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第67話 【 正宗と湊の場合 】

【 正宗と湊の場合 】 それからどれくらい時間が過ぎたのか、コツンと何かが足に当たって湊は眼を開けた。 どうやら自分も寝てしまっていたらしい。 足元にはサッカーボールが転がっている。 湊の膝の上、正宗は静かな寝息を立てていた。 駆け寄って来た少年にボールを渡してやり、湊はゆっくりと周囲を見回した。 先程の少年が最後だったのか、公園内には自分達以外誰もいない。 腕時計に眼を落とせば残り五分ほどで正午になる。 「虎雅(とらまさ)の息子は眠っているようだな?」 何の前触れもなく、背後で女性の声がした。 振り返れば、今さっきマニキュアを塗ったような真っ赤な爪をふうふう吹きながら、美女が近づいて来た。 漆黒の髪、艶やかな唇、そして、金色に輝く瞳。 黙ったまま自分を凝視する湊に、女性は柔らかな笑みを浮かべて歩みを止めた。 暖かな風が髪を撫でていく。 「別に怪しい者ではない、と言っても信じないだろうが・・・・・・」 気配を消して背後から地下ずく女の何処が怪しくないというのか。 思ったことが顔に出たらしい。 彼女は苦笑いを浮かべて右の人差し指を湊に向けた。 その指先に白い糸状の光が集まっていく。 反射的に立ち上がった湊の眉間を、彼女の指先から放たれた一筋の白光がつきぬけた。 痛みはまったく感じなかった。 触れた眉間からも血は流れていない。 「我が主の命により、まずは君の力・・・・・・試させてもらいますよ?」 すぐ耳元で男の声がした。 振り向きざま手刀を振り下ろしたがそれは空を切った。 何処からともなく暗雲が立ち込め、霧が足元に絡みつく。 周囲に女性の姿はなく、気配も感じられない。 ベンチ、正確には湊が立ち上がったときに落ちていたはずだが、ベンチの下に転がっているはずの正宗も消えてしまっている。 「ここは結界の中。周囲の物は何を破壊しても構いません。この結界から出たければ、これから現れる相手を倒してください」 男の声に湊は舌打ちすると、ジャリッと眼の前に現れた毛むくじゃらの大男を見上げた。 大男は湊を見下ろし、眼を細めて不気味な微笑を浮かべた。 「ただの幻影ではありませんからね?斬られれば痛いし、もちろん血も流れます」 大男はシュウッと短く息を吐くと、膝をわずかに曲げ、鋭く短い爪を横に構えて湊に襲いかかった。 その爪から逃れた湊は大男から間合いを取って着地する。 湊の回し蹴りを大男は素晴らしい反射神経で身を沈め、それを避けると同時に跳びじさり、顔に余裕の笑みを浮かべた。 「うへへへへっ」 湊はポケットから硝子弾を数個取り出し、大男に投げ付けた。 硝子弾はまるで意志を持つかのように大男の身体を取り囲み、ぐるぐると円を描きながら飛び続ける。 大男は硝子弾を叩き落そうと両腕を振り回したがすべて空振りに終わった。 「牙炎」 湊の声に応じて硝子弾は発火、大男は瞬く間に炎に飲み込まれた。 「へへへへへっ」 焼かれながらも大男は一歩前へ足を踏み出した。 大男は膝をわずかに曲げ、太く短い腕を振り上げ、湊に襲い掛かる。 毛の焦げた嫌な臭いが鼻をつく。 湊は振り下ろされる大男の腕を紙一重でかわし、背後へ飛んだ。 大男の勢いは止まらず、鋭い爪が湊の頭上に迫った。 だが、大男の爪の切っ先は湊を捕らえられずに空中を裂いた。 大男は低く喉を鳴らしてりをギョロギョロと見回す。 眼の前から消えてしまった獲物は何処に。 「まぁ~さぁ~むぅ~ねぇ!!」 湊は太い木の幹に背を預けていた。 炎に包まれ、両腕を振り上げ、獰猛な雄叫びを上げる大男は、この木を挟んだ向こう側にいる。 湊は足元に落ちている小石を拾い上げ、ゆっくりと息を吐き出した。 先程より炎は勢いを失っているものの、今も大男の身体を包み込んでいる。 大男がこちらに背を向けると同時に木の陰から走り出た。 気が付いた大男はシュウと息を吐き、深緑色した舌を湊に向けてくねらせる。 両腕を前に突き出し、攻撃を受け止めるつもりでいる大男に叫んだ。 「風弾」 大男の足元に狙いを定めて、小石を投げ付けた。 小石から吹き出した風が大男の身体を押し上げる。 