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第17話 過去
──俺が、誰を好きか知ってたから、告げ口したんだろ……っ?
デカップリングを提唱した臣に向かって、紅葉は確かにそう言った。
その時、臣は、自分の犯した罪の重さを、はっきりと自覚した。
バルコニーのベンチに腰掛けている紅葉の背中が、臣のいるリビングダイニングから、よく見える。寂しそうに丸まった背中に温もりを伝えたい。けれど、それは臣の役割りではなかった。紅葉が片思いをしていた相手にこそ、相応しい役割りだ。臣は、知らず識らずの間に、その相手を押しのけて、紅葉の隣りの特等席に座ろうとした、出しゃばりで無神経な人間だった。
考えても仕方のないことだとわかっていたが、傷が浅いうちに、紅葉が立ち直るといい。そうすれば、想い人のことを、見つけられる確率も上がるだろう。
でも……。
(──あの時、紅葉を揶揄った面子の中に、本命がいたのかもしれない……)
紅葉には妙に頑固なところがあるあら、それで引くに引けなくなったのではないか。
だから、誰に小突かれても、臣に突き飛ばされても、名前を言おうとしなかったのだろう。
臣は、必死で思い出そうとした。あの時、幼稚園の砂場の一角に集っていたのが、誰と誰だったか、誰がどの言動をしたのか、あとで紅葉に聞かれた時に、ちゃんと答えられるように、今の内にはっきりさせておきたい。
しかし、記憶は遠く、試みれば試みるほど、霞がかかったように、他にあの場に何人、誰がいたのか、わからなくなった。
臣が悩んでいると、少し前に起きて食事を終えた果物たちが、バルコニーにいる紅葉の元から戻ってきた。蜂蜜入りのホットミルクをつくってくれた蜜柑が、臣の傍に、慰めるように座る。林檎は、ソファの後ろに立っていたので表情は見えなかったが、双方とも心配している気配が伝わってきた。
「喧嘩した時とかに、避難できる部屋がないのは、不便ですよね」
そっと蜜柑が気遣いを見せた。
「紅葉、は……?」
どう会話を切り出したらいいか、わからず、共通の話題となると、紅葉のことしかない。できれば傍にいてやってほしい、と思い声を掛けると、林檎が後ろから呆れ気味の声を出した。
「落ち込んで、バルコニーで、ずっと鼻歌を歌ってます。アルファにも、あんなに脆い一面があるんですね」
「そうか……」
そういえば、風に乗って時々、ハミングが聞こえてきていたが、あれは紅葉のものだったのか、と臣は思った。二人きりで遊んでいる時に、いつもヒーローモノのオープニング曲を歌っていたことを思い出す。いじめられっ子の紅葉は、下を向いていることが多かったが、臣と二人の時だけは、一緒に遊べることを楽しそうにしていたはずだ。
どうでもいいことはたくさん記憶されているのに、肝心の知りたいことが出てこないのは、もどかしかった。
「あの、林檎、蜜柑」
「はい?」
「何でしょう?」
臣が呼びかけると、ユニゾンして二人が答える。
何だか双子と言っても、差し支えないほど似ているな、と思ったほどだった。
「昨夜は……悪かった。付き合わせて。その……っ、も、もうあんなことのないように、するから……」
「臣さん……」
「臣さんは、少し間違ってます」
臣が思い切って謝罪すると、隣りの蜜柑が異議を唱えた。林檎は黙っている。ベッドの上では林檎が主導権を握っているように見えたが、普段は逆なのかもしれない。
「僕と林檎は、少なくとも、控えめに言って、臣さんのことが好きです。ですから……紅葉さんに、臣さんの面倒を見るよう頼まれたとしても、最終的に決めたのは、僕らです」
「……紅葉が?」
傷つけられて恨まれても仕方がないのに、紅葉の心遣いに、胸が痛くなる。
「紅葉さんにも言いましたが、昨夜色々話し合って……僕と林檎は、少なくとも臣さんのことが好きだという結論が出ました。ですから……、紅葉さんと婚姻したのが、あなたで良かった」
「そ、う、だったのか」
「はい。その、身体の相性的なものも、良かった、です、し……」
蜜柑が顔を赤くしながら、そっと付け加えた。
その言葉尻を林檎が引き取り、言う。
「あなたが健気に紅葉さんを想っているところが、私は好きです。蜜柑も、同意見です」
顔を上げると、恥ずかしそうに蜜柑が頷いたのが見えた。
臣は赤面した。そんな上等なものじゃないことを知ったら、この二人はどう思うだろうか。
しかし、やがて、紅葉とデカップリングするなら、この状況を二人にも説明しなければ、と思い至った。
「林檎、蜜柑、今回のこと……紅葉からどこまで聞いてる?」
「喧嘩の原因ですか? ひととおりのことは、だいたい。でも最後に、「臣ちゃんの傍にいてあげて」と、紅葉さんが」
自分が一番苦しいだろう時に、紅葉のしなやかな強さに、臣は泣き出すのを何とか堪えた。ひとりの人間として問われる器の大きさに、アルファだからとか、そんな区別は関係ないのかもしれない。
臣は、今まで恥ずかしさが先に立ち、果物たちをなるべく視界に入れまいと考えていた自分の浅はかさを悔いた。彼らだって、ベータである前に人間なのだ。しかも、紅葉と破局すれば、自分たちのパートナーシップが危機に晒されるとわかっていながら、見守ってくれている。
その献身に、臣は向き合わねばならない、と思った。
「あいつ……紅葉の好きな相手って、知らないか?」
「あなたですよ」
あっさり林檎が答えた。
「いや、ここにきてからじゃなくて、もっと昔の……、あいつ、昔の話はしなかったか?」
