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第46話 【 獅童火爪の場合 】
【 獅童火爪の場合 】
火爪は気配を消して、天城の後を追った。
そっと扉を開けて隙間から中の様子を窺えば、パシャパシャと音を立て、手の中に水を溜めて、天城は顔を洗っていた。
何度か繰り返し、水が滴るのをそのままに顔を上げて鏡に映している。
鏡の中の自分に向かって何を思っているんだろう?
鷹宮天城・・・・・・・・・
火爪は彼の事をよく知っていた。
今生の彼の事ではなく、前世での、自分が炎帝と呼ばれていた頃のことだが・・・・・・・
いつも側にいたΩ・・・・・・名は蒼威。
その背中に、大きくて綺麗な、漆黒の翼が広げて・・・・・・彼の身体を光が貫いた。
火爪はきゅっと唇を噛み、軽く頭を振って浮かんだイメージを振り払った。
「天城、大丈夫か?」
コンコン、と控えめなノックと共に、天城に声を掛ける。
「あ、はい!今行きます」
ぴょこんっという音が合うと思う動きだ。
「髪まで濡れてる・・・・・ちゃんと拭かないと風邪を引くぞ?」
天城の肩に掛かったままのタオルを取り、雫が垂れる髪を拭き始める。
最後にくしゃっと指で髪を梳かれて、タオルを天城に渡した。
「あ、ありがとうございました」
少々照れながら・・・・・・そんな照れは伝染するようだ。
「どういたしまして・・・・・・行こうか」
火爪が歩き出すと、天城は慌ててその後を追った。
昔と変わらない・・・・・・・・
天城の事を弟が好きだという事は知っている。
天城の事を知って、その前世が蒼威だという事を知り、火爪は混乱した。
弟のことは応援するつもりだったが、彼が蒼威の生まれ変わりだと言うのなら話は別だ。
天城も、まだ弟にはそれほど心を動かしていないようだ。
今なら・・・・・・・・・
「天城、手を繋ごう・・・・・・足元に気を付けろよ?」
「え?あ、はい」
おずおずと伸ばされた手を強く掴んで引っ張り寄せる。
そのままの勢いで、自分の胸に飛び込ませた。
「す、すいません」
「大丈夫だ・・・・・・・・行こう」
そんな天城の背後で・・・・・・・
パシッと、鏡に大きなヒビが走ったが、二人は気付くことなく・・・・・・・・・
「とにかく、携帯端末が圏外って言う状況は良くないですよね」
一定の距離を開けて後ろをついて来る咲良が空を見上げた。
「結界の中でも緊急事態の時の為に、連絡が取れるようになってたはずなんだけど」
先頭を歩く光矢が振り返った。
「天城、足元に気をつけろ」
天城は火爪の隣を歩いていた。
本来車道だった場所は、瓦礫が散乱し、アスファルトも捲れ上がっている。
車輌は不自然に潰れ、窓ガラスはどれもが粉々に割れていた。
だが、これだけの大惨事にも係わらず、僅かな血痕も見当たらない。
ここが、訓練の為に張られた結界の中だからだ。
被害者は存在しない。
「ねぇ、天城ちゃん、光矢と歩こ?」
光矢がぐいっと天城の腕を引っ張った。
「天城、俺から離れるな」
火爪が天城を引っ張り戻す。
咲良がジャラッと音を立てて多節棍を一つにつなぎ合わせると、その先でトンッと地面を突いた。
「はい、二人さん、お客様です・・・・・・・・構えて」
その言葉に、火爪は天城の腰に腕を回して・・・・・・ぐいっと抱き寄せた。
「ほ、ほほほほ火爪さん?」
「大人しくしてろ・・・・・・来るぞ」
「え?」
視線の先に、ガシャッガシャッと瓦礫を踏み、近づいているモノがある。
それらの回りには、暗い靄が取り巻いていた。
「さっさと片付けましょうか」
咲良は多節棍を肩に担いだ。
近づいてくるモノは、四本の足を地に付けている。
鋭い牙の間から覗く舌は紫色をしていて、絶えず唾液が滴り落ちていた。
「結界内に生き残っている人間狩りを始めたようだな」
それは、十メートル手前でピタリと動きを止めて、じっとこちらを見ている。
「に、人間狩り?」
天城はぎゅっと火爪の上着を握り締めた。
「あくまでも訓練、だから心配するな・・・・・・しっかり掴まっていろ」
「え?うあっ!」
落とされないようにと、天城の手は必死に火爪の上着を握り締める。
どうせなら思いっきり抱きついてくればいいのに、などという火爪の心の声は天城には届かなかったが。
「天城はここを動くな。すぐに片付けてくる」
少し離れた、後方へ飛んで天城を下ろす。
天城はまだ火爪の上着を掴んだままだが、恐怖は誤魔化せているのか、その手は震えていない。