なんとか踏ん張ろうとした大男の顎を、湊が短い気合と共に正面から蹴りた。 大男の身体は大きな地響きと共に大地に沈んだ。 顎を押さえながらのたうつ大男から距離を置き、左腕を大男に向けて突き出した。 大男はまだ立ち上がれずにいる。 赤く輝く眼はターゲットを睨みつけたまま、右手を左手の甲に当てた。 「血の契約・・・・・・我が召喚に応えよ!ガリュッ!!」 叫ぶと同時に足元から突如発生した風の渦が湊を包み込んだ。 辺りには轟音が響き渡り、大男は震えた。 何者かに召喚術を邪魔された、そう感じた湊は風の中で周囲に人影を探した。 攻撃を仕掛けるというよりは湊を守る形にある風の壁。 「この風は・・・・・・」 やっとの思いで立ち上がった大男は、だらし無く開けた口からボタボタと唾液を垂らしながら、太い両腕を振り回して向かってくる。 湊を包む風が振り下ろされた太い両腕を肘の部分から吹き飛ばした。 ビチビチと大男の体液が大地を濡らす。 「邪魔をする気か!!」 湊は大男を挟んだ位置にある桜の木に向かって叫んだ。 幹を挟んだ向こう側に誰かいる。 湊を包んでいた風の渦は一度大きく膨らんで弾けた。 同時に湊は大地を蹴り、体液を撒き散らしながら相手を覆い潰そうと倒れかかってきた大男の額に足を掛け、更に高く跳躍。 頂点に達したところで、湊は叫んだ。 「紅蓮っ!」 突き出した右手の先から閃光が迸り、放たれた赤色の光熱波が一直線、見上げる大男を頭上からすっぽりと飲み込んだ。 大地は震え、熱せられた大気が砂塵をき散らしながら舞い上がる。 湊は大男の背後へと着地。 衣服の埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がった。 風が砂塵を吹き飛ばしていく。 サラサラと崩れる炭化した大男の身体を一瞥して、湊は辺りを見回した。 湊の周囲に風壁を創った人の気配は消えていた。 生暖かな風が頬を撫でていく。 見上げれば先程の暗雲はうそのように消えていた。 背後に視線を感じて振り返る。 身体をぐっと伸ばし、大欠伸をする正宗の隣で一人の男が笑みを浮かべて立っていた。 「瑪瑙さん?」 立ち上がって土埃を払いながら、男性を見上げた。 「まぁさぁむぅねぇ!」 その場所から一歩も動かず、湊は正宗を呼んだ。 「は、はぁい」 一度腕時計を見て時刻を確認してから、彼は湊に歩み寄った。 「瑪瑙です・・・・・・我が主、翡翠様の命により、お迎えにあがりました」 そのまま湊の隣を通過して公園の出口へ向かう。 「ひす・・・・・い?」 「鬼龍院翡翠・・・・・・知ってるだろ?」 彼の後ろ姿を見送る湊を、正宗は背後から強く抱き締めた。 瑪瑙は一度も振り返らずに、突如彼の周囲だけに出現した風の中へ姿を消した。 「正宗・・・・・・あの人、迎えに来たってわりには消えちゃったけど?」 「あの人は予定外だからなぁ・・・・・・二人の為に、俺達の様子を見にきたのかも」 「最初の女は?」 「瑪瑙さんの変装じゃない?」 ゴソゴソとズボンのポケットを探り、一枚の名詞を取り出して湊に手渡した。 「鬼龍院琥珀か?たしか、鬼龍院翡翠の番だろ?」 二人は近くの電話ボックスに入り、名刺に書かれた電話番号を押した。 「だってさぁ、琥珀さんがチョコレートパフェ奢ってくれるって言うから・・・・・・あ、ココが琥珀さんの居場所を探し当ててくれたとこなんだけどぉ」 コール数回で相手が出た。 声は男だ。 『ありがとうございます、こちら雛森探偵事務所でございます』 湊から受話器を奪い、正宗が名乗る。 「あ、士貴ですが」 『・・・・・・はい、今日の午後七時にお約束の士貴正宗様ですね』 「へっ?」 今なんて言ったの、という表情で固まってしまった正宗から受話器を取り返し、湊が電話口に出る。 「すいません、今なんて?」 『えっ?』 突然、声が変わったので驚いたようだったが、彼はすぐに同じことを繰り返してくれた。 腕時計が表示している時刻は午後一時を少し過ぎたところ。 「正宗っ!」 振り返り、叫んだとき、固まっていたはずの正宗は、いつの間にか電話ボックスを抜け出し、公園中央の噴水の中に飛び込んでいた。

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