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極道の跡取りというには一哉は少々素直過ぎはするが、年齢的に見ても小学生などよりよほど躾けやすい。そもそも育てるのは一意なのだ。
思わず黙り込む匡成の顔を、ひょいっと雪乃が覗き込む。
「匡成さんこそ、何考えてます?」
「お前の事だ阿呆」
「あ、やっぱり。あたし匡成さんのそういうところが好きなんですよねー。他に好きな人いたって、それとは別に、そうやってちゃんとこっちの事も考えてくれるじゃないですか。それってある意味特別な訳だし。形は違っても、大事にはしてくれるでしょ?」
にっこりと微笑む雪乃に、匡成の眉間に増々皺が寄った事は言うまでもなかった。少し前まで、再婚ではなく養子をとるかなどと考えていたところにこんな話である。いくら匡成とて、一哉だけを養子に寄越せとはさすがに言えない。かと言って、昨日の件を思えば雪人の反応も無視はできないだろう。
「参ったな…」
唸るように呟く匡成に、雪乃は屈託なく笑う。
「まだ、何か引っかかる事があるんです?」
「いや…」
歯切れ悪く返事をして、匡成は考え込むように顎を撫でる。
一方雪乃はと言えば、もう一押しかなー…などと考えているのだから既に答えは決まっているようなもなのだが。まさか匡成に本命がいるとは思いもよらなかった雪乃だが、その反面、自分が本命になれるなどとも思ってはいなかった。
―――一意が男と付き合ってるってのは聞いてたけど…、まさか匡成さんもとはなぁ…。いやでも、女に取られるよりはマシ…かな…? 女遊びしてるの指銜えてみてなきゃなんないよりは絶対マシだよね…。あたし一人で繋ぎとめておけないのは悔しいけど、本命なら匡成さん浮気しなさそうだしなぁ…。
雪乃はつらつらとそんな事を考えながら、煙草を咥える匡成にナチュラルに火を差し出す。
―――あー…ホント匡成さんかっこいい~っ!! こうして近くにいるだけで幸せだよーっ!! てか何をそんなに悩んでんだろ…。まさか匡成さんの本命ってめっちゃ嫉妬深いとか? いやでも男だしなぁ…。男だから嫉妬深いのか。
ふと、雪乃はなんだか可笑しくなって思わず笑ってしまった。
「あん? 何をそんなに浮かれてやがる?」
「いやぁー…匡成さん、本当にその人の事好きなんだろうなーって? てか相思相愛?」
「お前なぁ雪乃、好きだなんだ言っといてなんでそんなに笑ってられんだ?」
苦虫を噛み潰したような顔で言う匡成に、雪乃はあっさりと考えを暴露する。
「匡成さんが再婚できないって、本命の人が男だからでしょ? で、一意が男とくっついちゃって跡取り作れないからもう一人欲しいって事じゃない。一哉も居てこれだけ条件揃ってるのにそんなに悩むって事は、本命さんがもの凄く嫉妬深いのかなー…とか思って? 匡成さんもそういうの考えちゃうくらいには、その人の事好きなんだろうなー…って思って。てか匡成さんが女遊びやめてるって時点で相当だよねー」
ケラケラと笑う雪乃の頭を、匡成は苦い顔をして指先で弾く。女というのは、こういうところが鋭いから困るのだ。
「痛っ」
「ったくよ、お前見てっと悩んでる俺が阿呆らしくなってくんな…」
「あー…じゃあ本命さんが嫉妬深いのは当たってる?」
「ああ」
さすがにここまでくると隠し立てしたところで無意味だろうと、そう思う匡成は白旗をあげることにした。昨日の電話の後の事を掻い摘んで話した匡成が、雪乃にゲラゲラと笑われたことは言うまでもない。
「あはははっ、匡成さんが尻に敷かれる日がくるとはねーっ」
「うるせぇんだよ」
「あーヤバい。匡成さん可愛いって言ったら怒る?」
「もう言ってんだろ…」