「火爪さん」
瓦礫の影に天城を座らせて身を隠させる。
「大丈夫だ・・・・・・すぐ終わらせる」
火爪は安心させるように、くしゃっと天城の髪を掻き回す。
「俺の刀を一振り、天城に渡しておく・・・・・・護身用だ。抜くことにはならないと思うが」
渡した刀を胸に抱く天城の髪を、もう一度くしゃっと撫でて、火爪はその場から飛び出した。
鞘から抜けば、刃には紅蓮の炎が現れる。
火爪の愛刀の名は・・・・・・赤獅子、天城に預けたのは赤虎という。
天城は赤虎を抱いたまま、そっと瓦礫の間から様子を伺っている。
灰色の体毛に覆われた獣、長く太い尾を振り回して、咲良達を寄せ付けない。
低く、地を這うような唸り声を上げ、鋭い牙を剥き出しにする。
大きな巨体なのに素早い動きで火爪達の攻撃を避けていた。
暫くして・・・・・・
「ねぇ天城ちゃん、コレどう思う?」
「え?」
予期せぬ場所から名前を呼ばれて、ギョッと天城が振り返る。
背後には、身長と同じくらいの長刀を携えた光矢が、破れたスカートの裾を更に短く破っていた。
ギザギザに破れた布の隙間からチラリと下着の色が覗き、慌てて視線を逸らしている。
「光矢ちゃん・・・・・それは短過ぎなんじゃ」
目のやり場に困ると、頬を赤く染める。
「大丈夫よ、天城ちゃん!今日は勝負下着だから、見ても平気!」
「いえ、そういう問題じゃないと・・・・・・思います」
光矢の白い指先が天城の腕に触れた。
「光矢!サボるなぁ!!」
咲良が叫ぶ。
「サボってないわよ!天城ちゃん、もうちょっと待っててね?」
瓦礫に片足を乗せた光矢が振り返り、天城に向かって投げキッスを寄越した。
真っ赤になって顔を背けたままコクコクと何度も頷いた天城の態度に満足したのか、光矢は満面の笑みを浮かべて長刀を振り上げた。
光矢が動くたびにチラチラと見える。
天城は片手で顔を覆い、盛大な溜息をついて、瓦礫に背中を預けて座り込んだ。
火爪のいる位置からは天城が見えなくなった。
「?」
それは気のせいだったのかもしれない。
一瞬だった。
聞こえているのは獣の唸り声、地を滑る音、俺達の息遣い・・・・・・
そして・・・・・・
「助けて!」
今度はしっかりと耳に届いた。
「女の子の悲鳴?」
天城は立ち上がり、きょきょろと周囲を見回している。
火爪達は獣を相手にしていて、その場から離れられないようだ。
けれど、何処かで助けを求めている人がいる・・・・・・・・それならば自分が、と、天城はその場から駆け出した。
ただ、女の悲鳴だったか?
違う!火爪には女の声には聞こえなかった。
火爪の耳には野太い男の声が・・・・・・・聞いた人間によって聞こえる声の種類が違うのか?
つまり、それは罠だ!
「天城!」
離れていく天城の背中が見えて、火爪は目の前の獣から意識を逸らしてしまった。
「馬鹿火爪!!」
獣の太い腕が火爪の刀を遥か後方へと弾き飛ばす。
腕が痺れてその場に膝をついた。
火爪を庇うように光矢が立ち、咲良がその後方から攻撃を仕掛ける。
「火爪ちゃん?」
手首を押さえたまま、火爪は天城の姿を探した。
「天城が・・・・・・」
光矢は先程火爪が天城を隠した場所に視線を走らせた。
「ここは任せる」
「分かった・・・・・・咲良ちゃん!」
フォーメーションを組み直す指示を与える光矢の背後で天城の気を探した。
「・・・・・・天城」
弾き飛ばされた刀を拾い、天城を追った。
身を隠させた瓦礫の前を横切り、天城の気を真っ直ぐに辿っていく。
「天城!」
名前を呼んでも応えない。
そう遠くへは行ってないはず・・・・・・
その背中に大きな漆黒の翼を広げた蒼威の姿が思い浮かぶ。
「天城」
近づいているはずなのに、天城の気がどんどん離れていくような感覚に眩暈を起こし、立ち止まった。
「天城!」
光矢達から随分離れたが、まだ天城の姿は見付けられない。
「天城・・・・・・天城、天城ィ!!」
名前を叫びながら姿を探すが、火爪の声は空に消えていくだけ。
刀を握っていた手に力を込める。
「・・・・・・・・・応えろ」
消えていた紅蓮の炎が、ぶわっと刃から溢れ出した。
「天城!俺に応えろ!!」
そのまま刃を地面に突き刺した。
炎は縦横無尽に飛び散り、周囲の気温が一気に上昇した。
「天城ィ!!」
「・・・・・・っぱい・・・・・・・・・火爪先輩!!」
突然目の前に現れた天城に動きが止まる。
「火爪先輩」
