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第66話 【 正宗と湊の場合 】
【 正宗と湊の場合 】
ジャラ・・・・・・ジャラ・・・・・・闇の中で金属が音を立てる。
「長・・・・・・」
生暖かな風が吹き抜けていく。
次第に彼らを取り巻く周囲の景色が変わっていった。
闇は薄くなり、足元には真新しい畳が現れ・・・・・・カコーンッ、一定の間を置いて獅子脅しが響き渡る。
鯉が泳ぐ池、丁寧に刈り込まれた植木、バランスよく置かれた大きな石。
豪華な欄間・・・・・・蒔絵の施された家具・・・・・・どれも名工と呼ばれる者達が手掛けた代物ばかりで、その価値は計り知れない。
しかし、その場に不釣合いは鎖が一本。
歪んだ空間から伸びるその黒く太い鎖は、目の前に横たわる者の首に巻き付いていた。
「長・・・・・・」
彼の背後には他にも同族の者達が大勢、目の前で眠っている男の目覚めを待っていた。
微かに睫が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
「長」
ザワザワと小さなざわめきが起こる中、彼は男に近づいて顔を覗き込んだ。
その紫紺の瞳に彼を映し、男は薄っすらと笑みを浮かべ、体を起こした。
「長!」
「大丈夫だ・・・・・・心配ない」
慌てて伸ばされた手を制止し、男は寝かされていた布団の上で胡坐をかいた。
「久方ぶりじゃな・・・・・・皆、ワシが目覚めるまで大人しくしておったか?」
ニッと男は唇の端を吊り上げた。
「黒き翼の一族はどうなっておるか?」
「何名か転生を確認しておりますが・・・・・・我らの元には、まだ・・・・・・・その・・・・・・」
「藤姫には、既に我らを束ねる力はない。藤姫が先代魔狼王を喰らって手に入れた力も、もはや微塵も感じられん。藤姫を総大将の座から引き摺り下ろすには絶好の機会だとジジイ連中が言っておる・・・・・・奴等もそろそろ動き出す頃合じゃろう」
ちょうど運び込まれてきた湯飲みに手を伸ばす。
「ワシとしては、次期総大将は先代魔狼王の子らを・・・・・・」
とんでもない事実を、彼らの長たる男はあっさりと口にした。
ゴクンッと男の喉に茶が流し込まれる。
「お待ちください、長!魔狼王の子とは?!」
今は黒き翼の一族の話をしていたのではなかったか?
魔狼王の子供の存在など、聞いたことがない。
「なんじゃ、知らんのか?黒き翼の一族ほとんどの子は・・・・・・魔狼王の血を引いておる」
ジャラッと男は自分の首に巻きついている鎖に触れた。
「ワシもそろそろ自由になりたいのぉ」
鎖の先が何処へ繋がっているのかは誰も知らない。
「ワシも歳じゃからなぁ・・・・・・好きな事をしたいのぉ・・・・・・・・ん?」
男は眉間に皺を刻み、部屋の中に集まっている者達をぐるりと見回した。
「ワシの目が悪くなったのか・・・・・・我が息子の姿が見えぬ」
ドキンッと側にいた彼の肩が飛び上がる。
「わ、若は・・・・・・その・・・・・・都の」
じっとりと嫌な汗が額に浮かび上がる。
「高校へ・・・・・・・あの、一応、我が愚息、湊をつけておりますが」
自動販売機の前にサングラスをかけた青銀髪の少年、士貴正宗が立ってから五分三十八秒が経過した。
片手に握った百十円が汗でしっとりと濡れている。
どれを買おうか迷っている雰囲気ではない。
平日の午前中に高校生くらいの少年が、自動販売機の前で仁王立ち。
(・・・・・・・あいつ、髪の色隠すの面倒になったんだな)
しかも青銀髪で目立つ。
何人もの通行人が正宗を振り返っていく。
「ダメだ」
