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天才

 『昔からってことは……幼馴染?』 『大学が一緒、学部が違うけど……数少ない日本人だったから仲良くなったんよ』 数少ない日本人、という言い方に引っ掛かった僕は戸惑う。 『外国の大学……なの?』 声も震えてきごちなくなったからか、長い左の前髪を撫でながらこっちを振り向いたカイリ。 『ハーバード大学、アメリカのな』 ハーバードの凄さは平凡な僕だってわかる。 でも、身近な人がそうだって聞かされたらパニックになるよ。 ツクの変人さは……天才だからなんだ。 『あいつああいう感じだけど、心理学の効果を生理学的な観点から分析する? みたいな研究をしてた超頭いい奴だから……見くびるなよ』 カイリは意地悪な笑みを浮かべてたっけな。 でも、カイリ……君もすごいんだよ。  「……へいた〜ん!」 耳元で叫ばれて、僕はやっと現実に戻ってきた。 カイリは助手席のドアを開けて、ニッと笑って待ってくれていた。 「着いたよ〜はよ行こう」 カイリは僕の手を引っ張り、ズンズンと歩いていく。 天使が向かい合う間に『ange』と書いてあったのを見てびっくりする。 「ここ……一番オシャレで有名な美容院じゃん」 なるべく小さい声で言ったのに、カイリには聞こえたのか、まぁなと言われた。  「おはざま〜す! 柄谷で〜す」 自動ドアが開いた瞬間、カイリは声をかけながら変わらず前に進んでいく。 「原っち、髪燃やすなよ〜」 緑色で毛先が遊びまくっている髪型の若い男性の肩を叩く。 「杏ちゃん、シャンプー上手くなったな」 今度は赤くてアシンメトリーな女性。 カイリが美容師さんたちに話しかけるたびにみんな嬉しそうに反応していて……これがカリスマ美容師かと思っちゃう僕。  「お疲れ様です岸さん……ご無沙汰しています」 鼻の下の髭でダンディさがある40代くらいの男性の前で止まり、頭を下げるカイリ。 「おお、柄谷……久しぶりだな」 男性……岸さんはそう言ってカイリの肩を2回叩く。 「今日の相手は彼かい?」 「はい、佐藤平太くんです」 「ほぉ〜ん、悪くはないな」 なんてやり取りをした後、岸さんはヒゲをいじりながら僕を舐め回すように見る。 「しかし、お前は変わらないな……柄谷」 鋭い瞳でカイリを見る岸さん。 「そりゃあ、岸さんの弟子ですから」 岸さんに向かってニヒルに笑うカイリ。 僕には2人の間にバチバチと火花が見えた。  「佐藤くん、だったかな」 いきなり名前を呼ばれたから、震えた声で返事をした。 「柄谷は腕が良い……きっと君が知らない君を引き出してくれるから委ねて大丈夫」 可愛がってもらいなよと僕にしか聞こえない音量で言われて思わずドキッとした。 「さっ、行くぞ」 力なく、はいと言った僕を見て、カイリはより力強く僕の手を握り、またどこかへと歩き出した。  「アート、なんか変なこと言ってなかった?」 カイリにいきなり聞かれて、心臓が飛び出そうになる……情事のアレの話なんてここで出来るわけ、ない。 「何にも言ってなかったよ、うん」 心臓がバクバクする中でなんとか返答と、へぇ〜と言われたから罪悪感がちょっと残る。 「あとながわかるってことは文系なんだ、へいたん」 「あ……な……?」 カイリの言ってる意味がわからなくてゆっくりと顔を上げると、噴き出すように笑うカイリ。 「なんだ、わかってないんじゃんか。気を抜きすぎ、その顔」 ああ、面白いって笑うカイリになぜかわからないけどつられて僕も笑った。 「‘‘あ’’はわたし、‘‘な’’はあなたって意味があって、平安時代に使われてたんだってさ……って説明してから使ってくれって今度会ったら言うんだぞ?」 いっつも俺が説明してやってんだよ、クソって言ってるけど笑ってるカイリを見て、くされ縁とか親友っていいなとちょっと羨ましくなる。 「特別室着いた……覚悟はいいな?」 聞いた癖に、返事をする前に中に入っていくカイリのおかげで瞬時に腹を据えたんだ。

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