心配げな表情で伸ばされた天城の手が、火爪の頬に触れた。
幻ではない。
自分の体温も上がっていたせいか、天城の手は随分冷たく感じられた。
「どうしたんですか、大丈夫ですか?」
天城の指先が気持ちよくて閉じかけていた目をカッと見開く。
「どうした、だと?」
頬に触れていた手を掴み、ジッと睨みつける。
「それはこっちの台詞だ!あの場から動くなと言っただろう!!」
怒鳴りつける火爪とは反対に、天城は冷ややかな笑みを口元に浮かべていた。
「・・・・・・天城?」
天城はそっと火爪の指を外し、胸に頬を押し当てた。
「火爪先輩、心配させてごめんなさい」
言葉とは裏腹にクスッと笑う。
抱き締めようとしていた火爪の腕が止まる。
天城は、火爪の事を・・・・・・・先輩なんて呼ばない。
「他愛もないな、炎帝」
それは天城の声ではなかった。
火爪の腕を掴んだ天城の手に力が入る。
「くっ!!」
ずぶりと・・・・・・・・火爪の背中から刃が突き出した。
グッと歯を食い縛った口の中に血の味が広がる。
そっと身体を離した天城の手には刀が握られていたが、それは火爪が渡した赤虎ではなくて・・・・・・
「・・・・・・あま・・・・・・・・・ぎ・・・・・・?」
冷笑を浮かべたままの天城が軽く火爪の胸を押す。
抵抗する事も出来ず、火爪は背後へと倒れた。
「ぐっ・・・・・・・かはっ」
吐き出した血が顔に掛かる。
「無様だな、炎帝」
火爪を見下ろす天城の姿がぐにゃりと歪んだ。
「・・・・・・き、さま・・・・・・・・は」
漆黒の鎧を身に纏った男が、銀色の髪を靡かせて火爪を見下ろした。
「この程度の幻術を見抜けないなんて、ずいぶん腑抜けたもんだ」
この顔・・・・・・・・見覚えがある。
「いくら訓練だからと、気を抜き過ぎだ」
火爪に突き刺さったままの刀の柄に手を添える。
「風を手に入れようとしているのは俺達だけじゃない」
身体から刀を引き抜かれ、血を払い落とす。
負った傷も、流れ出る血も現実ではないが・・・・・・・感じる痛みは本物だ。
「っ!」
「必ず勝利に導く風・・・・・・黒き翼の一族」
男は肩膝をつき、荒い呼吸を繰り返す火爪の顔を覗き込んだ。
男は刀の切っ先を火爪の喉元に近づけた。
結界の中で受けた傷は、現実の世界に戻れば跡形もなく消える・・・・・・
死ぬかもしれないほどのダメージは、暫くはまともに動くことが出来なくなる。
「蒼威は俺達が貰う」
そのまま刀が下ろされる、と思っていた。
刃は喉元から数ミリ上で停止した。
「待て・・・・・・・・殺すな」
男の視線が俺から外れ、別方向へ向けられる。
「蒼威に嫌われたくはない」
聞こえた言葉に男は小さく溜息をついた。
火爪から刃を遠ざけ、冷ややかに見下ろしたまま立ち上がると、宙に突然現れた鞘に刀を収めた。
「・・・・・・・さ・・・・・・・・火爪さん!!」
遠くからこちらに向かって走ってくる影がある。
「幻術に誘い出され、道に迷っていた。やっぱり可愛いよな、天城・・・・・・・お前も戻れ、湊」
クスクスと笑いが混じった声が遠のいていく。
「分かった・・・・・・まぁ、チャンスはまだこれから、いくらでもあるしな」
ふっと男の姿が掻き消えた。
「・・・・・・天城」
男の姿が完全に消えたのを見届けるのが限界だった。
けれど、意識が途切れたのはほんの一瞬、だったはずだ。
「火爪さん!」
抱き起こしてくれた天城に身体を預ける。
天城に心配を掛けていることは分かっているのに、今は指一本動かせそうにない。
現実では流れていないはずの血が、天城の服を赤く染めていく。
「火爪さん!火爪さん!」
天城の大きな眼に、大粒の涙が浮かぶ。
「俺のせいで・・・・・・俺のせいで火爪さんがが死んじゃ・・・・・・」
「・・・・・・な、ないから」
掠れた声が、火爪の声が聞こえて天城がハッと顔を上げる。
「・・・・・・・お前を、置いて・・・・・・死な・・・・・・・・・ない」
ゆっくりと、スローモーションのように持ち上がった火爪の腕を天城が慌てて掴んだ。
「な・・・・・・くな」
「でも、このままじゃ火爪さんが!!」
ボロボロと涙が溢れて、火爪の頬を濡らす。
「・・・・・・天城、泣かなくていい」
天城の名を口にした途端、火爪の腕から力が抜けた。
「火爪さん!」
天城が火爪の身体を強く抱き締める。
火爪は天城の腕の中で完全に意識を手放した。
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