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サンプル2

◆ ◆ ◆  まだ中学1年の頃。寒さの厳しい3学期だった。  昼休み、俺は人気のない場所を好んで過ごす。体育館裏や、この季節だと寒くてほとんど人の通ることのないプール裏がお気に入りの場所だった。  何をするわけでもなく昼休みの30分間を、ただぼんやりと空を見上げて過ごす。  いつも何かを破壊したくて仕方がなかった。でもあまり問題行動を起こすと、小学校の時と違って面倒なことになるということはゴールデンウィーク辺りに覚えた。そんな破壊衝動を抑えるただひとつの方法がこれだった。  その日も俺がいつものように過ごしていると、紙が捲れる音と大勢の怒鳴り声が聞こえてきた。  視線を空から地上へ戻すと、風に吹かれてページが捲れている本が落ちていた。  それを拾い上げると、白っぽい表紙に男の子の絵が描かれた本だった。 「星の、王子さま……?」  俺の知らない本だった。そもそも俺には本を読む習慣がないから、知らなくて当然である。  上手いのか下手なのか分からない、でもどこか惹きつけられる独特な絵の描かれた表紙を見ていると、また誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。 「おい青柳! お前んち、ボクシングジムやってんだろ?」 「お前の親父って強かったらしいじゃん。なのにお前はなんもできねぇヒョロいもやしでやがんの」 「ちょっと女子にモテるからって調子こいてんじゃねぇよ! 少しはやり返してみろよ、ヒョロヒョロもやし!」  3人の生徒がうずくまっている生徒を蹴ったり殴りつけたりしている。  ただ殴られ続けている生徒。それが青柳だった。  俺の世界の常識では、殴られたら殴り返す。それが普通のことだった。それなのに青柳は殴られても殴られっぱなしで、ただ黙って暴力を受け入れている。  イライラする。俺は手に持っていた本をポケットにねじ込んだ。 「オイ、楽しそうなコトやってんなぁ」  そうして考えるよりも早く、殴られてうずくまっている青柳の前に割って入る。  決して正義感などではない。単純に自分が我慢しているのにも関わらず、自分以外の人間が何かを破壊しようとすることが気に入らないだけだ。 「ヒッ、南田だ……!」  今まで青柳に暴力を振るっていた生徒たちは、俺を見た途端怯え始めた。 「俺も混ぜろよ。楽しいことしようぜ。なあ!」  言うが早いか。俺の硬く握った拳とほかの生徒の肉がぶつかる音が、静かなプール裏に鈍く響きわたる。  この瞬間は自分の中に流れる血の感覚も分かるくらいに集中できて気持ちがいい。  次第に血まみれになっていく生徒をさらに殴りつける。  相手の鼻血か皮膚が切れた血なのかを体に浴びながら、目の前の相手を破壊していく。ほんの数分で俺の足元には3人の生徒が地べたに転がっていた。  一番近くで転がっている生徒にマウントを取ろうとした時だった。俺の学ランの裾が何かに引っかかった。 振り向けば地面に座り込んだままだった、暴行を受けていた青柳が俺の学ランを引っ張っている。 「ンだコラ」  そう凄みながら青柳の手を払いのけ、腰を落として土で汚れた学ランを着ている青柳に視線を合わせる。  俺とは違う、細くて白い肌。寒さで鼻の頭が赤くなっている青柳を俺はジロジロと観察した。 「どうしてその人たちを殴るの?」  突然投げかけられた言葉に、俺はギョッとした。 「バカかテメェは? テメェ今こいつらにボコられてたじゃねぇかよ。やられたらやり返すのが当たり前だろうが」  あきれていると、青柳はゆっくりと立ち上がりポケットからハンカチを取り出した。また青柳は屈むと俺の顔についていた血を、洗濯物のにおいがするハンカチで拭う。 「キミって、4組の南田くんだよね?」 「だったらなんだよ、あァ?」 「僕は2組の青柳蓮。この前、先生たちが職員室でキミの話をしていたんだ。いつも喧嘩ばかりしてるって」 「ウッゼ。だからなんだよ」 「拳、腫れてるね」 「ハァ? 別にどうでもいいだろ」  確かに俺の拳は連日の喧嘩と、たった今の喧嘩で拳頭にほんの少し血が滲んでいた。 「手をね、ゆるく広げて小指側から折りたたむんだ。そして、親指で人差し指から薬指を抑えるの」  なんとなく青柳に言われた通りに拳の形を作っていく。今までの拳の感触よりも、ほんの少し軽く感じる気がした。 「これが、なんだよ」 「正しい拳の握り方。僕はこれしか知らないんだけど」  そう言って青柳はきれいに笑う。 「僕の家、お父さんがボクシングジムをやってるんだ。そこはね、きっとキミが自由になれる場所だと思うんだ」  青柳の柔らかい手が、俺の頬を両側から包みこんだ。  2月の外気は冷たい。それに晒され冷えていた頬が、じんわりと温まる。 『こいつは、なんだ。宇宙人か?』  青柳はそこに転がってるような、今まで自分が壊した人間とは違う。 「ね、おいでよ」  冷たい風が青柳の栗色の前髪をふわふわと揺らすのを、ただじっと見ていると予鈴が鳴った。 「放課後、教室まで迎えに行くね。そのとき、その本返して」  青柳は俺のポケットからはみ出している本を指さして校舎へ戻っていく。  