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第3話

あれから。 ムスタファは、本当ーっにすごかった。 いつも………いつも、絶倫大王のようにすごいんだけど。 それでも、王子様らしく紳士的に理知的に。 本能丸出しになるセックスですら僕をリードして、涼しい顔をしながら、僕をグズグズにその快楽に溺れさせるのに。 なんというか………違った意味で、王子様ぽかったというか。 ムスタファは一晩中、萎えることのないそのイチモツを、僕の中に飽きることなくずーっと抜き差ししては、たっぷり熱い液を注ぎ込む。 それは、正常位に始まり、吊り橋に続き。 バックに、騎乗位に、乱れ牡丹なるものまでを。 いつもの歯茎が痺れるような甘い言葉など、全くなく。 僕を支配するように。 僕を逃さないように。 僕にムスタファを全てを、刻み込むように。 だから、空イキなんて何回したか分からない。 僕の体はムスタファによって開発されて、ムスタファの思惑どおりにムスタファを忘れられない体になってしまったんだ。 ………仕事に、きたんだけどなぁ。 なんか、趣旨がだいぶズレてきてる気がするんだけど………。 でも僕は、ムスタファを拒むことができなかったんだ。 イカされまくってるにも関わらず、僕は見てしまったんだ。 いつもとは違う………とても苦しそうな、今にも泣きそうなムスタファの顔を見てしまったから。 ………だから「いい加減に、やめろ!」って、ムスタファを突き放せなかった。 そのかわり、微かに震えるムスタファの肩に手を回して、その体を引き寄せる。 「ムス……タ……ファ………。泣か………ないで………」 魅惑的なアラビアンナイト、じゃない。 隙がなさそうで、いつも僕の範疇をこえるアラブの王子様も、1人の人間だって………。 あれだけ王子様に振り回されて好き勝手されて。 体は許しても心は許さないぞ!なんて、乙女なことまで考えていたのにも関わらず。 そんなムスタファを見てしまった僕は。 ムスタファのことが………好きに、なってしまった………の、かもしれない。 ………多分、そうなのかもしれない。 例えそれが、身分違いでも。 ほんの僅かな、アラブの王子様の戯れでも。 ムスタファが僕の心まで、入り込んでしまったから。 ………僕は、ムスタファが………好きなんだ、と思う。 『高清水………おまえさぁ』 スカイプを通してパソコンに映し出される先輩の顔が、困ったような恥ずかしそうな、すごく複雑な表情をしている。 「なんですか?服のことなら、しょうがないんですからね?先輩が、ビジネススーツを送ってくれないから。それくらいは我慢してください」 例にももれず。 僕は鮮やかなオレンジ色と紫色のグラデーションので染め上げられた、ヒラヒラでスケスケの服に身を包み、カメラの前に座った。 『ちげぇよ。そんなんじゃねぇよ』 「じゃあ、何ですか?」 『………ダダ漏れなんだよ』 「は?ダダ漏れ?何がです?」 『いや………いい。なんでもない』 「気持ち悪いですね!はっきり言ってくださいよ、先輩!」 『いいって言ってんだろ!』 「言いかけたんなら、ちゃんと言ってください!」 『………色気が』 「は?」 『色気が………ダダ漏れなんだよ!バカっ!言わすなよ、そんなこと!!』 「はぁっ?!色気ぇ?!」 「それは俺も同感だよ」 「か、課長?!」 『課長もそう思いますよね!?ほら、ほら、見ろ!!』 「俺がイズールから帰ってきたら、やたらこんなんでさ。高清水くんは前からこんなんだったかなぁ、ってさ。こいつ、けっこうムッツリスケベだぞ」 ………ムッツリスケベとか、昭和か!? 課長のタイムスリップしたような言葉と、先輩の僕の意に反する言葉に、僕は目眩を覚える。 「じゃあ、どう変わったのか。教えてくださいよ」 『それが淀みなく言葉で表現できたら、今頃営業部長になってんよ、俺』 「そうそう。俺だって取締役常務くらいにはなってるよな、きっと」 ………くそーっ!2人とも、言いたい放題言いやがってーっ!! でも、客観的に僕を見ている2人が言うんだ。 十中八九、間違ってない。 確かに、西にあるオアシスで休日を過ごしてから、ムスタファは微妙に変わった。 爽やかで何を考えているかわからないドSから、純粋なドSにクラスチェンジして。 