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第94話:罪と愛12
確かに、この聖クリスピアヌスで天使への陵辱は行われていた。けれどそれは過去のことだ。なぜなら司教が、ユァンに飽きてしまったからだ――……。
昨日聞かされたその言葉の意味を、ユァンはぼんやり考えていた。
目の前にある大鍋の中ではスープが湯気を上げながら、揺らぎのある円を描いて回転している。
周りは広々とした河原だ。空はカラリと晴れている。昨日の雨で流されてきたんだろう、背の高い草や流木が、河川敷に生える木に、積み重なるようにして絡みついていた。
聖クリスピアヌスの奉仕活動班は、今はここで家のない人のための炊き出しをしている。
ユァンをここに連れてきたバルトロメオは、河川敷の手製の家々を回って雨の被害状況を確認しているらしかった。他の修道士たちも今日はそれに忙しく、炊き出しのテントの番は今ユァンに任されていた。
普段、奉仕活動班はパンを配りながら炊き出しのことを伝え、同時に支援の必要がある人を見つければ支援の手に繋ぐということをやっているらしいが……。
大雨のあと、無事を確認し合う人々の声。挨拶代わりの噂話、笑い声、ラジオのニュース。周囲から様々な音が聞こえる中、ユァンは独りだった。
たった一人で広い牧草地にいるのは平気なのに、大勢の人の中に一人でいるのは心細い。だから思考は自然と内側に閉じてしまう――。
養護院に入る前、シプリアーノ司教と暮らしていた間、自分たちはどんな関係だったのか。ペティエ神父が疑うようなことが本当にあったのか。
覚えていない。けれど直感の部分で、ユァンはその想像が現実だとは思えずにいた。
あの人が、欲望と情熱をもってユァンの体に触れていた――それはないと思う。司教は禁欲に肯定的で、そしてソドミーに明らかな嫌悪感を抱いている。自分がかつて行っていた行為を〝けっしてあってはならないことだ〟と、人に胸を張って言えるものだろうか。彼がそこまで厚顔な人間だとは思えない。
そして、いけない関係だったとしても憧れの人に愛され、求められる経験がユァンにあったなら……。ユァンの中にはもっと別の感情が残っている気がした。少なくともバルトロメオに出会う前、ユァンの中にあった透き通るほど単調な孤独と渇望は、もっと複雑な色をしていたに違いない。
それに……。
――やはりお前はまだ子供だ。あんな男にたぶらかされるくらいなら、そばに置いて、私が直接教え諭すべきだった。
執務室で言われたあの言葉……。司教は未だユァンに愛着を持っているのではないだろうか。ペティエ神父のいうように、ユァンが司教の寵愛を失ってしまったなら、遠巻きに見守るような、今の司教の姿はなかったように思える。
(たぶん僕らは単純に、拾われた子供と、子供の扱いに慣れない扶養者という関係で……。叩かれたり、乱暴に扱われたりすることはあっても、それは性的なことではなくて。ああ、でも……)
スープを掻き回す手が止まる。
――アンタの体は……俺に抱かれる前から男を知っていた。
バルトロメオの言葉を信じるなら、いま頭の中で組み立てた仮説は、希望的観測に過ぎないのかもしれない。
「やっぱり、僕は……」
ユァンはつぶやき、またスープを掻き回し始める。いくら悩んでも答えにはたどり着けそうになかった。
きっと、思い出さないことには……。
固く閉ざされた記憶の箱が脳裏に浮かぶ。
思い出すことはおそらく、パンドラの箱を開けるのと同じだ。自らの精神を守るために封印している苦い記憶が、次々と箱の底からよみがえってくるに違いない。その時ユァンは、正常な精神を保ち続けることができるのだろうか……。
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