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二、分岐点⑥
父さんがノックしてから、まだ怒りが収まっていない様子で腕まくりしながら鼻息荒く入ってきた。
冷蔵庫の中身を確認したり、何か飲みたいか聞いてくれて、お茶のペットボトルを貰った。
そしてもうすぐ看護師さんが点滴をしに入ってくると教えてくれた。
「母さんなんだがな」
「うん」
「こんな時で申し訳ないが、まだ安定期に入っていないからお前にも内緒にしていて」
ぶっ
思わず、お茶を吐きだすとすぐにティッシュで拭いてくれたが、父さんは恐縮しながら耳まで真っ赤にしていた。
妊娠してたんだ。しかも僕の弟か妹ができるってことか。
「いやあ、お前が手がかからなくなったし、そのな」
「生々しい話は息子の前でやめて」
そんな話はいい。父さんも母さんも仲良しでいい。
「お前のことがショックで、食事も喉を通らなくなってしまって。お腹の子のことを考えると不安定になっててな。しばらくご実家で療養を医者に勧められている」
「僕のことは気にしなくていいよ。お母さんと子どもを優先して」
「お前も一緒に、いかないか。京都なんだが」
母さんの実家は室町から続く老舗の呉服屋だ。華道家の父に弟子入りして今は父と同じ師範代。恥ずかしくない地位に居る母のことを、祖母たちは誇りに思っている。待遇は良いと思う。
でも僕まで一緒に行くなんて怪しい。何かあったって首の項を見られてしまったらすぐわかってしまう。
「僕は行かないよ」
「でも、怖いんだろ」
「怖いより、許せない。怖いより、怒りの方が僕を繋ぎとめてくれている」
まあ、怖いのは怖いんだけど、もう襲ってこれないだろうし。
αがΩを奴隷にする時代が本当に終わっているのだと分かった事件でもある。
「……母さんは僕と一緒に居るより、僕が平気な顔して登校した方がはやく安心するんじゃないかな」
「だが……」
口ごもる父にも、「ありがとう」ってお礼を言う。心配をかけてばかりだ。
あんな奴をずっと怖がっていても、僕の経歴に傷がつくだけ。
僕はもう好きな人と番えなくなった。
ただそれだけのことなんだ。
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