毎晩、激しく僕を抱き潰す。 ここに来て初めて、バイブ機能付きの尿道ブジーなるものも経験したし。 毎晩、僕はトンじゃうくらい前からも後ろからも貫かれて、だいたい意識をなくして。 気がついたら、朝を迎えてるってパターンで。 それでも、ムスタファが僕を抱く腕は優しくて。 落とすキスは、儚いくらい繊細で。 自信満々なバカ王子のムスタファが、こんなにも壊れてしまいそうなくらい姿を………豆腐の角に頭をぶつけても失神しそうなくらいな姿を目の当たりにすると。 だから、僕は………何をされても。 ムスタファを拒むことができなくなったってしまったんだ。 「アオ」 1日の仕事も目標まで終わり、用意された執務室から宿泊所へ向かう途中、僕はムスタファに声をかけられた。 「何?ムスタファ」 「アオのとこに行けるの、今日はとても遅くなりそうだから。あの塔で待っていて欲しい」 「うん、分かった」 腐っても王子様だもんな、ムスタファは。 色々、国のための仕事があるのは当然だ。 「終わったら、すぐ向かうから。だから……」 ………そんな必死な目、するなよ。 ムスタファのライムグリーンの瞳が、余裕すら感じさせずに、ユラユラ揺れる。 ………大きなネコ、懐いてくる黒豹みたいに見えてしまって。 僕はムスタファの肩に手を回して、自分からキスをした。 ………だいぶ僕は、ムスタファに感化されてるな。 「大丈夫。ちゃんと待ってるから。心配するなよ」 「………アオ」 僕の言葉で、魔法が解けたみたいに。 やっと、ムスタファが安心したように笑った。 夜になると、砂漠を吹き抜ける風はヒンヤリとして、僕の通常の人より露出した肌をスッとかすめていく。 僕はソファーに座って宇宙のリアルな星と地上のイミテーションな星を眺めていた。 小さなサイドテーブルには、僕がこしらえたツナマヨ入りのおにぎりが3つ。 ムスタファに喜んでもらいたくて、厨房の人にお願いして、久しぶりに自力でご飯を炊いたんだ。 ムスタファの笑顔が見たい。 自信に満ち溢れた、あの小憎たらしい笑顔が見たい。 純粋に、そう思ったんだ。 「喜んで、くれるといいなぁ」 独り言のように呟くと、僕はソファーの上で三角座りをした。 ………心地いい、から。 眠たくなる………。 カツン、カツンー。 その時、塔へと繋がる階段が、人を運ぶ音を立てた。 「ムスタファ?」 僕はソファーからおりて、塔の出入り口に向かう。 「!!……やっ、やめっ!!」 突然、暗闇から腕が伸びて、グッと引き寄せられた。 かろうじて、抵抗する声が出たものの、その抵抗は全く続かず。 口に布っぽい何かを押し当てられた。 甘い、それでいて、アルコールみたいに鋭い香りが一瞬で肺に入る。 「あ………」 ヤバ……って、思った時にはもう遅かったんだ。 頭がグラッとして、視界がグニャッと歪む。 本当に、一瞬で。 僕の意識は、闇の中に引き摺り込まれてしまった。 「………ん…」 頭が少しクリアになって、僕はゆっくり目を開ける。 ‎「اشر」 目の前にいる男が、僕に小さく何かを呟くと、顎を鷲掴みにして、急須のようなものの中身を僕の体内に注ぎ込んだ。 体が………にわかに、熱く火照る。 ……やめてっ!! 手でそれを跳ね除けたいのに、僕の手は自由じゃなかった。 ………手錠…? 手錠の先には鎖があって、天井に備え付けられている滑車へと繋がっていて。 ………それだけでも、充分びっくり要素が満載だったのにも関わらず、僕は見事なくらい真っ裸で。 さらに、びっくりなのが。 僕の後ろの穴に、何かが入っていて………豪快に震えてる。 僕は自分の身に何重にも与えられた〝びっくり〟に驚いて、身を捩った。 ………何、コレ? ここ……どこ………!? 助けて………助けて!!ムスタファ!! 「………っく……!!ぁあ………」 飲まされた何かのせいで、うまく声が出せず。 怖いのに、イヤなのに。 体が火照って、いうことをきかない………。 腰が揺れて、前がギンギンに勃ってくる………んだ。 ………たまらず、涙が出てきた。 ムスタファに……会いたい。 ………ムスタファ。   崩壊寸前の精神の僕の目の前に、スッと長い影が忍び寄る。 ………この人。 あの、西のオアシスにいた………、ムスタファの苦手な………。 あの人だ………。 