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神の仕事 ②
さて、ようやく遅い朝食を始めた一同。
歩ける程には回復したものの、晩と夜明けに立て続けに煌隆を受け入れ、響はすっかり疲れ果てていた。なぜだろう、普段と使う筋肉が違うのだろうか。それでも隣でいつもの倍朝食を平らげた煌隆から額を撫でられれば体の芯が熱くなってしまう。
無尽蔵の欲望は、これまで欲と無縁だったが為の反動なのか。
昨夜からの自分の乱れ振りと、煌隆の肢体を思い出し顔を伏せる。
「どうした? 食欲がないのか?」
箸の進まない響を気遣う声が聞こえる。
覗き込んだ瞳と目が合えば、顔が熱くなり頭を振る。
「なんだ、言ってみろ」
目線だけ上げると、横目で響を見る将極と目が合った。将極はふいと視線を外し、止めていた箸を動かす。
響は出来るだけ将極に聞こえないようにと、ごく小さな声で話す。
「煌隆が……夕べからあんなに、激しいの……疲れたんです」
「なんと。その歳で力の無い」
「だってオレ何度果てたか! ……あ」
思わず声を荒げると、将極がむせて咳き込む。隅で空気の一部と化している下女は聞こえなかった振りをしているが、その顔は真っ赤になっている。
「あれで音を上げているようでは私の相手は務まらんぞ」
響が残した朝食まで完食した煌隆は、一服しながらにやりと不敵に笑う。
その笑みに響は何やら不吉な予感を覚え、気付かれないよう身震いした。
何とか話を逸らしたい響は話題を探し何かないかと頭をフル回転させた。
「そ、そうだ、煌隆の仕事ってどんな事するんですか?」
「興味があるか?」
煌隆は不敵な笑みを引っ込め、いつもの優しい微笑みに戻る。
難しい顔で説明を始めた煌隆を見て、こっそり胸を撫で下ろした響だった。
将極の助けを得られなかった煌隆はやはりろくに説明してやれず、結局この日一日響は煌隆について仕事を見学する事になった。
別に后妃が神の仕事に介入してはいけない決まりはないし、響も散策以外にする事がない。煌隆の隣を歩く響は少しわくわくしていた。
果たして神の仕事とはどんなものだろうか。
屋敷の東端からひょろりと伸びる廊下を行くと、響が昇天したばかりの頃に煌隆と最初に会った場所、謁見の間に出た。
しんと静まった広間に高い位置から朝の光が入り、煌隆の椅子をやんわりと照らしている。
「いつもは昼時が鳴るまでここで民を待のだが」
肘掛けを撫でながら、煌隆は堅く閉ざされた正面の扉を見やる。
「午前中ずっと? それって暇じゃないですか?」
「そうでもない。なかなかに忙しいぞ。謁見待ちで行列が出来る程だ」
現世で言えば参拝のようなものだとか。直接神様にお参り出来るのだから御利益ありそうだ。とは言え常世には病気も試験もない。通貨もないし、根本的なところで現世と違う。人々は何を願い神に謁見するのか?
「今日は一番多い願いを叶える日だ。民は既に広場に集まり今か今かと待ち望んでおろう。こちらも簡単な書類を揃えたら広場に向かう」
煌隆は響の手を取り、入ってきた扉向かいの扉に入る。
明り取りの格子から薄く光が差す半間程の廊下が短く続く。歩けない程ではないが、薄暗く心許ない。天気の悪い日は灯りが要りそうだ。
突き当たりには四部屋あり、一番奥が煌隆の執務室、北側が茶室と将極の執務室。南側の一番大きな部屋が書庫になっている。書庫の手前にひょろりとくっついている廊下の先は、文官達が様々な仕事を行う部屋が幾つかあるのだそうな。細かく説明されたところで響には良く分からないため、今は深く聞かないでおいた。
ここは執政棟らしいが、では何故茶室があるのか。曰く忙しい時は屋敷に戻れない為作ったのだとか。
「今日響は露台から見学させようと思っていたのだ……おっと、将極、お前は入ってくれるな」
執務室の戸を薄く開いたところで、背後に張り付いていた将極に気付き慌ててぴたりと閉める。将極は訝し気に眉をひそめ、我が神をじろりと睨む。
「何か都合の悪い事でも?」
「いや。そうだ、今日使う書類だな。持ってくるから待っておれ。よいな、決して入るな」
重ねて念を押し、煌隆は細く明けた戸の隙間にするりと消えた。響までも廊下に閉め出したま。仁王立ちに待つ将極をちらりと見上げれば、眉間に皺を寄せ小さく溜め息を吐いていた。
外でさえずる鳥の歌声に混じり、執務室からがさごそと聞こえる。煌隆は一向に出て来る気配がない。痺れを切らした将極は言い付けを破りとうとう戸を開け放した。
「主上、のんびりしている時間は……」
将極は戸を明けた格好のまま固まってしまった。何事かと響も将極の横から覗き混むと、そこは混沌。否、足の踏み場も無い程に散らかった執務室と思われる部屋。
山積みの書類や書物、脱ぎ捨てられた羽織を掻き分け辛うじて獣道が出来ている。いつのものか分からない茶器や、しわくちゃで山積みされた書類の上で傾いた硯箱、それに響にはよく判らない道具の類いにすっかり埋もれ、その片鱗も見せない机の前で煌隆が将極と目を合わせないように立っている。将極は肩を震わせ、込み上げる怒りを必死に堪える。
「しゅ……また……こんなに散らかして……」
「だから入るなと言うたのだ……」
「かっ、片付けは後程致します。して、名簿と誓約書、それに御璽はどこへやったのです」
「……それを今探しておったのだがな、どこへやったのやら……」
深呼吸をしながら言葉を選んでいた将極は、ぶつぶつ溢れた科白にとうとう限界が来てしまった。
「何故昨日のうちに探しておかなかったのです! いつも整理しておくようにとあれほど……!」
混沌を蹴散らしながら迫る将極を、煌隆は苦笑して宥めようと試みる。しかし怒りは収まらないようで将極は止まらない。炎を背負っているかと錯覚する程その背は怒りに震えている。
「し、将極さん、時間が無いんでしょう?」
煌隆まで後一歩と言うところで、廊下から恐る恐る掛けた響の声に将極はピタリと足を止めた。
「……話は後にしましょう。主上は媛响様とお召替えを済ませて下さい」
怒りを噛み締め振り絞った声に煌隆はそろりと将極の横をすり抜ける。廊下に出れば響の手を取り、ちらりと振り返ってから慌てて執務室を離れた。
謁見の間に入る直前で将極が官吏を呼ぶ声が轟く。
低く執政棟中を揺らす声に、二人は肩をすくめそそくさと立ち去るのだった。
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