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第4話【Side:佐川善】

ベランダに出ると、想像以上に冷たい風が佐川の頬をなぞった。朝のニュースは、桜が満開の暖かい春の季節ですと言ってはいるが、やはり夜になると肌寒い。少し肩を震わせながら煙草に火をつける。 「……ふぅ」  ほぼ絶滅寸前といっても過言ではない紙のたばこを吸って、気持ちを落ち着かせる。ベランダから見る夜景が好きだったのだが、心なしかいつもよりも街中のついている明かりが少ない気がした。 「これも外出禁止令の影響か」  2週間前に政府が発令した「外出禁止令」。佐川の会社も発令後すぐに、自宅勤務となるが外回り中心の業務を行っていた佐川にとっては、仕事の大半をこの発令によって奪われ、やれる事と言えば、プレゼン用の資料作りや自己啓発の本を読むことぐらいだ。  ブブッと携帯のバイブが鳴る。 『今日もちゃんと仕事したかー?笑 おれは全くやる気なし』  同じ部署に勤める同僚からのメッセージ。どうやら、相手も相当暇を持て余しているらしい。 『もう23時過ぎてるからとっくに退勤済み。こんなのが1ヵ月以上続くと思うと耐え切れねー』 『同感。彼女にも会えないから余計にしんどいわー』 『だからさっさと結婚しとけって言ったのに』 『うるさい、相手もいないお前にはわからないの!この気持ち』 『うざ笑 さっさと寝ろ』 『へーへー ま、せいぜいお互いに健康第一で』    うさぎのキャラクターが了解と言っているスタンプを押す。 「……」  佐川はそのまま、違うトーク画面を開いた。山戸慶と書かれた画面は、間違って消さないように固定にしてある。画面には相手から送られてきたメッセ―ジが表示されている。高校の卒業式の日から、佐川は返信を返していない。   『佐川寝てんのか?起きたら電話して』 『おーい、起きろ。もうすぐ解散になるぞー』 『解散した。お前起きたらすぐにみんなに謝れよ』 『なんで返事くれない? 大丈夫か?』 『引っ越したんだってな。佐川、俺なんかお前にした?』 『久しぶり、大学どう?』 『この前、猫田たちとご飯食べたんだってな。元気そうでよかった。もう連絡するのはやめるよ』    我ながら酷いことをしていると分かってはいた。関係さえ断てば……この相手への想いは無くなると思っていたのに。 「相手もいない独身男は、実は好きな子とのトーク画面さえ消せない拗らせ野郎でした」  おっとっとと、落ちそうになる灰を灰皿にとんとんと落とす。そして、煙草を再度吸い込むと夜空に向かってふぅーと吐き出した。  佐川善が、恋愛対象が女性ではなく男性だと気づいたのは中学2年生の頃だった。きっかけは些細なことだった。夏になると、同じクラスメイトの男子たちの話題はワイシャツにうっすらと透けている下着に関して一色だったが、佐川はその話題には全く興味がなかった。そして、一人の野球部の男子がその日見た女子の下着の色を恥ずかしそうに話す姿にグッときた。鍛え上げられた身体から感じ取れる羞恥心が愛しくさえ思え、下部が熱くなった。その瞬間、自分は人とちょっと違うのかもしれないと悟った。家に帰った後に、すぐネットで調べると自分と同じような人は意外と多くいるのだと佐川は安堵した。しかし、同性愛者がいじめにあい命を絶ったニュースや、サイトによっては心無いコメントを目にし、「誰にも気づかれてはいけない」と心に決めたのだった。 「……ふぅ」  最初の煙草を吸い終わり、2本目の煙草に火をつける。先ほどまで寒いと思っていたが、身体が慣れたのか今は冷たい風が心地よくさえ感じた。 「あいつ、なにしてんだろうなぁ……」  高校に入学をし、同じクラス内ですぐに気になる存在を見つけた。それが、山戸慶だった。ただの自己紹介をを、行うだけなのに山戸はリンゴのように顔を赤くさせ、自分の名前を言った。その姿が一瞬で佐川の心をつかんだ。 山戸と仲良くなるにはそれほど時間がかからなかった。好きなバンド、好きな服装、すべてを山戸との会話に合わせられるように佐川は意識し、常に近くで山戸のそばに入れるように心がけていた。 ――今思えば、あの頃から拗らせすぎてる…… 過去の自分の行いが、恥ずかしさを思い出させ胸をぎゅっと締め付ける。枕に顔を隠し叫びだしたい気分だ。しかしそんなことはせず、佐川は携帯をポケットにしまい、今度はゆっくりと深く煙草を吸った。 「……ふぅ」  下を見ると、カップルらしき男女が電柱の下でキスをしている。どうやら彼女のほうが、佐川と同じマンションの住民らしく、彼氏が家まで送ったようだった。 「お二人さん、今は不要不急の外出禁止ですよー」  小さくつぶやく。外出をするには政府発行の専用の申請書が必要である。おそらく二人は、同じ日に申請を行い、近所のスーパーで落ち合って短い時間の中で二人の時間を分かち合ったのだろう。カップルはもう一度キスをすると名残惜しそうに手を、振り別れた。  カップルのキスに当てられたのか、佐川は自分の唇に触れた。 ――我慢できなくて、キスしちゃったんだよなぁ。  人生で一度だけ、山戸にキスをした時の事をふと思い出した。桜並木の下で。ずっと閉ざしていた思い出だったが、今日だけは何故か思い出に浸りたい、そう思った。  佐川はもう一度深く煙草を吸い込み、卒業式の日を思い出した。

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