頭の中は一気に血の気がひいて冷たくなったのに、体は相反してさらに体温が上昇して………。 僕は声も出せず、ただ、その押し寄せる恐怖に狂ってしまいそうになるのを、ひたすら堪えていたんだ。 「っ!!………っあ“っ!!………」 宙吊りにされた手錠を支点に、体がフラフラして安定しない。 なぜなら、ちょうど膝立ちになる体勢で、上体が吊り上げられているから。 こんな………いかにも拷問チックなこと。 映画やテレビでしか見たことないけど、こんなにキツいとは思わなかった。 強制的に飲まされた変なモノのせいで、体の制御がきかなくて、全体重を支える腕が抜けそうなくらい痛い。 その体重の半分を支える膝も、然りで。 SMっぽい映画に出演している女優さんとか、すごい我慢強いんだなぁ、なんて変なことを考えてしまった。 そう、現実から逃げたくなるくらい、今、僕は非常にヤバい状態に陥っている。 あの人………。 西のオアシスに現れたあの人が、しきりに僕の乳首を舐めまわしている………から。 ………うひぃぃぃぃ、気持ち悪りぃ。 結構執拗に、噛んだり舐めたり、赤ちゃんか!ってくらい吸ったりして………。 身を捩らせて逃れようとするんだけど、なかなかうまく体をコントロールできずに、されるがままになってしまって。 ………ムスタファ、じゃない……ってだけで、こんなにも苦しくて、悲しくて………。 触覚も臭覚も、全部において………感じ方が、違うんだと思ったんだ。 「っぁ……!!」 「日本人はいい声で鳴くんだな」 ……え? 日本語……? ………日本語、話した?この人……? 思わず目を見開いて、胸に吸い付くその人を見た。 「おまえ、日本から来たエンジニアなんだろう?なんでこんな、妾のようなことをしている?」 ………し、知らない…知らないよ……。 舌先で器用に乳首を転がすこの人が言うように、僕はそもそも仕事でこの国に来たワケで。 気がついたらムスタファの策略により、あれよあれよと、こんな風になってしまっていたワケで………。 別に、僕からムスタファを誘ったんじゃないよ……? 加えて言うなら、あなたなんて全くもって誘ってないからね……? 「………あ“っ………あ“ー………」 気持ち的には全力否定モードの僕なのに、声が潰れて、どうにもこうにも否定をする術がない。 ましてや、変な薬のせいで、体が言うことがきかないから。 僕の体はまるで、その人の発言を肯定させるかのように、よがって腰を振る。 ………ヤバ…い。 僕、この人を、煽っている気がする………。 「噂に違わぬシルクのような肌触り。これは一層、後を引くな」 「………や………っあ」 「ずいぶんとディルドも気に入ってるが。ムスタファも、だいぶ念入りな調教をしたもんだ」 ………な、何言ってんだ…!! 調教なんてされた覚えはないぞ?! 初めはそりゃ………ほぼほぼ無理矢理な感じだったけどさ、僕はムスタファが好きで………多分、好きで。 ムスタファにサレるのは、全然苦じゃないんだよ!! あ、あんたとは……あんたとは、違う!! 手が自由なら、ぶん殴ってる。 体が言うことをきけば、全力で抵抗してる。 それくらい、この人の一挙手一投足が………大嫌いっ!! 大嫌い………大嫌い、だよ………。 でも、体が言うことを聞いてくれないんだよ……。 後ろから豪快に震えるソレが徐々に抜かれる感覚が、僕の脳に伝わると同時に、僕の目から涙が条件反射的にこぼれ落ちた。 「下の口はこんなに涎を垂らして物欲しそうにしてるじゃないか。……أنت على」 その人が異国の言葉を発したのが合図だったかのように。 僕の腰をギュッと掴んで、ニチニチ音を立てながら僕の中を貫くように突き上げる。 僕の目の前に立った男が、そのグーンと勃ち上がったイチモツを僕の口の中に突っ込んで………。 熱くて太いのが喉の奥まで擦って、僕の腰を掴んで逃さない下の方は体の奥まで僕を犯す、汚す。 ………もう、ダメだぁ。 人生の可能性とか今後の人生設計に、終了フラグが立った感じがした。 僕はこれから先、日も当たらないトコで、ずっとこんな生活をしていくのかもって。 そう思うと、胸のあたりがズシッと重たくなった。 闇落ち……? いや、何落ちって言うの………これ? きっと日本にも帰れない。 課長と先輩の、テンポいい会話を聞くこともできないだろうし。 