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第197話
郁said
春が社会人になって2年目の夏。
仕事にも慣れて、生活も安定している。
1年を通して、忙しい時と比較的暇な時の差が何となくわかった。2人で分担する生活は、何だかんだ楽しい。
二人暮しをする中で、初めて春が家を空けた。社員研修で3日間不在。外部での研修のため県外へ泊まりがけで出張という訳だ。帰りは今日の夜。
そんな時に限って、悪夢を見る。
驚きと焦りで飛び起きた。
ここ最近は悪夢など見ていなかったのに。
荒い呼吸音と心臓のバクバクがうるさく鳴り響く。
クーラーの風があたり、冷や汗をかいた体がぶるっと震えた。
どんな夢だったかと言われれば、はっきりと覚えていない。
まだ外は薄暗い。
冷や汗が背中をつたう。
あたりまえだが部屋を見渡すが誰もいない。
こんな日に悪夢を見るなんて、少し嫌な予感がする。
けれど、これくらいで不安定になることは無くなった。もし何かあれば近くに両親が住んでいるのだ。
「…大丈夫、大丈夫」
そう自分に言い聞かせる。
いつも起きている時間より2時間も早い。
けれど寝れそうもないので、テレビをつける。
内容は頭に入ってこないが、寂しさだけ少しだけ和らぐ。
ぼーっとしていると先程に比べて外がだいぶ明るいことに気がつく。
今、何時なのかと思いテレビ画面に目をやる。
「…!?やばい遅刻するっ!!!」
家を出る時間の10分前を示していた。
早く起きていたのに情けない。
バタバタと部屋の中を小走りで動き回る。
顔をざっと洗って髪に寝癖がないことを確認する。
そのあとキッチンへ向かって冷蔵庫を開ける。
とりあえず、すぐにお腹に入れれるものを漁ると、数日前にコンビニの抽選で当たったゼリー飲料を手に取る。飲料の口を開けて、お腹に流し込んだ。
追加でコップ一杯の水を飲む。
「…っ、けほ」
咳き込みそうになりながら、また洗面台へ駆け込み、歯を磨く。
歯ブラシをくわえたまま、今日着ていく服を出していく。
ちらっと横目にテレビを見れば、時間ギリギリだ。
「やばい、やばい。」
洗面台へ戻って口を濯ぐ。
その場で着ている服を脱ぎ、洗濯機へ放り込む。
微妙に袖が洗濯機からはみ出している気もするが、そんなの振り返って見ている時間はない。
下着とアンダーシャツの格好のままリビングに戻り、用意していた服を着る。
支度が整い、パッとテレビを見れば予定時刻を少しすぎたところ。
「まだ、間に合う。大丈夫、よかったー」
独り言をつぶやきながら、テレビを消し、片手にスマホ、もう片方に昨日準備したプライベート用のカバンを掴む。
家を出る前に、部屋を振り返る。
「えーと、テレビ消した、電気消した、、戸締りOK、んーと大丈夫!」
1人で家を出る時は必ず確認していることだった。
「いってきます」
返事が来ないのを分かっているが、いつもの習慣で声に出す。
車に乗り込んで、病院に向かう。
思ったよりも道が空いていて、遅刻は免れた。
今日は病院の定期検診だった。
その後はいつも通り「また二週間後に来てくださいね」と言われ、順調に終わった。
帰り道、スーパーへよって帰ろうかと考えていたが、自分で思っているより体は疲れているようで、すぐに横になりたかった。
行くはずだったスーパーを素通りし、真っ直ぐ家に帰る。
家に着いて、玄関の扉を開けるとそこには春の靴があった。
なぜだか無性に泣きたくなった。
まだお昼前だ、なのになんで。
リビングの扉を開けると、部屋着の春がソファに座ってテレビを見ていた。
「おかえり」
「なんで?いるの?」
そう聞くと、困った顔をして手を伸ばしてくる。
「それはあと。先に郁、大丈夫?」
顔色そんなに悪いのか、頬に手をそえられる。
「あ、うん…ちょっと調子悪いだけ」
「横になる?」
「うん。」
「ベッドまでいける?」
「大丈夫」
「ん、飲み物持ってくね」
「ありがとう」
とりあえずベッドに腰かける。
ほっと息をついた所に春が来た。
隣に座って、ペットボトルの水を差し出してくる。
「ありがとう」
思ったより喉が乾いていたのか、ごくごくと水が喉を通っていく。
ペットボトルをサイドチェストに置き、ほっと一息吐き出す。
「落ち着いた?」
「うん」
「ん、良かった。さっきより少し顔色マシになった。…今日ほんとは外部の人が来ての研修だったんだけど、急遽来れなくなって予定変更で解散になったんだ。」
「そっか。それで早かったんだ」
