった。きみには同じ目にあってほしくない」
「…………」
ユァンは指でこめかみを押す。この話をどこまで信じていいのか。
バルトロメオに恋人がいた。あの人なら、過去に相手の一人や二人くらいはいただろう。それだけ魅力的な人だから……。
ならその恋人が、ヒエロニムスの言う通り罪を苦に命を絶つことは……。
あり得ないとは言い切れなかった。修道士なら、神と恋の板挟みになることは想像するに難くないからだ。
(それでも……)
やはりユァンには信じることができなかった。この話には大きな違和感がある。バルトロメオの持つまぶしいくらいの強さや明るさが、この悲劇的な恋の結末に似つかわしくないのだ。
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