「だってー…、そんな匡成さんが見れるとはっ。ふふっ、めっちゃ嬉しい」
両手で口許を覆い隠すように笑う雪乃は頗る幸せそうで、匡成はやはり何とも言えない表情をするしかなかった。どうにも勝てない気がしてならない匡成だ。
そんな匡成の様子に、雪乃は口許へとやっていた手を離すと僅かに真面目な口調で言った。
「でも匡成さん。あたしは本気だし、他の女と再婚するくらいならあたしを選んでよ。一哉にもちゃんと話してあるから」
「っ…お前…」
思わず言葉に詰まる匡成をじっと見つめる雪乃は、実際のところ既に一哉には話をしてある。そもそも匡成に告白しようと思うからには息子の意見を聞くのなど当然の事で、そうでなければ雪乃は告白などしていない。
些か重い空気が漂う中、匡成が口を開こうとすれば懐で携帯電話が着信を告げた。
「ああ、すまん」
「ううん」
開いた液晶には『一意』と、それだけが表示されていた。恋人であるフランス人と船旅に出ている息子である。
雪乃を見れば小さく頷かれて、匡成は通話ボタンを押した。
「よう、一意か。どうした」
『別に用はねぇよ』
『匡成の声が聞きたくなってね』
素っ気ない息子の声の後に、一意の恋人であるフレデリックの声が聞こえてきて思わず笑ってしまう匡成だ。一意と同い年のフランス人は、匡成にも屈託なく話しかけてくる。旅行が嫌いな一意を無理矢理連れ出し、ほぼ一年に及ぶ船旅へと引っ張り出した男は、金髪に青い目をした外見で流暢に日本語を話す。
ふと、近況を訪ねながら匡成は雪乃を見やりながら小さく息を吐いた。
僅かな不安がないでもないが、どうにかなるだろうと…いや、どうにかすればいいかとそう思う匡成は、ニヤリと口の端を持ち上げる。
「お前らに、話して置かなきゃならねぇ事があってな」
なんだ…と短く返す息子の声を聞きながら、匡成は隣にいる雪乃の頭をぽんぽんと軽く叩いた後、人差し指を唇にあてながら口を開いた。
「再婚すっからよ」
『はあ!?』
『嘘…』
電話の向こうで驚きに満ちた声が上がるのと同時に、雪乃の目が見開かれる。
「お前ら帰ってきたら仕事預けて旅行に行くから頼んだぞ」
『いや待て親父、再婚って聞いてねぇよ』
「言ってねぇからな」
『匡成、相手はいくつなんだい?』
すかさず相手の年を聞いてくるフレデリックの魂胆は、匡成には分かりきっていた。思わず苦笑が漏れる匡成である。
「フレッドおめぇ、一意に弟作れって魂胆だろう」
『当然じゃないか。僕は女じゃないからね、子供だけは産めないんだよ』
『まさか親父、そのために再婚すんじゃねぇだろうな?』
一切の隠し立てもなく自分に子供は産めないと言い放つフレデリックと、些か複雑そうな声音の一意。どちらも匡成にとっては可愛い息子たちである。ともあれ、口も悪ければ躰も態度もでかいながら、妙なところで心配性な実の息子の不安は実際的中していた。
だが、そんなものに『はいそうです』と答えるような匡成ではない。ゆるりと、雪乃の頭を匡成が撫でる。
「あぁん? いいか一意、惚れた女がいっから結婚ってのはするもんだ。誰がお前のために再婚なんぞするかよめんどくせぇ」
ぶっきらぼうに告げる匡成に、数日後には日本に船が寄港するから食事でもどうかと尋ねたのはフレデリックだ。
「ああ、構わねぇよ。ちょうどいいからそん時にでも相手紹介してやる」
場所と時間はあとで一意にメールする旨を告げて電話を切った匡成に、雪乃が飛びついた。
「匡成さんっ!!」
「おい雪乃。じゃれつくのは構わねぇがな、本当にいいのかお前」
電話で堂々と息子に言っておきながら、僅かばかり不安そうに言う匡成に雪乃は頗る嬉しそうな顔を見せた。
「駄目な訳ないじゃん! 惚れた女って言ってくれたの、嘘でも嬉しいもん!」