親指で硬貨を弾き、ボソッと正宗は呟いた。
空中で回転している硬貨を握り締め、ゆっくり振り返る。
既に同じ自販機で購入した清涼飲料水を手に自分を待っている相棒に歩み寄った。
「湊、十円貸してくれ」
キョトンとしている相棒、稀鷺湊に握り締めていた百円玉と十円玉を見せた。
「今、これが俺の全財産」
百円玉一枚、十円玉一枚では百二十円の値札がついた自動販売機に並ぶ品は一つも出てこない。
小さく溜息を吐き出し、湊はポケットの中を探り、一枚の十円玉を正宗に渡した。
「サンキュ、サンキュ」
正宗は嬉しそうに微笑んだ。
湊は清涼飲料水を一気に飲み干し、屑籠へ缶を投げ入れる。
立ち去ろうとしている湊の後ろ姿に正宗は慌てて自動販売機のボタンを押した。
取り出したのは果汁百パーセントとラベル表示されたオレンジュースの缶。
正宗は缶のタブを起こし、口の中を潤してから湊の後を追った。
彼の隣まで追いつくと、正宗は彼の腕を取り、腕に巻かれた腕時計に眼を向けた。
本来なら三時間前に待ち合わせた場所に到着していなければならない時間である。
そう、出掛ける前にちゃんと確認すればよかったのだ。
まさか、似たような名前の公園があるなんて思ってもみなかった。
名前をたった一文字間違えただけで、まったく逆方向の電車に乗ってしまうなんて。
電車に揺られて到着した終着駅で、タクシーに乗り、一時間五十三分かけて着いた公園は間違っていた。
タクシーで引き返すが、二人の残金が危うくなり、目的地までは辿り着けず。
そして、二人は今、歩いている。
正宗は湊を一瞥して小さな溜息を漏らした。
帰りはどうしようかと悩んでいるうちに小さな公園の入口に着いた。
ゆっくり公園内を見回す。
砂場で遊ぶ少年少女、ブランコの順番を待つ姉妹、中央の噴水近くでサッカーボールを蹴る少年達。
その近くでは母親らしき女、もしくはΩの男が数人ずつ固まって世間話をしている。
待ち合わせをしていた人は見当たらない。
「い、いない・・・・・・な」
まずい、と正宗は公園に足を踏み入れた。
湊が後に続く。
温くなってしまったオレンジジュースを飲み干し、ベンチの隣に設けられた屑篭に投げ入れた。
駅を出てから一言も口を利いていない湊をちらりと盗み見る。
湊は無言のまま、眼までかかる前髪を面倒くさそうに掻き上げ、冷ややかな眼を正宗に向けた。
「正宗」
生まれて初めて乗り物に乗ったのだ、切符がちゃんと買えたのは褒めてやれるがその後が悪い。
湊は眉間に手を当てた。
朝方、まだ陽の昇らないうちから叩き起こされ、本来なら一時間とかからず着く公園に四捨五入して約四時間という時間を費やした。
行き先さえ知っていれば、正宗に振り回されることなく短時間で着いた公園だ。
目的地に着けば、正宗と待ち合わせをしていた人物の姿は何処にも無く・・・・・・・・・
「湊に、瑪瑙って名のβを会わせたくて」
ベンチにどっかりと腰を下ろし、ニッコリと笑みを浮かべて隣に座るよう手招きする。
くるりと背を向けた湊の上着の裾を慌てて掴んだ。
振り返った湊の瞳が、太陽の光の加減からか、一瞬真紅に輝いた。
正宗はそのまま湊を引っ張ってベンチに座らせた。
「天城がいた街の・・・・・・鬼龍院に関係している人物なんだよ!」
もうしばらく待ってみよう、と正宗は湊の膝の上に頭を乗せた。
「それまで御昼寝、な?」
「おい・・・・・・その瑪瑙ってヤツ、本当に来るのか?」
引き剥がそうとしてやめた。
「正宗?」
もう、正宗は夢の中だ。
諦めて大きな溜息を一つ、青空を仰ぎ見た。
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