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第60話
これから足を踏み入れるのは、通称『絶望の森』と呼ばれている場所。
濡れた髪を乾かす暇もなく、火爪さんと入り口に来た頃には、既に白峰と紅刃が待機していた。
それぞれが大きなカバンを持っていて・・・・・・
「向こうで零さんと光矢が待ってますから」
灰邑さんまで?
ん?
「ん?どうかしたか、天城?」
「いや、今・・・・・・なんでもない」
光矢って、あの少女?
この間は・・・・・・いつの間にかいなくなってたけど・・・・・・
そう言えば、あの時、光馬って言うヤツもいたな?
「天城、緊張してるのか?俺がその緊張を解してやろうか?」
紅刃の両手が俺の肩に置かれた。
「いらない」
くるっと身体の向きを変えて、丁寧にその両腕を下ろさせて・・・・・
そっと火爪さんの背後に移動した。
それにしても・・・・・・・・憂鬱だ。
絶望の森、嫌なイメージしか浮かばない。
白峰から、気休めくらいにしかならないけど、と御守りをもらったけど気分は重い。
ぽんぽん、と火爪さんに背中を軽く叩かれて・・・・・・短く息を吐く。
「三日間の我慢だ」
え、三日も入るの?
「天城は俺の・・・・・・俺達の誰でもいいから、絶対に誰かと一緒にいろよ?」
紅刃に言われなくても最初からそうするつもりだった・・・・・・
迷惑を掛けるつもりも、足を引っ張るつもりもない。
今自分にできることをしよう。
俺は無意識に火爪さんの上着の裾を掴んだ。
紅刃の視線が、じとっとその部分に向けられて・・・・・・
火爪さんはフッと笑って、俺が上着の裾を掴んだままの手に自分の手を重ねてくれた。
ムゥッと唇を尖らせて、紅刃が子供みたいに拗ねた。
「大丈夫だ、天城」
火爪さんがそう言ってくれるだけで、ちょっとだけ肩の力が抜ける。
「じゃぁ、入りましょうか」
白峰の声で、その場の全員の表情がキリッと引き締まった。
いよいよか・・・・・・ごくっと生唾を飲み込んで、両手の拳に力を込める。
白峰が先頭に立ち、両手を胸の前で合わせ、口元でボソボソと何かを唱えている。
ゆっくりとその両手を前に突き出す。
「開」
白峰の声に反応したのか、キィンッと強烈な耳鳴りが襲い、俺は耳を押さえながらその場に蹲った。
火爪さん達はその場に平然と立ったまま、目の前にぽっかりと開いた暗闇を見詰めている。
「天城、行くぞ」
火爪さんにぐいっと腕を引っ張って立たされ、そのまま暗闇に向かって歩みを進める。
でも、やっぱり行きたくない!
火爪さんは足を止めない。
「嫌だ!!嫌だ!!!やっぱ嫌だってば!!!」
底知れぬ恐怖に心を支配されて、必死に抵抗を試みる。
けれど、背後から紅刃の手が背中を押し始め、とうとう暗闇に一歩足を踏み入れてしまった。
こんな時だけ兄弟仲良く協力するなぁっ!
結界を通り抜けた瞬間、俺は嘔吐した。
「かはっ・・・・げほっ、ごほっ・・・・・・・はぁはぁ、はぁ」
昨晩食べた物が全て逆流する。
「大丈夫か?」
「天城、きつい?」
火爪さんと紅刃が、蹲った俺の背中を優しく撫でてくれた。
「最初はきついだろうけど、そのうち慣れるから」
恐らく今口を開いたら、また吐く・・・・・・
俺は小さく頷いて、この気持ち悪さが少しでも和らぐのを待った。
「なぁ兄貴、この様子じゃあ三日は無理かも」
「そうでもないだろう・・・・・・ただ吐いただけだ。気が狂ってもおかしくはないんだからな」
そんなところに、いきなり入れるな!!
文句を言ってやりたいが、再びこみ上げてきたものを抑えるのに口元を押さえて足元に額を擦りつけた。
「前は鍵を持っていたから平気だったんだろうな」
鍵?
北斗スミレから渡された、あの鍵?
じゃぁ、今回もそういう鍵を用意しておいてくれれば良かったのでは?
「火爪先輩、紅刃・・・・・・さっそくヤツらが近づいてきたよ」
ヤツ・・・・・・ら?
視界の端に、火爪さんと紅刃が離れていくのが見えた。
苦しげな呼吸を繰り返す俺の肩を支えながら、白峰は持っていたカバンの中から救急箱を取り出した。
「鷹宮くん、はいコレ」
差し出された栄養ドリンク程の大きさの瓶を受け取って、キャップを捻る。
「うっ・・・・・・何コレ?」
異臭が鼻を突く。
「何って・・・・・医療塔特製栄養ドリンク。ほら、ぐいっと一気にいっちゃって!」
この臭いって飲んでも大丈夫なもんなのか?
