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   ◇   ◆   ◇  その日、マスコミ各社を騒がせるニュースが発表されたのは午後に入ってすぐの時間だった。  国内最大の規模を誇る財閥系アパレルグループ、SDIカンパニー。そのトップに、二十歳の若者が立つというのだ。各局の番組ではその若さに、『プリンス誕生!!』やら『若き帝王の素顔に迫る!!』など、こぞって騒ぎ立てる見出しが並んだ。  そんなニュースを事務所のソファに座って胡乱気に眺めていたのは、もちろん匡成である。 「凄いですね。二十歳でグループ企業のトップですって」 「はぁ…そうだな」 「親父は、前会長とは懇意でしたよね」 「まあ…」  側近である設楽(したら)が言う前会長とは、何を隠そう匡成の恋人である雪人の事だ。世に忍んで匡成と雪人が恋仲になってから、既に三年が経っていた。   ◇ 一カ月前 ◇  匡成の携帯電話が鳴ったのは、深夜二時の事だった。液晶に浮かぶ須藤という名前に、怪訝そうに眉根を寄せながら通話ボタンを押せば、幾分か疲れた様子の雪人の声が聞こえてくる。 「おう、どうした」 『お前に知らせておきたい事があってな』 「あん?」 『今から…そっちに行ってもいいか』 「こんな時間にか? 電話じゃ話せねぇのかよ」  わざわざ来なくとも疲れてるのなら電話で済ませろとそう思う匡成だったが、耳元に流れ込んだ雪人の声は、随分と甘かった。 『……匡成に…会いたい』  結局、好きにしろと返した匡成のマンションに、雪人が現れたのはそれから三十分ほど経ってからだった。  玄関のドアを開けた瞬間、雪人は飛びつくように匡成の躰を抱き締める。 「匡成…会いたかった…」 「阿呆。無理して来るんじゃねぇよ」  呆れたように言う匡成は、だが雪人のために風呂と軽い食事を用意していた。  ダイニングテーブルに向かい合って座り、出汁茶漬けを美味そうに食べる雪人に匡成が問いかける。 「明日は休みなのか」 「午後から」 「ったく、それなのにわざわざ来たのかお前は」  そう言いながらも、多忙な雪人がこうして会いに来るその意味を理解している匡成の目は優しい。美しい所作で匙を口許へ運ぶ雪人の頭を、匡成はぽんぽんと撫でた。 「そんで、話ってなんだ」 「……うん…。その…」  言い淀む雪人の顔が赤い。何にそんなに照れているのか判断がつかず匡成が怪訝そうな顔をしていれば、わざとらしい咳払いをした後で雪人は口を開いた。 「次の息子の誕生日に…引退しようと思う…」 「はん? そりゃ随分急な話だな。で、いつだよ?」 「一カ月後だが…」 「甲斐は二十歳だったか」  僅かな間考えるようにして匡成が言えば、雪人がこくりと頷いた。その顔が相変わらず真っ赤で、匡成は首を傾げてみせる。 「それでどうしてお前はそんなに顔真っ赤にしてやがんだ?」 「っ…なんでもない」 「しかしまだ五十だろ、引退するにゃ早くねぇか?」  雪人と匡成は年が同じだ。一般企業の定年でさえも六十、六十五などがザラなご時世に、五十で引退というのは、匡成が言うように確かに早い。だが。 「お前と一緒にいたい。…迷惑か?」 「ははっ、お前は正直だなぁ雪人。俺はまだ引退しちゃやれねぇが、それでよけりゃ構わねぇよ」  恋人として付き合い始めて三年。その間も、雪人は多忙が故に会える機会はそう多くはなかった。その上、雪人からすれば匡成を三十年も想い続けてきたのだ。呆れはするものの、文句を言う気にはなれない匡成である。  構わないと、そう言った匡成に嬉しそうに微笑んで、雪人はすっかり綺麗になった食器を前にごちそうさまと呟いた。 「それで…その…匡成…」 「あん?」 「引退したら……一緒に住みたい…」  恥ずかしそうに言って俯く雪人に、だが匡成は渋い顔をする。 「一緒にってお前…家どうするつもりだ?」 「どうするって…お前が越してくればいいだろう?」 「馬鹿言うな。いくらお前が引退したってそう開けっ広げに一緒に住める筈がねぇだろ」 「なら俺がここに越してくると言ったら、お前は一緒に住んでくれるのか?」  些かむっとしたように言う雪人に、匡成は苦笑を漏らした。どうあっても同居は免れないらしいと、匡成が気付くのにはそれだけで充分である。 「ったく、隠すつもりはさらさらねぇのかお前は」 「どうして引退した後まで隠す必要があるんだ。お前が俺の立場を心配してくれたから我慢してただけで、マスコミにしたっていくらでも上から押さえられた。わざわざ三年も待つ必要はなかったくらいだ」  拗ねたように言いながら、雪人は匡成を睨む。 「それともお前は、バレては拙い事でもあるのか?」 「当たり前だろぅがこの馬鹿。お前は俺の家業をなんだと思ってやがる」 「別に警察が何をしようが後ろめたい事も何も出て来はしない。安心しろ。火元がないんだ、煙など立ちようもない」  自信満々に言い放つ雪人に、思わず頭を抱えたくなる匡成である。