どんどん小さくなる青柳の背中を眺めていたが、いい加減寒くなってきた俺は血だらけの生徒たちをそのままに体育館倉庫へ移動した。  結局俺が教室へ戻ったのは、6限目の終了10分前だった。教師も俺を咎めない。  ショートホームルームが終わり鞄に手をかけ教室を出ると、教室の前に青柳がいた。 「南田くん、行こう」  青柳は本当に俺を教室まで迎えに来た。  ついて行った場所は、住宅地の手前にある小さなボクシングジムだった。 「お父さん、ただいま」 「おお、蓮おかえり。そりゃ誰だ?」 「同級生の南田純平くん。すごく強いんだよ」 「ふーん。純平、お前ボクシングしたいのか?」 「わかんねえ」  青柳の親父は俺の返事に笑うと、俺の血の滲んだ拳に触れた。 「闘いたいのか?」  その問いはイエスだ。俺が頷くと青柳の親父も笑って頷く。 「挑戦的ないい目だ。まずはバンデージの巻き方を教える。拳は大事にしろ。素手でむやみに殴るな」  その日から俺は、青柳の家である青柳ボクシングジムで練習することになった。  春休み。俺がジムで練習している間、青柳は何をするでもなくずっと座って本を読んでいる。はじめて会った日に拾った『星の王子さま』の本だ。青柳はこの本が好きらしく、いつも繰り返し読んでいる。 「おい、青柳はボクシングしねえのか?」 「僕はしないよ。運動は得意じゃないし」 「そりゃそうか。お前体育の時間よく転んでるもんな」 「ひどいなぁ。見てたの?」 「……見えたんだ。俺の席、窓際だからよ」  見ていたなんて、俺がこいつのことを気にしているみたいで気に食わない。  確かに青柳にはボクシング、いやスポーツ全般似合わない気がする。青柳は鼻くそみたいに弱い上に、運動もそんなにできないからだ。  まあ青柳のことはどうでもいい。  それよりも最近、総合格闘技というものがあることを俺は知った。俺の興味はボクシングよりそっちの方に向いている。  今日の練習が終わり、更衣室で着替えているときにそのことを俺は青柳に伝えた。 「なあ青柳、俺ボクシングじゃなくて総合格闘技がやりてえ」 「……なんで?」  しばらくこうして大人しくボクシングの練習をしていたが、その総合格闘技は蹴りや組み付きも許されるのだ。どうせならそっちの方が楽しいに決まってる。 「ボクシング、手しか使えねえじゃん」 「そうだよ。そういうルールだからね」 「だからァ、それじゃつまんねぇんだよ。喧嘩は手も足も使う。相手をぶっ壊せりゃなんでもいいんだ。ボクシングは喧嘩の代わりになんかなんねぇんだよ!」  確かにボクシングも楽しい。でも感じていた物足りなさはこれだ。  そう交渉する俺に青柳は言った。 「じゃあ、いいこと教えてあげる。南田くん、僕の家に来てよ」  誘われて向かった青柳の家で、最初こそ大人しく出されたジュースを飲んだりテレビゲームをしたが、しびれを切らして俺は青柳に怒鳴った。 「なあ、そろそろ教えろよ! いいことって、なんだよ!」  そう青柳に言うと、青柳は座っていたベッドから降りて、今度はそれにもたれる様に足を投げ出して床に座る。 「ね、南田くん。僕の前に来てよ」 「はあ?」  とりあえず青柳に正面を向いた形で座ると、青柳は自分を背もたれにするように座れと言ってきた。  仕方がなく言うとおりにすると、背中に青柳の体温を感じて少し気持ちがいい。そのまま温かさにぼんやりしていると、青柳の手が俺の股間をズボン越しに触ってくる。 「て、めぇ! 何してんだ……っ」  後ろから回されてくる青柳の傷ひとつない柔らかな手が、ゆるゆると、だが的確に俺の気持ちいいところを刺激してくる。 「南田くん。手ってさ、すごいんだよ」  自分でそこを触ることはあった。でも、おかしい。  こんなに気持ちのいいことは知らない。  気が付けば俺の穿いていたズボンはパンツと共に太もも辺りまでずり落ちている。  硬くなった俺のソコに、柔らかな青柳の手が直接触れている。  来る。そう思った瞬間たまらず目を閉じると、頭が真っ白になった。 「手って、すごいよね……純平くん」  首筋辺りがぞわりとする。これは危険信号だ。 「あ、ああ……」  柔らかい手が俺の頭を撫でる。 「ね、純平くん。どこにも行かない? ずっとボクシング、する?」  青柳の問いかけに気が付けば頷いていた。 「いい子。純平くん、いい子」  耳元で青柳のその声を聴いた瞬間、頭の中がアイスみたいに溶ける。  いい子。そんなことを他人に言われたのは初めてだ。  心の奥底が満たされていく。目を開けていられなかった。 「なぁ青柳。ボクシング、続けたらお前また褒めてくれんのか?」  背中の青柳にもたれかかって尋ねる。 「もちろんだよ、純平くん」  目を開けるとすぐそばに、俺を覗き込んでいる青柳のきれいな顔があった。 「僕の言うとおりにしたら……ずっとずっと褒めてあげるし、もっと気持ちよくなれるよ」 「わかった」 「純平くん、好きだよ」  そして俺の唇に青柳の唇が重ねられた。  キスは、柔らかい。  キスの柔らかさを知ったこの日。俺は、青柳に繋がれた犬になった。

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