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◆ 後日談 ◆

 一片の曇りもなく磨き抜かれた大きな姿見に映る自分の姿を横目で見遣り、匡成は深い溜息を吐き出さずにはいられなかった。  上質な生地をふんだんに使い、頗る着心地が良くデザインも洗練された真っ白なタキシードは、もちろん恋人である雪人がフルオーダーであつらえさせたものだ。その値段は、知りたくもない。  今しがたまで同じ部屋にいた雪人もまた、僅かなデザインの差はあれど白いタキシードを着て上機嫌だった。  そう、ここは都心から小一時間ほど離れた場所にある結婚式場の控室である。  だからといって挙式をする訳ではもちろんない。それなのに匡成はタキシードを着せられ、雪人もまたタキシードを着ているのは、すべてが雪乃のせいだった。  ―――どうしてこうなった。  心の中で呟いてみても、二対一では匡成に歩などない。  一度目の結婚で着る事が出来なかったウェディングドレスを着てみたいと口走った雪乃に、雪人の暴走が始まった事は言うまでもない。そもそも雪人は、女を甘やかす…もとい、喜ばせるのが好きだと言う。  意外というよりむしろ、古くから付き合いのある雪人の性格を把握していた匡成の、いわばこれは嫌な予感が的中した結果である。  幾度吐き出しても出したりない溜息を漏らす匡成は、耳に軽やかなノックの音が聞こえて渋々ながら返事を返した。  ドアを開けたのは、この式場のスタッフであり、ウェディングプランナーという肩書の名刺を持つ女だ。  大勢の人間の視線に晒されるのだけはまっぴら御免だと言って匡成が譲らなかった甲斐あって、式場のスタッフは彼女しかいない。他には、雪人と雪乃、それにカメラマンが一人である。 「辰巳様、準備が整いましたのでこちらへお願いいたします」 「二人はどうした」 「お二方とも、先に教会の方でお待ちになられております」  にこやかに告げる女の笑顔が、匡成には悪魔に見える。かといっていつまでも渋っているのも大人気がないと思えば、匡成はいつになく険しい顔をしながらも女の後について部屋を出ていった。  女に案内されて建物を出ると、手入れの行き届いた庭のような空間に白亜の教会が鎮座している。それを見るだけで匡成は暗澹たる気持ちになるのだが、取り巻く環境は正反対だった。  晴れ渡る空に響く鳥のさえずりはまさに挙式を挙げるふたりを祝福しているようだった。樹木で出来たアーチには色とりどりの花々が咲き乱れ、それはもう見る者を魅了する。風に揺れる木々のざわめきでさえ、計算し尽くされているかのような感動を与えるほどに完璧な空間が目の前には広がっていた。  ―――勘弁してくれ…。  異質だと、そう思う。この空間がではない。匡成自身の存在が、だ。  美しく整えられた小径の先で、匡成に向かって手を振る超絶笑顔な雪人と雪乃が眩しかった。 「匡成」 「匡成さんっ」  満面の笑顔でドレスの裾を持ち上げ、そう、まるで少女のように駆け寄ってくる雪乃と、その後ろをゆったりとした足取りで近づいてくる雪人もまた穏やかな表情だ。  あっという間に左右から腕を取られた匡成の顔が、奇妙に歪む。 「またそんな顔してるー! せっかくの男前が台無しじゃないですか!」 「とても良く似合っているから心配は要らない、匡成。モデルと言っても通用するから安心しろ」  口々に慰めるように言う雪乃と雪人に、匡成は口許を僅かに引き攣らせる事しか出来なかった。 「お前ら会わせんじゃなかったな…」 「どうしてだ。娘が出来たみたいで俺は嬉しいぞ?」 「ホントに!? あたしも雪人さんみたいに優しくて紳士なお父さんいたら嬉しい!」  二人を引き合わせるまでの匡成の心配などなんのその。すっかり意気投合してしまっている雪人と雪乃は、どうやら互いに親子のような関係で落ち着いてしまったようである。  だが、匡成にとってそれは、言うなれば嫁と娘がクソほど仲の良い家庭のお父さん的ポジションな訳で…。そのうえ無駄に女に甘…もとい、優しい雪人の性格が手に負えない。 「だったらお前が娘にしてやれよ雪人」 「何を言うんだ匡成。冗談にしても悪趣味が過ぎるぞ。お前の養子というのならまだしも、さすがにそれじゃ…」 「あっ、でも雪人さんって匡成さんの養子になってるのか!」 「書類上では匡成が養父という事になっているな」  ふーん…。