「はい、せ~のっ!」
白峰に応え、それを一気に飲み干す。
「ふっ・・・・・へぁ・・・・・・・」
鼻から抜ける臭いに気が遠くなる。
「気をしっかり持って」
バシッと左頬を強く打たれてバランスを崩し、視界にチカチカと星が飛ぶ・・・・・・
白峰は身体を支えてくれてるけど。
いってぇ!!!
少々涙目になって目の前の白峰を睨み上げる。
「だいじょうぶか?」
白峰の、ちょっと冷たい手が頬に触れる。
「だ、大丈夫・・・・・・今のでなんか吹っ切れた」
先程までの気持ち悪さは軽くなっていた。
白峰の手を借りて立ち上がり・・・・・・
その視線を追って顔を上げれば、そこでは火爪さんと紅刃が戦闘中だった。
彼らの前に立ちはだかる異形のモノ・・・・・・
肩の筋肉が異常なまでに盛り上がり、その先の爪は太く鋭い。
体の表面はビッシリと魚の鱗のようなものに覆われていて、鈍い光を帯びている。
「フシュゥゥゥ」
不規則に並んだ歯の間から異臭を放つ唾液がボタボタと落ちていく。
チロッと見えた舌は紫色で、先端が二つに割れていた。
「と・・・・・特殊メイクなわけないんだよな?」
火爪さん達に翻弄されて、闇雲に太い腕を振り回すモノを観察しながらボソッと呟いた。
「あれはまだ下級クラスだから」
「レベルがあるのか?」
下級クラスの異形のモノは、人の言葉を理解せず、ただ己の欲望のままに活動する。
中級クラスは、人の言葉が理解出来て、集団で行動・・・・・・時には下級クラスを傀儡にして活動する事もあると言う。
そして、上級クラスになると、知能も高く、人の姿で人間社会に溶け込んでいるモノもいるとか。
「特級クラスってのもあるんだけど・・・・・・まぁ、今はまだ知らなくてもいいかな?」
「え、なんで?」
今一緒に教えてくれればいいのに・・・・・・
眉間に皺が寄る。
ぐしゃっ・・・・・・背後で何かが潰れた。
位置からして、火爪さんがいた方角だ・・・・・・・
「あ、終わったね」
白峰はにっこり笑って二人に手招きをする。
振り返れば、そこには、どす黒い体液を浴びた二人が、倒した異形のモノを見下ろしていた。
「初日から汚れちゃったね、二人共」
突き刺した刀を引き抜き、刃に纏わりついた体液を振り払う。
「シャワー浴びたい」
「だな」
戻ってきた二人に労いの声を掛ける白峰の背中を見詰めながら、俺はその場に座り込んだ。
「天城、もっと奥へ行くぞ」
「え?」
火爪さんの手が俺の腕を掴んで引っ張り上げてくれる。
「奥に綺麗な水が湧き出ている所がある・・・・・・そこにテントを張る」
空を見上げても微かにしか太陽の光が差し込まない、薄暗い森の奥に・・・・・・
異形のモノの毒に汚染されていない、綺麗な水が湧き出ている場所があると言う。
これから三日間、ここで生活するのかと思うと足取りも重い。
しかし、辿り着いた場所は、そこだけがまるで別世界のようだった。
「・・・・・・・・・うわぁ」
ぽっかりと青い空が見えて、そこだけ太陽の光が大量に降り注いでいる。
湧き出ている水も冷たく、サラッと喉を流れていった。
火爪さんと紅刃は先程の戦闘で汚れた箇所を洗い落とし、白峰は飲み水の確保・・・・・・
その後、火爪さんと紅刃でテントを張り始めた。
俺も、何もしないわけにはいかない・・・・・・
テント張りに参加し、二つのテントを張り終えた頃、近くで獣のような低い唸り声が聞こえた。
「咲良、結界」
「はいはい」
紅刃の指示で白峰がテントの回りをぐるりと一周する。
その手には、野球ボールくらいの大きさの水晶玉が握られていた。
「おまもりください」
最後に円の中央で水晶玉を空に掲げて呟いた。
「おまもりください」
同じ言葉を繰り返し、少しだけ高く土を盛り上げて水晶玉を乗せる。
「おまもりください」
ぱんっ、と拍手を一回。
瞬間、水晶玉が眩しい光を放ち、薄い光の膜が先程白峰が回った円をぐるりと覆った。
「はい、おしまい!」
さっきと空気が変わった気がする・・・・・・澄んだって言うのかな?
「人間の気配に釣られたヤツらが集まってくる・・・・・・まずは、こういう状況に慣れないとな」
「慣れろって・・・・・・」
そう言う紅刃に反論しようとした刹那、バシッと背後で何かが光の膜に衝突した。
ふ、振り向けない・・・・・・そこにはきっと異形のモンがいる。
バシッと再び背後で火花が散った。
「天城、結界の中にいるから大丈夫だ」
「そうそう・・・・・ほら、天城、後ろ見てみ?」
火爪さんの優しい笑顔に油断した・・・・・・
確実に俺の反応を見て面白がっていた紅刃の手が両肩に乗せられて・・・・・・・ぐるんと方向を変えられた。
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