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第3話 ふたりのベータ

「えっと、そうだ。俺の他に、臣ちゃんに適合者がいること、知ってる?」 「え? ああ、まあ……」  ひととおり部屋を案内してもらったあとで、リビングに戻ると、紅葉は臣にそう語りかけた。  臣は「巣ごもりのしおり」を取り出して、担当者が言っていた色々なことを思い出しながら、少し後悔していた。正直、婚姻なんて、ゲームのガチャみたいなものだと思っていたから、つがいになるのも運だろう、ぐらいにしか考えていなかった。が、今のところ、完全に賭けが裏目に出ていた。  オメガは、一人のアルファの他に、適合率の高い順にベータ二人とも婚姻することになっている。結婚後も長くQOLの高い生活を送ってもらうための工夫だと言っていたが、要するに飽きがこないように、いろいろな相手を用意し、様々なバリエーションの性生活を送れる工夫がしてあるのだろう。げんなりするが、一妻多夫制になってしまうのは、オメガが少数であるゆえの自然の摂理である、と説かれていた。 「ベータの別倉林檎と別倉蜜柑。二人とも、出ておいで。臣ちゃんがきたよ」  紅葉が声をかけ、傍にあったベルを鳴らすと、ベータの私室から、二人の男がいそいそと出てきた。  今度は知り合いでも友人でもないことに、胸を撫で下ろす。  二人は、どちらも後ろに緩く流した黒髪に、実直そうな二重が印象的だった。二十代半ばだろうか。臣や紅葉より年上に見えた。二人とも、どこか互いに似た雰囲気があり、すらりと細くて、紅葉ほどではないが、臣よりも身長がある。 「男……?」 「俺も臣ちゃんも男性だから、男同士を「装置」が選択したんじゃないかな」  紅葉の言葉を受けて、より背の高い方が、口を開いた。 「別倉林檎といいます。こちらはパートナーの蜜柑です」  少し険のある顔立ちの林檎が言うと、林檎より少し優しげな儚さを持った蜜柑が、林檎に倣って軽くお辞儀をした。 「別倉蜜柑です。よろしくお願いします、臣さん」 「名字が同じだけど、パートナーって……」  嫌な予感がした臣が指摘すると、林檎から、斜め上の回答が返ってきた。 「わたしたちは、腹違いの兄弟です」 「は!?」  腹違いってあれか?  父親が一緒ってことか?  それがパートナー……? ってことは……倫理的にどうなんだ……? と臣がぐるぐるしているうちに、紅葉が臣を振り返った。 「臣ちゃん、彼らはカップリング申請して、通ったんだ」 「えっ、でも……男同士だろ?」  意中の相手ができてしまった場合の救済措置として、人口の大半を占めるベータにだけは、カップリング申請という抜け道があった。将来、想い人との間に、子供を二人以上儲けることが最低条件になるが、その誓約書にサインさえすれば、ほとんどの場合、カップリング申請は通ると言われていた。しかし、二人ともベータの男性である以上、子供は望めないはずだが……、と臣が思っていると、林檎が蜜柑の手を握って、言った。 「我々は臣さんと適合したので、臣さんとの間に子を儲けるという条件で、ベータ同士でのカップリングが成立したのです」 「ちょっ……と、待ってくれ……」  ──そんな反則……いや、変化球、ありなのか?  つまり、臣は紅葉の他に、林檎と蜜柑との間にも、最低、ひとりずつは子供をつくらなければならないことになる。それって、よくよく考えたら、毎晩乱交レベルなんじゃないか、と臣は思う。覚悟はしていたが、一度に三人とするとか、俺の身体、壊れたりしないのか……? と今頃になって、様々な危惧とともに疑問が芽生えた。 「大丈夫。ちゃんと順序があるから」  紅葉が、臣を安心させるように言った。 「俺が一番適合率が高いから、俺、林檎、蜜柑の順にきみを抱くことになるけど、そもそもアルファの許可がなければ、基本、ベータはきみには触れられない」 「ま、待て。お前が許可したら、どうなるんだ……?」 「臣ちゃんが4Pしたければ、俺はかまわないよ?」 「よんっ……ばか! そんなんしたら、死ぬだろ!」  思わず想像して、怒鳴ってしまった。ここにいる誰かに──、最初は、紅葉に抱かれることが決まっているのだと思うと、鼓動が速くなる。 「死にはしないと思うけど……、嫌なら許可しないから、安心して」  苦笑しながら言う紅葉の言葉を聞いて、臣は胸を撫で下ろした。どう考えても三人はキャパオーバーだ。死ぬ。絶対に死ぬ。確実に死ぬ。 「でも果物たちは、ベータにしてはすごく優秀なんだ。今日からよろしくね、臣ちゃん」  とろり、とろり。  紅葉が笑うたびに、身体の奥から何かが少しずつ、湧き上がってくる気がする、臣だった。 ***  果物たち、と形容された林檎と蜜柑がキッチンで夕食を準備している間、臣と紅葉は旧交を暖めた。とはいえ、昔、虐めていた相手と、虐められっ子である。ほとんどの想い出は、臣が威張って紅葉が泣く、という類の酷いものだった。  夕飯をみんなで食べて、ひと心地ついた頃、アルコールを飲むかどうか訊かれたので、臣は頷いておいた。  