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   ◇   ◇   ◇  匡成の携帯電話が鳴ったのは、ゆったりとした午後のひと時の事。久し振りに休みが取れた匡成は、雪人とふたりソファで寛いでいた。  取りあげた電話の液晶画面には、十一桁の番号だけが表示されている。見覚えのない番号に僅かに眉根を寄せながらも通話ボタンを押した匡成は、何気なく回線の向こうに居るであろう相手に返事をした。 「辰巳だ」 『あっ、匡成さん!?』 「ああ?」 『雪乃です! 先日はお世話になりました!』  聞こえてきた元気のいい声に、思わず顔を顰(しか)めて電話を耳から離す匡成である。しかし、その電話の奥にむすっとした雪人の顔を発見してしまって、それは苦笑に変わった。  今夜、先日の礼がしたいという雪乃の申し出に、無意識に隣を見る匡成だ。だが、雪人は目が合った瞬間にぷいっとそっぽを向いてしまう。  どうやら女の声におかんむりらしい雪人に小さく笑った匡成は、再び電話の向こうに意識を向けた。 「悪いな雪乃、今日はちっと無理だ」 『そうですかー、じゃあ明日は?』 「ああ、明日なら構わねぇよ」 『よかったー! じゃあ明日また電話します!』  終始賑やかな通話が終わり、つい溜息が出る匡成はもう年だな…などと電話を見つめて思う。嫌な訳ではないのだが、疲れるのだ。  ふぅ…と息を吐いていれば、隣から随分と低い声が聞こえてくる。 「やっぱり女がいるんじゃないか…」  恨めしそうな声で言う雪人に、匡成は呆れたような口調で返す。 「待て待て、どうしてお前はそうなるんだ?」 「しかも名前で呼んでた…」 「そりゃあ普通の事だろぅが」  完全に拗ねている雪人に苦笑を漏らしながら匡成が肩を抱こうとすれば、途中で手を叩き落された。痛くはないが、僅かにジンジンと痺れの残る手を匡成は呆れた顔で見ながら口を開く。 「お前な…」 「……再婚したら…この家にはもう帰ってこないんだろう…?」 「ああ? なんだお前、俺にまた引っ越しさせるつもりか阿呆」 「マンションはそのままじゃないか…」  何を言っても信用しなそうな雪人の雰囲気に、匡成は眉を顰(ひそ)める。普段であれば面倒になって勝手にしろと突き放す匡成ではあるのだが、雪人にそれをすれば余計に拗れる事だけは確かだった。  参ったと、そう思う匡成は案外どころか完全に雪人に惚れている。それが雪人本人に伝わっていないのが問題なのだが、匡成からすれば態度で分かれと、そういうところだろうか。 「なあ雪人よ、それじゃあ何のためにお前のところに俺は帰ってきてんだ?」 「それは…再婚するまでは俺に同情してくれてるだけだろう…?」 「勘弁しろよ、雪人オイコラ」  伸ばせば払い除けようとする雪人の手を逆に捉え、匡成は強引にその躰を引き寄せた。無駄を承知で逃げようとする雪人を嘲笑うかの如く上向かせれば、涙を溜め込んだ黒い瞳が匡成を睨んだ。  いつもの冗談とは違うその雰囲気に眉根を寄せる匡成の視線の先で、雪人の震える唇がゆっくりと動く。 「分かってたから…いいんだ…。こんな風に誤魔化してまで…優しくしてくれなくていい…」  腕の中で肩を震わせる雪人が、拗ねているどころか本気なのだと匡成は気付く。ともすれば雪人は、匡成が再婚するまでの間付き合っているだけだと思っていたのかもしれないと。  酷いすれ違いだと、そう思う。価値観とか、生活スタイルとか、もはやそんな話ではない。『分かっていた』と、雪人はそう言ったのだ。匡成は遣る瀬無さに言葉を失った。  沈黙が部屋の中を満たす。いつもならすぐに立ち直るはずの匡成ではあったが、あまりにも衝撃が大きすぎた。というより、打ちのめされたというべきか。どこでどう間違ったのか。  ―――分かってたってなんだ…。それじゃあ何か、こいつは俺が再婚したら別れるもんだと思って付き合ってたって事かよ…? 今までずっと…? それなのにあんな幸せそうに笑ってたってのか? 俺はこいつにどんな思いをさせてきたんだ…?  雪人との間に気付かぬうちに出来ていた溝に、匡成が気付くには充分すぎた。  片や雪人は、分かっていたと言いつついざその時が近いと気付けば取り繕う事も出来ないほど匡成が好きでどうしようもない。  ―――ああ…、やっぱり駄目だな…。これじゃ匡成を困らせるだけだ…。幸せな時間はちゃんともらったじゃないか…これ以上…押し付けちゃいけない…。納得したうえで付き合ってきたんじゃないか…これ以上を望むのは駄目だ。  静かな部屋の中を、ゆっくりと時間だけが流れていく。互いに神妙な面持ちで視線を合わせる事もなく、口を閉ざしたままどれほどの時間が経ったのか。  