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第88話:罪と愛6

 そうだ……子供の頃にも、こんなふうに押さえつけられたことがある。ユァンは司教に憧れていたけれど、彼の有無を言わさぬ厳しさが、時々怖くて。それで……。  頭の奥がズキンと脈打った。ここにいたくない理由はきっとそれだ。二人きりになると司教は、ユァンを押さえつける。 「放してっ! 僕は、帰りたい!」  頭の中にいる子供のユァンが叫んだ。 「お前のいるべき家はここにしかない」 「違うっ、僕は」 「そうか、あいつのところへ行きたいのか!」 (え……?)  司教の瞳に、嫉妬の炎が揺らいだ気がした。 「あんな若造がなんだというんだ……枢機卿の甥? そうだな、たいそうな家柄だが、彼自身がどこまで組織の中で生き延びられるか。仮に上手く生き延び出世したとして、その時までユァン、お前への興味が持つだろうか。お前は親にも捨てられた身だ。忘れるな。生きるべき場所を間違えるな」  普段の彼からは想像もつかない愛のない言葉に、ユァンはたじろぐ。 「なんで、そんなこと……なんで……」  目尻が熱いのを感じて、それから耳元へこぼれ落ちた涙に驚いた。自分が言葉により傷つけられているんだと自覚する。 「……っ、放して……」  あふれる涙を拭おうにも、両手首をつかまれていて無理だった。 「ユァン」  さっきとは違う、諭すような声。 「感情的になって悪かった。しかし私は、お前のためを思って言っている」  そんなのはきっと嘘だ。この修道院には表と裏がありすぎる。  怒りがふつふつと、腹の底から湧いてきた。 「確かに僕はみなしごで、行く当てなんてどこにもない。だけど……僕はもう大人だ! 自分の生き方くらい自分で決める!」  爪を立て、司教の右手を振り払う。さっきまで人に怪我させるのが怖かったのに、戦うためには、それも必要だと思えた。  今度は自由になった右手で、ユァンの左手首を押さえ込んでいる司教の右腕をどけようとする。 「ユァン!」  司教のもう片方の手が乱暴に、ユァンの髪をつかんだ。 「くっ!」  体格差もあって、上にいる司教の方が有利だ。けれどユァンはこれ以上、怯えるだけの子供でいたくなかった。  刺し違えてでも、この人の下から脱出しよう。その思いで何かつかむものを目で探した時――。  ガタガタと窓が鳴り、ユァンの視線は窓辺へと引き寄せられる。  続いてガラリと窓が開き、窓から入ってきたのはユァンが求めてやまない相手――バルトロメオだった。  ユァンも司教も、唖然(あぜん)としてしまい動きを止める。 「どうしてこういうことになってる」  ドレッドヘアの頭をボリボリ掻きながら、バルトロメオは部屋の中央まで歩いてきた。板張りの床を黒い靴跡が大胆に汚す。  どうやって外から窓を開けたのか……。ユァンはそれが気になったが、聞くのはやめた。聞いてもきっと彼は人差し指をくるくる回して笑うだけだ。 「バルト……!」  疑問をぶつける代わりに、思いを込めて名前を呼ぶ。澄んだ夜空のような、黒い瞳と目が合った。

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