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第191話
郁side
春とアルバイトを始めて、3ヶ月が経とうとしていた。
その日は僕が1日のシフトで、春がランチタイムからのシフトだった。
春が来た時、僕は厨房で仕込みをしていた。
スタッフルームでバタバタと準備をしてホールに向かう春の姿に、どうしたのかとホールを覗いた。
先程までは空いていたテーブル席に小柄な人が座っていた。
大学の友達だろうか。
楽しそうに話をした後、春はメニューをとってこちらに戻ってきた。
僕に何も言うことなく仕事をする春に少しだけ苛立つ。
でも今は仕事中だから、感情を抑え込む。
しょうもない醜い嫉妬だと分かっている。
頭で理解出来ても気持ちは別物だ。
悶々と考えながら、時間が経つのを待つ。
「2人とも、今日は上がっていいよ」
閉店直後、店長から声を掛けられた。
「はい、わかりました」
「お疲れ様」と春に声をかけられ、スタッフルームへ向かう。
考え事が顔に出ていたのか「どうかしたの?」と問われたが「何でもない」と答えた。
頭の中の内容を今は春には言う気がない。
考えなしに口にしてしまえば、感情のままに話してしまいそうだったから。
無理に話すよりは、少しだけ頭を冷やしたかった。
春は僕のことが気になりつつも何も言わなかった。
帰り支度を済ませ、裏口から店を出る。
帰り道、いつも通り春の手を握った。
考え事をしていても、そこはいつもと変わらない。
春に手を引かれながら歩くのが好きだからだ。
特に会話をすることなく、家に到着する。
先にお風呂へ入り、夕食を済ませる。
いつもと変わらない。
けれど、ひとつだけ違った。
ベッドに入ろうとしたとき、春の携帯に着信があった。
「少し電話してくる。先に寝てていいよ」
「待ってちゃダメ?」
少し眉を下げた春は「わかった」と一言。
くしゃっと僕の頭をなでて、部屋を出た。
ドア越しにボソボソと聞こえる。
時折、笑う声がする。
ベッドの上で膝を抱えるように座る。
正直のところ、アルバイトによる疲れで体は睡眠を欲していたが、春が隣にいないのは心細かった。
春を束縛したいわけじゃないのに、嫉妬してしまう。
言葉にしてしまえば、春は僕を優先する。
僕のわがままにこれ以上つきあわせるのは嫌だった。
ぐるぐるとネガティブな思考が頭の中で回る。
ドアが開く音で伏せていた顔を上げる。
「ごめん。お待たせ」
「ううん、大丈夫」
「寝ようか」
「うん」
春の腕を抱くように眠った。
あれから3日。
またアルバイト先にあの人が来た。
前に来た時より、すごくきれいだった。
色白だからなのか、シンプルな服の赤色が映える。
目を引く存在だった。
意識しないようにいつも通り、仕込みや接客をする。
30分ほど過ごして、あの人は帰っていった。
ランチタイムを過ぎて比較的落ち着いてきた頃、少し頭が痛いなぁと感じ始めた。
少しの頭痛はいつものことだし、大丈夫だろうと油断していた。
案の定。
1時間後には本格的な頭痛が僕を襲っていた。
「大丈夫?」
店長の奥さんが僕の顔色が悪いと指摘してきた。
「ごめんなさい。少し頭痛くて」
「痛み止め持ってる?」
「家に忘れてしまって」
「早上がりしてもここは大丈夫だよ?」
「いえ、少ししたら落ち着くと思うので」
「そう?無理はしないでね」
「はい。すみません」
忘れたなんて嘘だった。
僕の薬の管理は春がしている。
本当なら春に相談すべきなのだろう。
そうすれば春のカバンから僕専用の薬ケースが出てくるはずだ。
でも、今日に限っては嫌だった。
店員としての笑顔を張り付けて、閉店まで過ごした。
店長からあがるよう言われて帰り支度をし、帰り道を歩く。
春は何か言いたそうな顔を僕に向けていたが、それを無視した。
それでも春は重たい空気の中で口を開けた。
「何、隠してるの」
「何の話?」
一瞬ギクリとしたが平然を装う。
「言いたくないならいい。けど体調不良まで隠さないで。」
「え?」
「店長も気がついてた」
僕は嘘をつくのが下手だなぁと、つくづく思う。
「ごめんなさい。でも大丈夫」
「郁の大丈夫はあてにならない」
春の言葉に言い返すこともできなくて苛立つ。
忠告を聞くことなく、ズンズン歩みを進める。
「わかった」
追いついてきた春はぽそりとそうつぶやいた。
家に到着して手洗いを済ませた後、春は2階の部屋へ上がっていった。
それを目で追う。
「おかえり。郁、どうしたの?」
廊下に出てきた司季さんに声を掛けられた。
その瞬間、体の力が抜けてストンと座り込んでしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
駆け足でそばに寄ってきた司季さんは、僕にふれて眉を寄せた。
「少し我慢してね」
そう言うと僕の背中と膝裏に手をまわし、僕を抱えてリビングへ連れていかれた。
よく僕を持ち上げられるなぁと感心している傍らで、司季さんと明宏さんがバタバタとしていた。
「郁くん、飲めるだけでいいから、これ飲んで」
CMで見たことのある経口補水液のペットボトル。
これ飲んだことないなぁと思っていると、明宏さんに少しだけ頭を持ち上げられる。
「持てる?」
ペットボトルを渡されるがうまく力が入らない。
「あれ?」
「そうか。なら少しずつ傾けるから飲んで?」
その言葉にうなずく。
コクコクと飲み込むとスポーツ飲料とは少し違う不思議な味が口に広がる。
何度かに分けて少しずつ飲む間、司季さんが氷枕を用意してくれたことで、自分は熱が出ているのだと気が付く。
「まだ飲むかい?」
首を振ることで否定すれば、そっと首を下ろしてくれた。
ぼーっとしていると電子レンジの音がして、司季さんがタオルを持ってきてくれた。
そのタオルは暖かくて、ホットタオルを作ってくれたのだと理解できた。
「郁、水分ちゃんと取ってた?」
そう聞かれて、一日を通してあまり水分を口にしていないことに気が付く。
それにアルバイト中にトイレへ一度も行ってない。
頭痛も、発熱も、これが原因だったのだ。
僕のハッとし顔に「やっぱり」と司季さんがつぶやいた。
そうこうしていると、春がリビングへやってきた。
「春、ここきて座れ」
明宏さんが春にいう。
その声は冷たくて、僕に言われた訳では無いのにピクリとしてしまう。
「郁くんが体調悪いのに気が付いていただろ?」
「あぁ」
春は俯いてこちらを見ようとしない。
「ならなんでこうなってる」
「それは、、」
口ごもった春に明宏さんは溜息を吐いた。
「ごめんなさい、春は悪くない。僕のわがままに振り回してごめんなさい、ごめんなさい」
沈黙が耐えきれずに口を挟む。
そうだ、これは自分で起こしてしまったことだ。
自業自得とはこのこと。
「……ごめん。俺、頭冷やしてくる」
そういって春はリビングを出て行った。
「ごめんね」
司季さんがそういって頭をなでてくれる。
司季さんは悪くないのに。
僕は首を振ることしかできなかった。
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