それどころか、ムスタファにも会えないんじゃないかな………。 ………日本には、帰れなくてもいい………かもしれないけど。 ムスタファに会えないかもってのが、1番堪えた。 ………ムスタファ、「待ってる」って言ったのに、約束守れなくて、ごめん……。 ムスタファの好きなツナマヨのおにぎり、食べてくれたかな?とか。 もう一度、あのいかにも王子様っぽい小憎たらしい笑顔が見たかったな、とか。 ………ムスタファのこと、考えてたらさ。 余計に、悲しくなった。 尚更、苦しくなった。 ムスタファのこと………忘れた方が、楽なのかも。 与えられる快楽だけに身を任せて、僕が何モノだとか、ムスタファが好きとか。 そう言う感情を捨てて………無になったら。 ………その方が、多分………ずっと、楽なんじゃないかって思ったんだ。 大丈夫。 ムスタファもきっと、僕のことなんてすぐ忘れるよ。 完全無敵な、アラブの王子様なんだよ。 僕のことなんて、ムスタファの煌びやかな人生に比べたら………とても小さな事、とても一瞬の事。 だから、大丈夫。 ムスタファは、大丈夫………だってムスタファは、オレ様で、最低な………。 でも、最強で最愛のアラブの王子様なんだから。 ‎「القذف」 後ろから、男の小さな呟きが聞こえて。 ………体の奥に、熱い液体が広がる感じがした。 僕の中とその人のイチモツの隙間から、その液体が漏れて太腿を伝う。 その感覚に体の力が抜けた瞬間、口の中に押し込められていたソレからも、熱い液体が勢いよく流だした。 「………んぐっ!……んんっ」 苦しさ、とか。 嫌悪感、とか。 一気に襲ってきて……一瞬、ムスタファの笑顔が瞼にチラついてさぁ。 このまま、あんまり苦しみたくないなぁ、なんて思いながら。 僕の意識はゆるゆると、深い地獄の闇に落ちていくようにフェードアウトしていったんだ。 「………た……み……。高……水………。高清水くん!!高清水くん!!」 課長の声が、拡声器を使ってんじゃないかってくらい、耳元で大音量で響いて。 僕は年甲斐もなく、体をビクつかせて目を開けた。 心底安心したかのような、大塚課長が小さく息をついて、僕は僕の置かれている状況が飲み込めずに、視線だけ辺りをぐるっと見渡す。 ………あ、僕が微調整したヤツ。 いつの間にか、僕は。 日本から運んでシャキーム用にセッテングした医療機械に囲まれていて、体をコードやチューブで繋がれている。 ………お、正常に機能してる! よかったぁ……。 これでシャキームの医療スタッフも、いつ機械が壊れるかどうかわからない、そんな不安を抱え込まなくて済むんだ。 ………ん? ちょっと、まてよ? なんで僕は、自分で調整した医療機械に繋がれてるんだ??? ………ジワジワと。 ………記憶が、勝手に蘇って。 僕は、たまらず飛び起きた。 「高清水くん!!急に起きたらダメだから!!」 「課長………課長………僕、僕は………なん…で……?」 「拉致られちゃったんだよ、高清水くん!!ビックリするくらいの大怪我をしてたんだから!!だから、動くなって!!」 「誰……誰………が、助けて………僕、助けて……」 なんとなく、イヤな予感がしたんだ。 心臓は僕の体内で動いているはずなのに、すぐ耳のそばで鳴り動いているんじゃないか、ってくらい………大音量で、ビートを刻む。 その証拠に、課長が苦虫を潰したような顔をして顔を伏せるんだ。 「課長………教えて……課長………お願い………課長!!」 ………やめろ、僕。 聞くな!………聞くんじゃない!! 頭の中は、真実を知ることを全力で拒否しているのに、僕の口は勝手に動く。 「課長!!」 僕にしてはめずらしいくらい、丹田に力がこもった大声で、課長を問い詰めたんだ。 「………王子、様……だよ。……ムスタファ王子」 「………ムスタファ、は ………ムスタファは、どこ?………どこに……?」 「………高清水くん以上に、大怪我して………今」 「………今……何……?」 「………意識不明の、重体なんだよ」 「……!!」 その瞬間、僕は体中に繋がれたありとあらゆるチューブとコードを引き抜いた。 「高清水くん!!ダメだ!!君も大概、大怪我をしてんだよ!!」 ベッドから飛び降りようとする僕を、課長が全力で止める。 「離して!!離せ!!