そうして口を開いたのは、二人同時だった。 「雪人。俺はお前に惚れてるよ」 「今までありがとう匡成」 「ッ!!」 「ッ!?」  同時に息を呑んで、一瞬黙り込む。だが、今度の沈黙はあっという間に破られた。  すぐさま匡成の口から流れ出た声は、とてつもなく低く、不機嫌なそれで。 「てめぇ雪人…それ本気で言ってんのか」  匡成は狡いと、そう思う雪人である。ボロリと零れ落ちた涙が頬を伝うのを感じながら、雪人は匡成の胸を拳で叩いた。 「っお前こそ卑怯だ! 今になってそんな…っ、言ってくれって頼んでも言ってくれた事なんかなかったくせにっ。お前の再婚が決まったらちゃんと手放してやろうって決めてたのにっ。そんな風に言われたら…俺は…っ」 「手放すんじゃねぇよ阿呆」  安堵の息を漏らしつつ、匡成の腕が胸を叩く雪人を抱き締める。 「ちゃんと言ってやらなかったのは俺も悪いが…しかしお前は気が早ぇな。誰も再婚するなんて言ってねぇだろ」 「う…っ」 「ったく、何がありがとうだ、焦らすんじゃねぇよ。こんだけ生きてきて初めて振られたのが男だなんぞシャレにならねぇだろぅが。勘弁しろよお前」 「だって…」 「だってもクソもねぇよ。いいか雪人、確かに俺は再婚するとは言ったがな、だからってお前をほっぽり出すつもりで付き合ってる訳じゃねぇぞ」  雪人の髪を撫でる匡成の手は弱々しかった。  まさか雪乃からの電話がきっかけでこんな話になるとは思ってもみなかった匡成だが、誤解をさせたままでいるよりは良かったかとも思う。どうも雪人は、匡成には考えもつかないような思考回路を持っていて、こうして時折焦らせる。  誤解が解けて既にもう幸せそうな顔をしている雪人の頭を撫でる匡成の脳裏に、不意にある思いが浮かぶ。それはある意味恐ろしく、匡成にとっては信じがたい…というより信じたくない類の思いだ。  ふと動きを止めた手に、ん? と、不思議そうに見上げる雪人に、匡成はだが気になって口を開いた。 「まさかとは思うが…、それでお前…あんなに早く引退したとか言わねぇだろうな…」  見上げる雪人の頬が一瞬にして赤くなる。そしてそれを隠すように俯く雪人に、匡成がすべてを悟った事は言うまでもなかった。  先は長いだろうと言った匡成に、雪人が返事をしなかった理由も頷ける。同時に、やはり雪人は最初から終わりがくる事を承知で付き合っていたのだと思い知らされて、匡成は内心で動揺を隠せずにいた。  もし、もっとちゃんと雪人に最初から伝えていたならば、今もまだ雪人は仕事を続けていたかもしれない。そう思えば甲斐にすら申し訳ない気持ちが湧き上がる匡成だ。雪人が倒れる事もなかったかもしれない。  後悔など性に合わない自覚がある匡成だが、さすがに少々肝が冷えたというところである。 「俺はお前が時折恐ろしくて仕方ねぇよ…」 「だって…少しでも匡成のそばに居られる時間が欲しかったから…」  恥ずかしそうに言う雪人は、可愛らしい。だが、その影響力を考えると些か恐ろしくなる匡成だった。  たかが男一人のために雪人はマスコミを騒がせ、騒ぎを掻き消すために餌を放り投げて振り回したのだ。当事者としては、いくら図太い匡成といえど胃も痛くなる。  が、しかし。次の瞬間雪人の口からもたらされたのは、それはもう不満に満ち満ちた声だった。 「それに、気が早いとは言うけどな、お前は若い頃から女をとっかえひっかえしてるじゃないか。しかも茜さんの時に自分が何と言ったか覚えてるのか? 『子供が出来たから結婚する』ってお前は言ったんだぞ? まったく計画性も何もないお前に気が早いも遅いもない!」  いつになくご立腹な雪人に、匡成は視線を彷徨わせてポリポリと耳の後ろを掻いた。  雪人が言っているのは事実である。しかも匡成が茜と籍を入れたのは、一意が生まれた後だった。匡成はそれまで茜が妊娠している事も知らなかったし、そもそも茜と付き合っていた訳でもないのである。要は遊び人のくせに避妊に失敗した訳で、匡成としてはまぁ苦い思い出でもある訳だ。 「そりゃあそうだがな…」 「それだけじゃない! お前は俺が何も知らないとでも思ってるのか!?」 「ッ!?」  ギクリと躰を強張らせる匡成を、雪人が鬼のような形相で見上げる。その顔に先ほどまでの恥じらいなど一切なかった。  酷く恨めしそうな色を宿した目で見つめられ、雪人が言わんとしている事が何であるかを充分すぎるほど分かってしまった匡成は、苦笑を漏らしながら弁解の言葉を口にする。 「お前と付き合ってからは浮気してねぇぞ」 「節操なし」 「うるせぇよ放っとけ」  雪人が付き合う前に相手を調べるのは知っていたが、まさか自分まで調べられているとは思わなかった匡成だ。