「そうは言うが雪乃よ。お前ちょっと聞け」
真面目な声音で言う匡成に、雪乃は腕から手を離すと姿勢を正した。
「あ。やっぱ腕とかに抱きつかれると困ります?」
「そうじゃねぇよ」
はしゃぎ過ぎたかと反省する雪乃にあっさりと否定を返した匡成は、雪乃の頭を軽く撫でる。
「いいか雪乃。俺はお前と再婚したとしても一緒に居てはやれねぇよ。その代わり、お前と一哉の面倒はきっちりみてやる。だがな、もしお前にこの先、惚れた男が出来た時は隠さず正直に言え。一哉を返しちゃやれねぇが、お前の事はちゃんと放してやっから」
「匡成さん…」
「俺はお前を愛しちゃやれねぇが、お前も一哉も大事にするって誓ってやる。それでいいなら…俺と結婚してくれ」
些かならず尊大なプロポーズだと匡成自身思わなくはないのだが、それ以上言えることがない。というより、改まってこんな事を口にしたのは初めての匡成だ。
雪乃の気持ちに漬け込んでいる自覚はある。虫のいいことを言っている自覚もある。だが、不自由だけはさせないと、そう思う匡成だ。匡成が雪乃にしてやれる事は、それくらいしかない。
「どうしよう匡成さん…匡成さんにそんなこと言われたらあたし、明日死んでもいい…」
「阿呆か。馬鹿な事言ってねぇで顔拭け。お前の家族に見られたら申し開きも出来やしねぇ」
ぐいっと親指の腹で頬を拭う匡成に、雪乃が笑う。
「そういう事は…しても嫉妬されないの?」
「っ…」
雪乃の言葉に、匡成は思わず手を止めた。今まで気にしたこともない。というより、雪人以外にこんな事をした事もない。
「……正直、分かんねぇな。なんつーか…、嫌がるもんなのかよ?」
「どうだろ。でも女の声が電話から聞こえただけでそれだけ凹んじゃうくらい匡成さんの事が好きなら、嫌がるんじゃないかなぁ」
さらりと言う雪乃に、そんなものかと思う匡成は、はっきり言って相手の気持ちなど考えた事がない。というよりむしろ、相手に気を遣いながら付き合った事がない。嫌なら別れればいいし、それでもなおそばに居たいと言うのなら居ればいいと思っている。
と、そう匡成が告げれば、雪乃は大袈裟に肩を竦めてみせた。そしてあっけらかんとした口調で言い放ったのである。
「匡成さんて、嫉妬されてから気付いて慌てるタイプだよねー」
「ああ?」
「何それ…めっちゃ見たい…っ」
ぷくくっと、何やら楽し気に笑う雪乃に、匡成の眉間に皺が寄る。
「お前はいったい何を考えてやがる」
「匡成さんのそういう一面が見れるだけであたしは嬉しいし、満足出来ちゃうんだよね。そのうえ大事にしてやるなんて言われたら、もう他には何も要らないって感じ?」
よくわからんと、匡成がそう口にすれば、雪乃は些か真面目な顔をして言った。
「きっと全然関係ない人の方が匡成さんは気にしなくて良かったと思うし、養子だけ取るって選択肢もあったはずなのに…あたしにしてくれてありがと」
「お前の気持ちがどんなもんなのかは俺には分からねぇがよ、辛くなったら言え。ちったぁ遊んでやる」
雪乃とその家族に店の前まで見送られた匡成は、しっかりと次の約束を取り付けていた。今度は匡成の方から招待すると、そう言って。雪乃と一哉をもらうからには、通すべき筋はきっちり通すつもりでいる匡成だ。
設楽がハンドルを握る車を見ても、雪乃の家族の態度は何ら変わる事はなかった。それを思えば、きっと雪乃は最初からきちんと話を通してあったのだろうと分かる。だが、あまりにも身勝手な条件を匡成は突きつけているのだ。そんな再婚を、雪乃の両親が黙って許すとまでは到底思えなかった。
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