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 ごろりと寝返りを打って、匡成は小さく息を吐いた。  ―――ったく、ガラじゃねぇんだよな。つぅかあの馬鹿…またとんでもねぇ事考えてんじゃねぇだろうな…。  雪人は、匡成が思うよりも繊細で、そして大胆だ。挙句、何の相談もなく一人で思い詰めて暴走する。どれだけ匡成が気持ちを伝え、態度に表したところで信用されないのだからどうしようもない。  不意に嫌な予感が胸をよぎって、匡成はその身を起こして寝台から降りた。一服点ければ少しば落ち着くかと、今しがた脱いで粗雑にソファへと放り投げた服から煙草を取り出す。バルコニーへと出ようとして窓に歩み寄り、この部屋に目当てのものがない事に気付く。大きな窓はあれど、それは外に出られる仕様ではなかった。 「チッ」  思わず舌打ちをする匡成は、この屋敷に越してきてからというもの、夜はバルコニーで一服点けるのが日課になっていた。庭にこれでもかと植えられている木々や花々の匂いは匡成にとって、物珍しくもあり、どこか心を落ち着かせてくれる。それを、密かに気に入っているのだ。  無駄と承知で窓を開けてみるものの、やはり部屋の中は部屋の中である。解放感もなければ、風はあってもどこか物足りなさを感じてしまった匡成は、点けたばかりの煙草をもみ消して部屋を横切った。   ◇   ◇   ◇  部屋を出た匡成は、無人の広い廊下を突っ切ると目の前の部屋の前に立つ。ドアノブに手をかけようとして一度思いとどまり、ノックをしようとして再び動きを止める。  ―――どこまで気を遣ってやらなきゃならねぇんだ? 阿呆くせぇ。  一人になりたいと言った雪人の言う事を思わず聞いてしまった自分に気付いて苦笑を漏らす匡成は、誰かに指図される事がそもそも嫌いである。というより、親が死んで以来、立場上誰かに何かを指図された事もない。あるとするならそれは、仕事上の数少ない年寄りの誰かだ。  結局、そのままドアノブを掴んだ匡成は部屋の扉を無造作に開けて中に入り込んだ。見慣れた部屋に雪人の姿がない事を訝しみ、僅かに眉をあげる。  だが、風に煽られた真っ白なレースのカーテンがふわりと舞って、雪人がどこにいるのかを匡成は察した。  大股で部屋を横切り、匡成は元より目当てにしていたバルコニーへと出る。開いたままの窓枠を跨ぎ超えたところで、小さな声が聞こえて動きを止めた。 「あ?」  広いバルコニーを見回してみれば、随分と端っこの方に蹲った雪人の姿がある。思わず発した声が届いていないのか、こちらに気付いた様子もなく丸まったままの陰に眉根を寄せて、匡成は頭を掻いた。  なんと声をかけていいものかと考えつつも、匡成は煙草を咥えて火を点ける。やはりここが一番だとそう思いながら吐き出した紫煙は、風に乗って夜空へと消えていった。  風上にいれば当然、煙草の匂いは雪人の元へと届き、手摺の下で蹲っていた影が大袈裟なほどに震えるのが匡成には見てとれた。次いで、怯えたような困惑したような弱々しい声が聞こえてくる。 「……まさ…なり…?」 「ああ?」 「どうして…」 「自分ちのどこで煙草吸おうが俺の勝手だろぅが」  立ち上がる気配もない雪人の元へと匡成は歩み寄った。声からして雪人が泣きじゃくっているのは分かっている。案の定『来るな』と、そう言う雪人に、だが匡成が足を止めることはなかった。 「誰に指図してんだお前」 「っ…」 「それとも、俺が寄っちゃいけねぇ理由があんのかよ?」  ゆっくりと近付く匡成の声に、雪人が小さく首を振る。