雪人と付き合い始めてからは一切浮気などしていないが、それでもバツが悪いのは確かだった。  何せ嫁の器が大きいのを良い事に、結婚した後も匡成が女遊びを続けていたのは本人が良く知るところである。節操なしと言われても、反論どころか申し開きのしようもない。 「女なら誰でもいいのかと思ったぞ…」 「まぁ、誰でも良かったのは確かだな」  思わず本音を漏らした匡成を、雪人の冷たい視線が射貫く。 「まぁそう怒んなよ。今はお前だけだろぅが」 「知らん。付き合い始めてからは調べてないっ」 「何だよお前使えねぇな」 「使えないっ!? 信用してやってるのにお前という奴はっ」  食って掛かる雪人の頭を、匡成はぽんぽんと優しく叩く。 「分かってるよ。……それにしたってお前、女に過剰反応し過ぎだろう…」 「当然だ。だいたい女なら誰でもいいって今お前が言ったんじゃないか」 「阿呆。俺ぁ良かったって言っただけだ。過去形だろぅが」  ジロリと疑わしそうに睨む雪人に、匡成は困ったように再びポリポリと耳の後ろを掻いた。どうもいまいち信用されていないのは、やはり過去の行いのせいだと思えば自業自得と諦めるしかない。これだから昔から付き合いがあるというのも考えものである。  まったく…と、そう思いながら匡成は僅かに雪人の耳元に口を寄せて小さく囁いた。 「そんだけ遊んでる女切ってでもお前と一緒に居てぇって思っちまったんだから仕方がねぇだろ。あんま虐めてくれんなよ。な?」 「ッ!!」  ぶわっと真っ赤になった雪人の額に口付けを落とす匡成である。そんな匡成の常套手段に、幾人の女が騙されてきたことか知れない。そして、雪人もまんまとそれに引っかかっているのだからどうしようもないのだが。  ともあれ”今現在の”匡成の言葉に嘘はなかったし、言葉にされれば安心するのが人というもので。雪人もご多分に漏れず、そんな事を言われて喜ばない筈はなかった。 「本当に…?」  どこか嬉しそうに見上げる雪人の唇を奪い、ソファへと押し倒す。  角度を変えながら匡成が思うさま口腔を貪っていれば、あっという間に雪人の表情はとろりと溶けたように瞳を潤ませた。ちょろい…とは言うまい。 「っぅ…ふ、…はふ…匡…成…」  とてつもなく純情な男に名を呼ばれ、匡成はしっかりと気持ちを伝えてやろうとそう思った。もう二度と、作り笑いなど雪人にさせるつもりはないのだ。  唇を啄みながら、匡成は言い聞かせるように囁いた。 「雪人…俺が好きなのはお前だよ」 「ぅ…ん…っ、俺も…匡成が…すき…っ」  背中に腕を回して必死にしがみ付く雪人の服を、匡成は口付けたまま脱がせてゆく。スラックスまでをもあっさりと抜き取って、露になった肌を掌で余すとこなく辿る。小さな胸の飾りを指先でカリカリと引っ掻くように刺激すれば、雪人の背が僅かに撓った。  まるで胸を突き出すような仕草に匡成は小さく笑った。 「気持ちいいかよ?」 「ぅぅっ…やぁ…」 「ならやめるか」 「ぃ…ゃぁ…ゃめな…っでぇ」  ふるふると頭を振る雪人に、胸から離しかけていた指を戻した匡成は、今度は飾りをきゅっと強く摘み上げる。引っ張られるように仰け反る雪人の背に腕を差し込んで、匡成は易々と態勢を変えた。ぐるりと雪人の躰の向きを座面の上で変えてしまう。  背もたれに逆さに背を預けるような態勢に、苦しそうな顔をする雪人のすぐ目の前には当然自身の屹立があった。 「は…っ、ぁ、ま…さなり…っ」 「おら、脚開いてみせろ」  言いながら匡成の手が無遠慮に脚を左右に押し広げ、雪人はあられもない格好をさせられる。抗議の声をあげる間もなく雪人の口には匡成の指が入り込んでいた。 「うぐぅ…、ぅっ…ぇぁ」 「ちゃんと濡らせよ。そうじゃねぇと、痛ぇのはお前だからな」 「うっ…ふッ、…ぁい…」  匡成がこれからしようとしている事を知って、雪人は指で口腔を掻き回されながら眦に雫を浮かべた。こんな態勢で指を後ろに飲み込まされたらと、ただ想像するだけで雪人の全身にゾクゾクと痺れるような感覚が広がっていく。  やがて唾液に濡れた匡成の指を引き抜かれ、雪人の口からは不満とも期待ともつかぬ小さな声が漏れた。雪人の後孔の縁を、濡れた指先が辿る。同時に揶揄うような匡成の声が振ってきた。 「挿れて欲しいか?」 「はッ…ぁ、欲しい…」  それでも無言で入口ばかりを弄られて、雪人は蟀谷を濡らす。欲しくて堪らないと、蕾がひくついて匡成の指に吸い付いているようだった。

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