そもそも匡成は警察などの心配をしている訳ではなかった。 「お前よ、うちの嫁が何で死んだか分かって言ってんのか?」 「っ…それは…」 「表に出すってのは、そういう事だ雪人。お前がそれでも構わねぇってんなら、俺は隠すつもりはねぇよ」  雪人が食事を終えたのをきっかけに、匡成はソファへとその身を移動させた。雪人を手招く。隣に腰を下ろす雪人の肩を、匡成は抱き寄せた。 「なあ雪人。そうそう起こる事じゃねぇし、二度も同じ事を繰り返すつもりはねぇがな、それでも絶対じゃねえからよ」 「うん…」 「もちっと考えてから答えを出せよ、な?」 「……はい」   ◇ 現在 ◇  雪人の引退と、雪人の息子の甲斐が新たに会長に就任するというニュースは、夕方から記者会見を開くという情報もあり、午後のニュース番組やワイドショーを大いに騒がせていた。匡成は手元のリモコンでテレビを消す。  向かいに座って画面を眺めていた設楽が僅かばかり残念そうな表情をしていたが、そんな事は匡成の知った事ではない。それに、文句を言えるはずもないのは分かりきっている。  結局、同居についての答えは未だ保留のままで、雪人がどう考えているのかを匡成は知らなかった。どちらにせよ雪人が引退して会う機会が増えれば、今までのように隠し通す事は困難になる。それならばいっそ、同居してしまった方が何かがあった時に対処も出来るのではないかと、そういう思いもあるにはあった。  ふぅ…と、小さく息を吐いて煙草を咥えれば、失礼しますと、そう言って設楽が火を差し出す。匡成は当然のように煙草を点けて煙を深く吸い込んだ。  今のところ、匡成が仕事上で揉めている相手はいなかった。そもそも二十年も前と今では、時代も違う。いくら極道と言えど、そう簡単に抗争など起こすような馬鹿は少ない。  匡成がさてどうするかと煙草を吸っていれば、胸元で携帯が着信を知らせた。発信者を確認すれば、そこには雪人の名前がある。これだけ騒がれている最中だというのに暢気なものだと呆れながら、匡成は通話ボタンを押した。 「おう、どうした」 『ああ、匡成。今夜会えないか?』 「ああ? お前今自分がどうなってんのか分かってんのか?」 『記者会見を開くホテルに部屋を取ってある。先に待っていてくれないか』  会見が終わり次第合流すると、そう言ってホテル名と部屋の番号を告げる雪人に、匡成は苦笑しながらも了承した旨を伝えて電話を切る。 「おい設楽。車出せ」 「はい」  後部座席に乗り込めば行き先を訪ねてくる設楽に、匡成は雪人が言っていたホテルの名前を告げる。静かに滑り出した。  一度本宅に戻り、車を目立たないものへと変えさせた匡成は三十分ほどでホテルへと辿り着いたが、そこに広がる光景に、設楽が困惑した声をあげる。 「こりゃ駄目ですね親父。地下か裏口へ回します」 「ああ」  エントランスに溢れんばかりの報道関係者。車寄せにまでカメラを向けている記者もいて、到底入れるような状況ではなかった。明らかにヤクザだと分かるような車種ではなかったが、さすがに正面から乗り込む気にはなれない匡成だ。  薄くスモークの張られた車窓から匡成は呆れた様子でホテルの入り口を見遣り、これでは地下も裏口も変わらないだろうと予測をつける。  雪人の会社は、芸能事務所、出版社、アパレルブランド、その他様々なファッション関係のありとあらゆる分野に根を張る企業なだけに、マスコミの注目度は高い。ましてその跡を継ぐのが弱冠二十歳の青年となれば、話題にもなろうというものだった。  改めて出直すかと、匡成が設楽に声をかけようとした瞬間。一斉に記者たちが裏口の方へと走り出す。 「なんかあったんすかね」 「主役のご登場だろう。今のうちに着けろ」 「あ、はいっ」  甲斐にせよ雪人にせよ、良いタイミングだと、そう思う。匡成は低く喉を鳴らした。  得てして人の居なくなった車寄せへ堂々と着けさせた匡成は、迎えは呼ぶまで来なくていいと、そう設楽に告げて車を降りた。 「すぐに離れろよ」 「心得ました」  滑り出す車を見送る事もなく、匡成はエントランスへと足を踏み入れる。数人の記者がまだ残っていたが、そんな事はどうでも良かった。  フロントには向かわず、直接エレベーターに乗り込んだ匡成は雪人に告げられた部屋のある階へと上がる。部屋をノックすれば、すぐにドアが開いた。 「お待ちいたしておりました、辰巳様」  そう言って馬鹿丁寧に頭を下げるのは、雪人の秘書の一人で名を真崎(まさき)という。 「いつも悪いな」 「いえ。雪人様よりこちらをお渡しするようにと」  真崎が差し出したのは、同じホテルのカードキーだ。今いる部屋よりも上階の部屋の鍵を匡成は受け取り、そのまま部屋を出る。雪人との待ち合わせは、いつもこうだ。  再びエレベーターで上の階へと上がった匡成は、真崎から受け取った鍵で部屋へと入った。

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