と、何かを考え込むような雪乃の様子に、匡成の表情が微妙に引き攣る。また突拍子もない事を言い出すのではないかと思えばそれも致し方のない事ではあるのだが。どうにも雪乃の考えは、雪人とも違う方向を向いて随分と斜め上を行くのである。匡成にとって。  そして、雪乃は雪人が嫉妬深いという事を、お父さんなどと言いつつもしっかりと知っているのである。 「あたし、やっぱ匡成さんの事好きだけど、雪人さんも娘みたいに思ってくれててすごく嬉しいんだよね。だから雪人さんがちょっとでも嫌だなって思うなら、匡成さんと結婚出来なくてもいいよ?」 「それは駄目だ雪乃。匡成も俺も、ちゃんと納得して…」  突然何を言い出すのかと言い淀む雪人に『まあまあ』とそう言って笑いながら、雪乃は匡成を見た。 「んー…って言うかさ、匡成さんって元々一意のために跡取り欲しかったんでしょ?」 「そう身も蓋もねぇ言い方されちまうとどうしようもねぇが、まあそうだな」 「だったら一意でもいいけど?」 「あ?」 「は?」  思わずぽかんと口を開ける男二人に、雪乃は可笑しそうに笑う。 「あたしの匡成さんに対する好きってどっちかって言うと家族みたいな好きで、それって恋人の延長かって聞かれたらなんか違うなって思うんですよね。ほら、年も離れてるし憧れの方が勝っちゃうっていうか…」 「だが雪乃よ。お前はそう言うがな、一意だって相手いんだぞ」 「それを言うなら匡成さんも変わらないし。この間横浜でフレッドさんと少し話したけど、きっとフレッドさんは雪人さんほど書類上の関係とかって気にしないと思うんですよね。もちろん一意も気にしなさそうだし?」  さらりと、こうして雪乃はたまに恐ろしい事を言う。  確かに、先日一意とその恋人、フレデリックと雪乃は横浜で顔を合わせた。もちろん一哉も一緒に、だ。そしてその時の雪乃は、何故かフレデリックと気が合ったらしく、楽しそうに話していたのである。 「だってあたしはちゃんとこうして匡成さんに大事にしてもらえて、雪人さんにも可愛がってもらえるなら、それだけで幸せだし満足出来ちゃうから。もし一意と結婚しても、こうして幸せでいられるならいいんじゃないかなって」 「雪乃…お前なぁ…」 「あっ! でも一意がいるだろうって匡成さんに放置されるのは嫌ですよ!? 一意絶対あたしに構ってくれないしあれ!! 匡成さんみたいに大事にもしてくれないから!」  慌てたように『あたしが好きなのはあくまでも匡成さん!』と、そう言い張る雪乃に、思わず顔を見合わせる匡成と雪人である。  どうにも娘に振り回される父親の様相を呈してしまい、匡成と雪人は思わず同時に噴き出した。 「何というか…雪乃は強いな…。匡成が振り回される訳だ」 「まったくだよ。一意なんかよりよほど肝据わってんじゃねぇのかお前」 「そうかなぁ。あたしが娘になっても匡成さん大事にしてくれる? 雪人さんもお父さんみたいに可愛がってくれる?」 「「ああ」」  雪人とふたり頷いた匡成は、ぽんぽんと雪乃の頭を軽く叩いてニッと口の端を吊り上げる。 「お前になら、安心して辰巳の家も任せられそうだ」 「ホントに!? どうしよう…雪人さんにこんな素敵なウェディングドレス着させてもらって、匡成さんにも大事にしてもらえて、あたし明日死んでもいいかも…」  ぐすりと僅かに涙ぐむ雪乃に、匡成と雪人は顔を見合わせて笑ってしまう。 「お前、これから家任せるっつってんのに縁起でもねぇ事言うんじゃねぇよ」 「そうだぞ。せっかくお前に似合うドレスを用意したのに、笑顔でいてくれないと困るじゃないか」  言いながら匡成と雪人の二人に頭を撫でられ、雪乃は嬉しそうに微笑んだ。  最初はガラじゃないと気乗りしなかった匡成ではあったが、なにかと雪乃に笑わされ、結局三人は時間いっぱい撮影や会話を楽しんだのだった。  後日届いた写真には、雪乃を挟んで幸せそうに笑ったものやら、雪人と匡成のツーショット、もちろん匡成と雪乃だけのものもあれば、雪人と雪乃だけの写真もある。それらはどれもこれも、三人が幸せだと一目で分かる仕上がりになった事は言うまでもなかった。  ちなみに、当人の居ないところで決められた結婚話は当然一意の不興を買うのだが、それはまた別の話。 END

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