オメガは発育と発情周期に影響するという理由から、カフェインとアルコール類は、婚姻するまでNGだ。臣はオメガだとわかった十二歳の春から、ずっとカフェイン類を摂取していない。アルコールは成人するまで駄目なので、今日が初めての飲酒日となる。  黒ビールをグラスに半分、注いでもらって、飲んだ。  それでふわっとなるのが、わかった。 「臣ちゃん、今日花火大会があるんだよ?」  臣と同じく黒ビールを飲んでいた紅葉が言った。 「花火……?」 「あ、ほら」  紅葉が指差した瞬間、リビングダイニングの突き当たりにあるサンルームの硝子一面に、ぱっと色とりどりの光が散った。ドン、という音が後から聴こえてくる。 「うわ……!」  無駄にデカい。近い。 「本物?」 「外に出てみようか? 涼しいと思うよ」  臣が問うと、紅葉がサンルームの硝子戸を開けた。一緒に付いていくと、不意に入ってきた生暖かい風が、ヒュウと頬を撫でる。こっくりと濃い初夏の空気が、臣たちを取り巻いてゆくのがわかった。蜩の声もしない、都会の一角にある「つがい機関」から見る花火は、夜空に咲く大輪の花だった。 「……きれいだな」 「うん」  バルコニーに据えられたベンチに、頷いた紅葉とともに腰掛ける。少し火照った頬が恥ずかしくて、臣は気づかれないように、紅葉と距離を取った。  大事な夜だ。酔い潰れるわけにはいかない。それに、紅葉が相手なら、臣がしっかりリードしてやる必要があるだろう、と思った。幸い、「巣ごもりのしおり」には、アルファとつがう方法について、微に入り細に入り、図入りで書かれていた。一応目を通してくれと担当者に言われて、その場で黙読させられたので、経験がなくとも、ある程度は、何とかなるはずの知識が備わっている。  隣りに座った紅葉の横顔を盗み見ると、花火の灯りに輝いては、ゆっくり闇に溶けていく。 (──こいつが俺の運命の相手なんだ)  暗闇から浮かび上がる紅葉の頬を見ているうちに、臣の胸に強く迫ってくるものがあった。これからどうなるにしろ、少なくとも、紅葉はこれ以上遠くには行かない。それどころか、カップリングが失敗しなければ、臣のものになるのだ。  それを思うと、疼くような痛みが、胸を過った。 「紅葉、俺……っ、」 「?」 「ちゃんと立派にお前の子供を産んでみせるからさ、よ、っよろしくな!」  あの日、突然引っ越していった紅葉が、どこで何をしていたのか、臣は知らない。傍にいてくれとか、どこにも行くなよとか、そういう情けない言葉の代わりに、だから臣は、未来の約束を投げかけた。失笑されるかと思ったのに、紅葉は驚いて目を瞠っただけで、少し意地悪そうに微笑んだ。 「子供……って、臣ちゃん、エッチ」 「な……っんでだよ。本当のことだろっ」  俺たちは、これから子づくりをするのだから。  そう続けようかどうか迷っていると、紅葉が優しげな表情になり、右手を差し出した。 「もう少しロマンチックにさ。手とか繋いでみたりしない?」  言って、掌を上にして促されると、かえって臣の方が照れるはめになった。 「恥ずかしいだろ、人前で。林檎と蜜柑もいるのに」 「恥ずかしくなんてないよ。いいじゃない。俺は、もっと臣ちゃんのこと知りたいし、愛したいと思ってるし。それに……」 「それに? 何だよ?」 「ん。もっと恥ずかしいことを、今夜はすることになるんじゃないかな、と思って。臣ちゃんは、そういうの、平気なの?」 「だ、だって「装置」が決めた婚姻じゃん」  婚姻、という言葉が、なぜだか急にエッチな意味に聞こえて困った。でも他に何と言い換えればいいのか、わからない。本格的に羞恥を覚えて、臣が突き放すと、紅葉はちょっとムキになった顔をした。 「「装置」が決めたら恥ずかしくないの? でも「装置」が決めるのは適合率だけだよ。でも俺は、臣ちゃんを愛する、って自分で決めたんだ」 「そう……かよ」  紅葉の言葉に、臣は羞恥心から俯いたわけではなかった。  ほんの少し、胸が痛む。  愛するとか愛さないとか、関係ないと思っていた。臣はもっと軽い動機で、婚姻なんてどうせいずれ誰かとするんだから、早く決めた方がいいと思っただけだったからだ。  臣たちは、バース性がまだ定まらない頃から、決められた運命の相手がいると、しつこく繰り返し言われ続ける。それは最初に学び舎に入った時に教わる、教育の根幹に関わってくる事柄だった。だからその辺の奴にホイホイ恋愛感情を抱かないように、慎重に厳しく躾けられ、育てられる。強いて言えば、つがいとなる人にだけは、特別な感情を抱けるように教育される。  だから臣たちは、自分の運命を委ねる巨大な計算システムを、ただの「装置」と呼ぶのだ。自分の半生を決める大事なものだからこそ、神扱いして妙な宗教とかが流行らないように配慮しているように、臣には思えた。  でも、紅葉が婚姻相手なら、悪くない。  神頼みよりは、ずっといい、と思った。

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