「ん、そういうこと。でも、早めに帰れてよかった」
「なんで?」
「郁がしんどそうだから。あんまり自覚ないみたいだけど。」
正直、春の言ってる通りだった。
身体が悲鳴をあげているだけで、自分ではもう少し動けると思っていた。
「ゆっくり休みな」
「うん、ありがと」
横になると睡魔が襲ってくる。逆らうことはできず、体を布団へ預けた。
うっすらと何かのタイマー音が聞こえて、意識が浮上していく。
美味しそうな匂いとジューっとフライパンで焼いている音。そして、春が下手っぴな鼻歌を歌っているのもかすかに聞こえる。
ゆっくりと身体を起こすと、寝る前より体調は良さそうだ。
寝室から顔を出すと、ドアが開く音に気づいたのか、春がこちらに顔を向けた。
「体調はどう?顔色はさっきより良さそう」
「うん、だいぶいいよ」
「よかった。軽く食べれるもの作ってるけど、お腹すいてる?」
「ペコペコ」
「なら、もうすぐできるから座って待ってて」
「うん」
椅子に座る前に放置していたスマホを取りに行く。
とくに急ぎの要件はなさそうだ。
充電の残量が少ないので、リビングにある充電器をさす。
そして椅子に腰掛ける。
春が先にお茶を出してくれる。
「ありがとう」
コップを手にし、1口ふくんでからコップを机に戻す。
その間、春が料理を運んでくる。
お茶碗の中には美味しそうなたけのこごはん。
「これ、この間買ったやつ?」
「そうだよ。」
「美味しそうだね」
「無性に食べたくなって」
数日前にショッピングモールに行って、研いだお米と一緒にいれるだけの炊き込みご飯シリーズを3種類ほど買って帰ったのだった。
「いただきます」
「いただきます!」
だしとたけのこの風味が口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
「当たりだね」
「また買おうね」
「うん!」
ニコニコしながら、黙々とたべていく。
そんなにたくさんは食べれないのを春は分かっているから、よそってある量はどれも少なめだ。
だけど、食べ終えるのは同じタイミング。
「「ごちそうさまでした」」
椅子の背に背中を預け、お腹をさする。
「大丈夫?」
「うん。しんどいのはもう無いよ」
「ん。」
「…久しぶり変な夢見て、怖かったけど大丈夫だったよ!」
「そっか。うん、大丈夫だったなら良かった」
「病院の方も大丈夫だったよ」
「寝坊しなかった?」
「ぅえ??」
どこから出たのか分からない声に2人揃って笑った。
「なに、寝坊したの?」
「ぼーっとしてただけ!」
「間に合ったの?」
「うん!もちろん!」
「ならいいけど」
「…まだすこし不安になりやすいから、次も2週間後だって」
「ん、わかった。」
「次は春が朝起こしてね」
「2週間後なら、俺も休みだから一緒に行くよ」
「ほんと!」
「うん」
「約束ね」
「うん。」
夕食を食べる間と食べ終えてから少しの間はテレビをつけずに、今日の話をする時間を設けている。
もちろん春は仕事柄、話せないことも多い。
けど、昼休みにどうだったとか、帰り道に猫がいて不思議な模様だったとか、ほんの少しのことも話してくれることが、うれしかった。
席を立った春が洗い物をするために食器を運ぶ。
「手伝う」
「ん、ありがと」
運び終えると、もう一度「ありがとう」と言って洗い始める。
ソファに座って春を見る。
「なーに?」
「なにもないよ」
こちらに気づいたのかくすくす笑いながら声をかけてくる。
春がいなかった3日間。
この時間もなかったわけだ。
寝る前に電話はしてたけど、やはり直接会えないのは辛かった。
「…寂しかった」
「…うん。…もう少しで終わるから。少しだけ待てる?」
「うん」
すぐに終わらせた春は隣に腰掛け、僕を抱きしめた。
「…春」
「俺も寂しかったよ」
こんなにも離れるのは、高校を卒業した時からを考えると、数年ぶりだった。何があっても、1日以上会えないことは無かった。
だからこそ、春がいなかったら大丈夫だろうか、と今回の件は本当に不安だった。
けれど終わってしまえば、あっという間だった。
「…春がいないと寂しかったけど、体調崩さなかったよ」
「…うん。」
あの頃を考えれば、ありえない事だ。
春や両親と離れることすらできなかったのだ。
今こうして生活できることが何より幸せだ。
「郁、今ほんとに幸せ」
春は照れを隠すように、わしゃわしゃと僕の頭を撫でた。
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