それは、イヤイヤと嫌がっているのか、理由などないと否定しているのか、匡成には判断がつきかねた。  いくら嫌がったところで構うことなく匡成は蹲る雪人の元へと歩み寄ると、咥え煙草のまますぐ横の手摺に凭れ掛かった。 「お前はどうせまた女になりてぇとか馬鹿な事考えてやがんだろ」 「ぅっ……違…ぅ」 「じゃあ何考えてんのか言ってみろ」  呆れたように見下ろす匡成の視線の先で、雪人がゆるゆると頭を振る。その頭を見遣り、やはり一人にするべきじゃなかったと、匡成は煙とともに苦々しい吐息を吐き出した。短くなった煙草を掌に握り込んでくしゃりと潰す。 「言いたかねぇならそれでも構わねぇけどな、雪人よ。俺にはお前が何をどう考えてそうなってんのかさっぱり分からねぇよ。だがな、俺はお前を放してやるつもりはねぇかんな」 「どう…して…。俺が…嫌だって言ったら出ていくって…そう言ったのはお前だ…」  震えながらも吐き出された言葉に、匡成は雪人が何を考えていたのかを悟った。同時に馬鹿らしくもなる。 「ああそうかよ。お前は、本当に馬鹿だよな」  短く嗤う匡成は、もういいやと、些か投げやりな気分になった。ガラにもない事はするものじゃない。最初から。  億劫そうにその場に胡坐を掻いた匡成は、無造作に雪人の前髪を掴み上げて顔をあげさせた。荒々しいその行為に雪人の眉間に皺が寄る。  匡成の口から吐き出された声は、いつもよりも低く雪人の耳に届いた。 「面倒くせぇな。お前の気持ちなんぞ汲んでやろうとした俺もらしくねぇ」 「っ…」 「いいか雪人、覚えとけや。俺はもう二度とお前の気持ちなんぞ聞いてやらねぇよ。俺が要らねぇって思うまでお前を放すつもりもねぇ。わかったな?」 「な…っ」  あまりにも自分勝手な匡成の言い草に、雪人は思わず目を瞠った。その視線の先で、匡成の唇が意地悪そうに弧を描く。 「返事しろとは言わねぇよ。どうせお前が嫌だっつったところでどうなるもんでもねぇからな」 「どうして…そんな風に…。勝手すぎる…」 「ああ? 馬鹿じゃねぇのかお前。極道が勝手すんのなんざ当然だろぅが。お前は俺を何だと思ってやがる? 恨みてぇならノコノコ俺んとこきて女にしてくれなんて宣った手前を恨めよ」  髪を掴んでいた手を放されて、雪人はその場に項垂れた。音もなく立ち上がった匡成は、それ以上何を言う事もなく部屋へと入って行ってしまう。  取り残された雪人は、匡成の態度が急に変わったことの意味に気付いてボロボロと零れ落ちる涙を止めることが出来なかった。とんでもなく傍若無人で、途轍もなく優しい男だと、そう思う。  ただただ確かめたくて『どうして』と問いかけた言葉は、匡成に馬鹿にされても仕方がないと雪人自身思う。雪人に自信がないという事を、匡成はそれだけで悟ったのだろう。勝手をするのが自分だと口悪く宣いながら、匡成は居場所を与えてくれるのだ。  お前が何を考えているのかわからないと言いながら、雪人の考えている事に、きっと匡成は気付いてしまったのだろう。だから匡成は、すべてを自分のせいにしていいと開き直ったような態度を見せる。  そんな男を嫌いになるなど、諦められる筈などないと雪人は思う。 「お前は…狡いよ匡成…。こんなに好きにさせておいて…悩ませてもくれないのか…」  ぼんやりと星空を見上げ、小さく囁いた雪人の声は、やはり誰にも届くことなく風に乗って消え去った。  自分の考えが行き着く先など匡成にはとうに知られているのだろうと思えば、雪人に逆らう術はない。それでも、少しくらい悩ませて欲しいし、少しくらいの責任は背負わせて欲しいと雪人は思ってしまうのだ。  開け放たれたままの大きな窓を見遣り、次いで肌寒さに僅かに躰を震わせた雪人は、ゆっくりと立ち上がると胸いっぱいに夜気を吸い込んだ。