もしかすると、紅葉の事情を、臣よりも少しは知っているかもしれない、と思い問うたが、林檎は「残念ながら」と、首を横に振った。
「私も蜜柑も、生憎、紅葉さんとは、ほぼ初対面で……でも、彼はあなたの話ばかりでしたよ。幼馴染だと思うって、しきりに言ってましたから」
「珍しい名前だし、間違いないだろう、って」
林檎と蜜柑が、言いながらその時の雰囲気を思い出したらしく、少し空気が和んだ。紅葉が果物たちとどう向き合っているのか、わかるような和やかさだった。
「でも……その、一回、してみせたんだろ……? 紅葉の目の前で。嫌じゃなかったか?」
「命令でしたから。でも、先ほども言ったとおり、決めたのは我々です。それに、彼は見ているだけでした。我々には指一本、触れていません」
「そ、そうか……」
「僕たちは、臣さんと一緒にいる時間の長さは、紅葉さんに、かなわないかもしれませんが、あなたのことを、好きになりました。これも……、「装置」の出した適合率のせいでしょうか」
優しい口調に、臣の心は少しずつ頑なさを解いた。
彼らになら、自分の過去を話すことができるのではないか。今まで誰にも言えずに、心の中に仕舞ってきたこと。紅葉の人生を曲げ、傷つけた、一連の出来事を。
「俺……さ。ちっちゃい頃、紅葉と同じ幼稚園に通ってたんだ」
切り出すと、やにわに果物たちが静かになった。
臣は、ともすると震えそうになる声をどうにか制御し、言葉を継ぐ。
「そこで、俺は紅葉を虐めてた。ちっちゃくて、鈍くさくて、マリモみたいに丸々してて、何か気になって、視界に入ると苛々して、小突きたくなった。ある日、砂場遊びをしてた時、紅葉が誰かを好きらしい、ってことが、周りの奴らにわかっちゃったことがあってさ」
言うと、林檎と蜜柑はわずかに息を呑んだ。
それがどういう意味を持つか、義務教育を受けたことのある者なら、誰もが知っている。
「俺は、何だか頭にきて、紅葉のことを先生に、告げ口したことがあって」
──え、園長先生に言うからな! お前が悪いことしてるって!
その時の臣の言葉に、紅葉が何と答えたのか、大事なことなのにどうしても思い出せなかった。けれど、臣はその後、職員室まで行って、あることないことベラベラ捲し立てたのだと思う。その辺りの記憶は曖昧だったが、紅葉が再教育施設に入れられたのなら、きっとそうだったのだ。
「そしたら先生、凄い形相で紅葉のことを引っ張っていって……、それから、週明けに謝ろうと思ってたら、急に引っ越したって言われてさ。それっきり」
あのあと、うさぎさん組の仲良しグループは、解散させられた。幼稚園でも、一緒に遊んでいると、すぐに担任の先生が飛んできて、引き離す措置が取らた。そういう周囲の振る舞いから、臣は次第に、自分が何を仕出かしたのか、その意味を、ぼんやりと悟るようになっていった。
「住所も電話番号も、どこに引っ越したのかもわからなくて……だから俺は、あいつに借りがあるんだ。でっかい借りが……」
なのに、臣は紅葉が用意したレールの上を、何も知らずに乗り、自分だけ無傷のまま走ろうとした。
これは、そんな最低な自分に対する、罰だ。
紅葉が再教育施設に入れられたとすれば、臣もまた、そうされるべきだった。
「……その話、紅葉さんにしましたか?」
「触りは、した。でも……、喧嘩になった」
臣が言うと、果物たちが顔を見合わせた。
「俺が、紅葉とその子の仲を裂いたんだ。紅葉は、その頃に想っていた相手と、結ばれるべきだ。いや、結ばれなくとも、外に出たら、その子に逢いにいくべきなんだ。なのに、ついさっきまで、そんなことがあったことすら忘れて、俺は、いい気になってた……」
「臣さん……」
「だから、俺は紅葉に、デカップリングを提案した。でも、この婚姻を拒むなら、お前たちにも関係あることだから、了承を取らないとならないけど……。勝手を言って、本当にすまない」
しばらく沈黙が下りた。
軽蔑されただろうと思うとつらかったが、臣の罪には相応しい反応だと思った。これで、果物たちと紅葉が両方とも納得すれば、デカップリングの手続きが取られるだろう。
だが、その時、臣の背後から、林檎が声を上げた。
「その幼馴染の誰かに、あなたは入ってないんですか? 臣さん」
「え……?」
「公平に、話を総合して考えると、あなたが紅葉さんの片想いの相手であれば、全部きれいに話が通ります。あなたがその相手なら、解決する。灯台下暗しと言うではありませんか」
「だ、だって、告げ口したんだぞ! 俺は……っ」
臣が林檎をぱっ、と振り返ると、そんな臣の肩を遠慮がちに蜜柑が触った。
「でも、臣さん。好きな相手には、何をされても愛しいものですよ。ね? 義兄さん……」
愛しげに違いを見つめ合う果物たちを見て、臣は(……そうか)と悟った。阿吽の呼吸で相手のことがわかる。それが運命の恋なのかもしれない。だからこそ、紅葉は彼らのことを「いいよね?」と言い、その関係を羨ましがったのだ。
紅葉も、臣と、そうなりたかったのだろうか。
だが、かなわぬ夢となってしまった今、臣は紅葉にきちんと謝罪する義務があった。
臣の顔色がわずかに変わったのを林檎が悟り、促した。
「蜜柑、臣さんも……、一緒に紅葉さんと話しにいきましょう」
デカップリングするとしても、その前に紅葉と、もう一度、ちゃんと話しておきたい。
臣は、震える手をぎゅっと握り締め、立ち上がった。
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