ムスタファに……ムスタファ!!」 「今はダメだっ!!ちゃんと高清水くんが治ってからじゃなきゃ!!今はダメだよ!!」 「やだ!!やだぁ!!ムスタファ!!ムスタファーっ!!………やだぁ…ムスタファ………」 暴れる僕を全身で制する課長に、僕はすがりついて泣いてしまった……。 ボヤけていた記憶が、はっきりしてきて。 僕は……僕は………ムスタファにすぐにでも謝りたかった。 ………そして、愛してるって、言いたかったんだ。 あの時、僕は本当にどうにかなりそうだった。 「あぁっ!!」 上からも下からも、突っ込まれて貫かれて。 手錠を外された後は、縛られてまた犯される。 後ろの穴の感覚も、次第になくなって。 意識を失うと鞭みたいなのでしばかれて、また犯されるを繰り返す。 痛さも、怖さも、何もかも通り越してしまった。 「恨むのなら、ムスタファを恨め」 そう、その人は荒い呼吸で言う。 「何でもない顔をして、私の全てを奪い去るんだ。ムスタファの玩具ぐらい、壊しても何ら変わらない。おまえは、そういう運命なんだよ」 ………そっか。 それでも、いいか………。 ゆっくり目を閉じようした時、遠くで扉が派手に開く音がした。 微かに金属がぶつかる音と、男の人の叫び声がして。 でも………もう、どうでもいいや。 ムスタファには、もう会えないし………。 「アオっ!!!」 僕の名前を鋭く叫ぶその声の主に、僕の微睡んでいた意識が、地獄の底から引っ張り上げられるように、急激な勢いで覚醒したんだ。 「…ム………ス…タファ」 「アオ!アオ!……すまない!!アオッ!!」 「ムスタファ………」 「アオ!!大丈夫かっ!?」 「ムスタファ………おにぎり、食べた……?」 「………あぁ、食べた……!!食べたよ、アオ!!」 「………よかっ……た」 「アオ!!しっかりしろ!!」 ムスタファの、僕を抱く腕が暖かくて、優しくて。 心の底から、ホッとした。 「………っつ!!」 一瞬、ムスタファの体が小刻みに揺れて、その整った顔が歪む。 「……ムス…タファ……?大丈夫……?」 「……大丈夫だ、心配するな。私に委ねろ、アオ」 あ、これ……。 小憎たらしい、魅力的なムスタファの笑顔。 僕が好きな、ムスタファの……。 それで、安心しちゃったんだろうな、僕は。 ムスタファの腕に体を預けて、僕は目を閉じた。 その時、僕は気付いてなかったんだ。 ムスタファが、背中に大きな傷を負っていたことを。 身を挺して、僕を守っていたことを………僕は、知らなかったんだ。 課長が小さな補助ベッドの上で、いびきをかいて寝ていたから。 僕はそっと、体を起こしてベッドを離れた。 ………なんとなく。 ムスタファのいる場所がわかる気がする。 香りとかじゃない、ずっと奥底で感じるムスタファの気配を辿って。 第六感って言うんだろうな。 僕は導かれるように、1つのドアを開けた。 「………ムスタファ…!!」 そう呟いて、僕は口を手で覆う。 だって………だって、そうでもしなきゃ……泣き叫びそうだったから。 僕がセッテングした医療機械に囲まれて、人工呼吸の音が静寂を掻き消して。 その中心に、ムスタファが静かに横たわっていた。 ………涙が、溢れて……止まらない。 「ムスタファ………なんか、言ってよ」 ムスタファは僕の声に反応するはずもなく。 いつもみたいに、笑って欲しくて。 僕を困らせるようなことばっかり、言って欲しくて。 僕はチューブとコードに繋がっている、ムスタファの手を握った。 「違う……違うじゃないか」 ムスタファに使うために、医療機械を調整したりしたんじゃないよ………。 ムスタファは、一番無縁の代物だって思っていたのに………。 こんなことになるなんて………僕のせいだ。 「ムスタファ………ごめん。………ごめんなさい。ムスタファ………」 ………お願い、目を開けて。 ムスタファ………ムスタファ。 ムスタファの手は、いつもみたいに暖かいのに、ひとつも僕の手を握り返す素振りもなくて。 窓を通して、青白っぽく光る月明かりが、ムスタファを人形みたい無機質に照らすから。 「………っつ……!!」 僕は、ムスタファの手を握りしめて、泣きじゃくってしまったんだ。

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