そのまま叫んでしまいたい衝動を飲み込んで苦笑を漏らす。  雪人が部屋に戻ってみれば、匡成は既に寝台の上で目を閉じていた。窓を閉めて、匡成を起こさないようにゆっくりと寝台にあがる。  僅かに寝台が軋みをあげる度に躰が竦んでしまい、雪人はいつも寝ている場所よりもだいぶ端っこの方へやっとの思いで躰を横たえた。  ふぅ…と小さく息を吐く。いったい何をそんなに怯えているのかと雪人自身思いはするのだが、怖いというより恥ずかしいというか、気まずい。  だが、雪人が安心できたのは束の間。もちろん匡成が寝入っている筈もなく、腕を捕らわれ引き寄せられたことは言うまでもなかった。  それこそ一瞬にして、雪人は匡成の腕の中に引きずり込まれていた。嬉しいような恥ずかしいような、でもやっぱり気まずくて俯く雪人の耳元に低い声が流れ込む。 「ぷるぷる震えてねぇでさっさと来い阿呆」 「匡成…」 「忘れんなよ雪人、お前の居場所はここだ」 「…はい」  しっかりと腕に抱かれながら匡成に言われてしまえば、抗える筈などなくて。抗うどころか雪人は顔を赤くして匡成の胸へと甘えるように躰を擦り寄せる。 「匡成…ちゃんと帰ってきて…ここに…」 「最初から素直にそう言え。人の事追い出しやがって」 「ごめんなさい…」  素直に謝った雪人は、ふと思い立って匡成の顔を見上げた。 「匡成…本当にもう俺の我儘を聞いてくれないのか…?」 「聞くか阿呆。碌な事になりゃしねぇ」 「ぅっ……キス…したい…のに…」  しょんぼりと俯く雪人の耳に、くつくつと喉を鳴らして嗤う匡成の声が流れ込んでくる。可笑しそうなその声に恥ずかしくなって顔を赤くしていれば、あっという間に雪人の顎は捉えられていた。強引に上向かされた視線の先、すぐ間近に大好きな匡成の顔がある。 「ま…さなり…」 「気持ちも我儘も聞いてやるつもりはねぇよ。だが強請りてぇなら強請らせてやる」 「キスして…」  恥ずかしくて泣きそうになりながら口にすれば、雪人はそれだけで躰の奥底に熱が溜まっていくのを感じた。良く出来たとでも言うように口付けを落とされて、じんわりと気持ち良さが全身に広がっていく。  歯列を割り開いて口腔へと侵入してくる舌は匡成らしく強引で、雪人は翻弄されながらも必死に唾液を飲み下した。 「んっ…ぁふ…ぅっ、もっと…まひゃな…ぃ」 「くくっ、ほっぽり出されたくなきゃ精々そうやっておねだりしてろよ雪人」 「ぅ…んっ、…する…。はっ…ぁ、まさ…な…っ、すき…っ」  求めるように伸ばされた雪人の腕が、匡成の首の後ろに絡みつく。『離さないで』と涙を浮かべて懇願する雪人は、匡成がこれまで付き合ってきたどの女よりも従順で、素直で、色っぽい。  それなのに、どうせまた男だ女だと雪人はひとり悩んでいたのだろうと思えば、苦笑しか漏れない匡成である。  雪乃をみればやはり女の方が強かだと思う匡成は、雪人が可愛らしく見えて仕方がない。  時たまに”男らしく”暴走する雪人には振り回される事もある匡成だが、どうにも放り出す気になれないのだからこれはもうどっぷり惹かれてしまっているのだろうとそう思う。  いずれ雪人と雪乃が顔を合わせる事もあるだろうと思う匡成は、確実に雪人の方が押し負けるのではないかという気がしてならないのだが、果たしてどうなるか。  ともあれ今は腕の中で恥ずかし気に身悶える雪人に、年甲斐もなく欲情する匡成は思う存分口腔を貪り、求められるままに抱き締める事で手一杯だった。

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