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三、免罪符と運命①

 昔の昔のその昔。  物心ついた時から、要領が良く勉強もスポーツも苦労せず頭一個、人より秀でていた。  努力はしたことがない。苦労なんて言葉は辞書や本の中でしか見たことがない。  俺よりも二つ上の従兄弟は、病院の跡取りってだけで塾や習い事で忙しそうだった。  征一郎は俺みたいに要領がいいやつじゃない。不器用で、けれど努力家だ。  もちろん、へらへらなんでもソツなくこなす俺ではなく、努力家で勤勉で真面目な宥一郎の方が、奥沼家では評価が高かった。 「二人とも頭いいのに、僕はオメガだから」  なんて。妃芽之は自分の可愛い顔と、オメガって性別をうまく使って大人に可愛がられていたっけ。  宥一郎がどれだけ努力して主席の位置に居ても『アルファだから当然』『沖沼病院の跡取りとして当たり前』と個人の気持ちは尊重されない。  俺が努力しないで何でもできるのは『優秀な血のアルファだから』で、俺自身が天才だということは評価されない。  つまんねえ家に生まれてしまったなって後悔した。  それでも多少の文句はあっても、恵まれた環境であることに気づいてからは、我慢でき津範囲だと納得できた。 「なんで、あんたもついてくるのよ」 「親の命令に子どもは逆らえないっての」  そんな生意気なガキに成長した小五の時だった。  姉の杏里のお稽古に、俺も見学するように親に言われ嫌々着いていった時だ。  姉は中学三年で、お稽古は受験も考え今日で最後にすると、挨拶に行った日。  代わりに弟が習えばいいのではと親が勝手に見学を決めた日でもある。  でっけえ公園みたいな庭や、趣あるといえがあるし古臭いといえば古臭い大きな石の壁の中にある、屋敷。華美ではなく質素で地味な屋敷に興味が湧かない。  華道には三つの流派があって、最も古く室町時代から続く香川家は、家元自らが稽古をつけてくれる華道教室が宗家の屋敷で行われていた。もちろん一般人ではなく、ご令嬢やらご子息ばかり。その教室に通っていたという実績だけが欲しい連中ばかり。  うちの姉もその一人で、両親から「華道に興味がないのなら、大変失礼だ、やめなさい」と散々言われたにも関わらず、受験までのうのうと続けていた。 「すみません。香川さん、沖沼杏里です」  余所行きの声で、玄関で大声を出す。品がないって気づかねえのかな。 「ああ、杏里さん。すみません、父も母も来客が来ておりまして。連絡いただけましたら時間作ったんですが」 「いいんです。弟が行きたがらなくて、なかなか約束を取り決められなかった此方が悪いので」  ぶわっと甘い香りがした。  嵐か、大きな風が吹いたのか、俺は辺りを見渡すが、桜の花びらが穏やかに舞っているぐらいだ。  まったく風が吹いていないのに、いきなり甘い風が襲ってくることなんてあるのだろうか。  花、だろうか。この匂いは花なのだろうか。甘く香る匂いのもとを探すと、姉の向こうだった。  玄関で座って、姉と談笑している男だった。

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