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二、分岐点⑩
「死ねるなら、レイプなんかしなければよかったのに!」
屋上から飛べるなら、僕と出会わず勝手に消えてくれたらよかったのに。
彼がどこに向かったのかなんてどうでもいい。
何を考えているとか、どうでもいい。消えてくれるならそれでいいんだ。
「香川、あいつ三階のベランダから屋上に上りだしたぞ」
「じゃあ、貴方も一緒に飛んでください」
どうぞ、と追い払って教室には戻れないので保健室へ向かうと、か細い声で生徒会長は言う。
「オメガの匂いに抗うことができないアルファの気持ちなんて、きっと分からない。互いに分からないんだ」
「分からないから、薬を打って良いと」
「荒療治しないとずっと気持ちを伝えられないと思ったんだ」
何を言ってももう遅い。戻らないことはあるんだから。
「俺もあいつも、本当は泣かせたいなんて思っていなかった。後悔ばかりで嫌になる」
「……そうですか」
何を言っても憎いとしか思えないのは、僕の心が狭いせいなのかな。
キラキラ輝く未来はない。少女漫画は紙切れ。
運命なんてない。
二階の廊下から見上げると、屋上に登りきった彼の姿が見えた。
太陽を背に、表情は見えない。見たくないのかもしれない。
けれど、番ってなんなんだろうか。
彼が僕を探しているのだけは分かった。僕が窓から見ているのを気づいて、顔をこちらに向ける。
表情は見えない。
声は届かない距離。
それなのに、彼の匂いが伝わってきた。
番になると相手の匂いが伝わってしまうのか。
胸を切り裂くような痛み。
夏祭りで胸を驚かせて走った道で、バケツをひっくり返したような雨が襲ってきたような。
電車が到着するたびに会いたい人を探すが見つからず俯く時間のような。
携帯が見つからず、電話をしたくて探して探して見つけても誰に電話をかけていいのか分からないような。
心の真ん中がぽっかりと奪われて空洞になっている。
僕の空洞は、彼が無理やり切り取ったんだ。まだ手放したくなかった心だったんだ。
奪われたまま、消えてしまう。すると僕はどうなってしまうんだろうか。
何もかも奪われ、憎む相手が居なくなった僕はどうすればいい。
屋上で僕に死ねと言われ、胸を痛ましている彼をどうすればいい。
「……ろ」
きっと彼にも僕の心が伝わってしまうんだろうな。そんな番だけの特権なんていらなかった。必要なかったのに。
「やめろ。本当に死んだら、憎む相手がいなくなるだろ。さっさと降りて来い」
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