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ⅱ ③
乗る筈だった電車を見送り、駅ビルで買い物を済ませてその次の電車で帰った。
家に帰れば冬真が満面の笑みで早速袋の中身を床に広げる。今度は冬真に好きな物を選ばせてやった。冬真は楽しそうにゴミを分別しながら買った物を整理している。
それは白い歯ブラシに白いスリッパに白い下着に白い寝間着に。どうしてもと言うので買ったエプロンも白。
「そんなに白が好きなのか?」
家の中を簡単に説明してやりながら、未だにこにこと上機嫌の冬真に聞いてみる。全身真っ白の冬真は、いつか観た映画の妖精だか神様だかに似ている。
「好きって言うか……オレの周りってあんまカラフルじゃなかったんだよね。その中でも白がダントツ。それに慣れちゃってるから今更カラフルにするってのもね」
妙な事を言う。この色に溢れた世界の中で白ばかりある環境なんて一体どんな生活を送っていたのだろう。
最初に浮かんだのは病院。しかし確かに白が基調とは言え、人の出入りもあるし窓の外には色鮮やかな景色もある。次に浮かんだのは研究室のような場所だが、もっと考え難い。
直接聞いてみようかと思ったが、春樹は急に面倒になってやめた。
「先に風呂入れ。飯作ってるから」
「オレが作るってば!」
「台所いじられるの嫌だって言ったろ」
ケチだケチだと歯を見せ、冬真は渋々新品の下着と寝間着を持って風呂場に消えた。
夕食が遅くなってしまったと台所に立つ春樹は、ぼんやりとしていた頭が冬真と再会して妙に冴えている事に気付いた。思えば喫煙所で白い影を探してみたり、何かにつけ冬真の言動を頭に浮かべたり、どうでも良いと思っていた筈なのに置き去りにした事に謝罪したり。
どこかで冬真を心配していたのかも知れない。それが一時でも同じ時間を過ごした冬真を純粋に思っての事か、置き去りにした罪悪感から来るものなのか分からないが、自分にも他人を心配する気持ちが持てた事に少し驚いた。
「春~上がったよ~交代交代」
「うわ! もう上がったのか? 烏の行水だってまだ掛かるぞ」
野菜を刻みながら思考に没頭していたため、背後から近付く冬真の気配に気付けなかった。背中に飛び付かれた衝撃で危うく自分の指を刻むところだった。
白銀の髪から滴る水滴が肩口を濡らしてヒヤリと冷たい。
「まったく、包丁持ってる時に飛び付くんじゃない」
「じゃあ持ってない時だったらいいの?」
「揚げ足を取るな。それよりちゃんと洗ったのか? 髪だってそんな長いとちゃんと乾かさないと風邪引くぞ」
春樹は肩に着く冬真の髪をタオルで乱暴に拭いてやる。
「だってドライヤー嫌い~」
「それならそれでしっかり拭けっ」
はた、とぼさぼさ髪とタオルの間にあるハスキー犬のような薄い瞳と目が合い春樹は手を止めた。
「……何やってんだ俺は」
水気を吸って冷たくなったタオルを冬真の手に押し込み、ソファーに座って煙草に火をつけた。
「ねぇ春、オレ続きやっていい?」
「勝手にしろ」
一服終えた春樹は適当に返事をして風呂に入った。
浴室に入った春樹は寒さに全身を強ばらせる。つい今まで冬真が入っていたとは思えない程冷えている。律儀に閉めてある浴槽の蓋を開け湯を撒き、浴室を温める。あっという間に浴室は真っ白な湯気に覆われ自分の体も良く見えなくなった。
そう言えば冬真は極度の暑がりのようだった。寒さに強いと言っていたが、真冬の暖房に暑いと言うくらいだから寒さに強いじゃ程度が違う。まさか風呂が暑かったのでは。
「えへへ、バレた? その通り! 風呂場の余りの暑さに耐えきれなかったのでした」
「あれで暑いって……どっか悪いんじゃないのか」
「そんな事ないよ~生まれつきだもん」
長湯して逆上せてしまった春樹は、冷えた缶ビールで火照りを冷ます。こう寒くなると飲み物は冷蔵庫に入れなくても充分冷えるので冷蔵庫を圧迫せずに済む。
「それよりご飯にしようよ。春が長風呂してる間に出来ちゃったよ」
見ればソファー前のテーブルにはすぐに食べれるよう準備が整っている。春樹は残りのビールを飲みほし、ソファーに座る。
この時間に料理するのは面倒だから簡単に済ませようと、野菜炒め用に切っていたキャベツが回鍋肉になっていた。
「うちに回鍋肉に使えるような調味料あったっけか?」
「冷蔵庫の隅に入ってたよ」
「あー……いつのだ、それ」
「知らない」
まぁ、味噌だから大丈夫だろう。
悪くなっていても精々で腹を壊す程度だと、まだ湯気の立つ回鍋肉を口に放り込む。
シャキシャキ感を残しながらも熱々で均等に熱の行き渡るキャベツ、豚肉の油と醤の旨味、全てが口の中で一体となって…
「辛い! 辛いからいカライ! なんじゃこりゃあ!」
火を吹く辛さとは良く言ったもの。春樹は米を口に押し込み水で胃に押し流す。短く息を吐けば呼吸までも辛いのやら熱いのやら。次第に唇までぴりぴりし出す。
一人で悶絶する春樹をきょとんと目を丸くして眺めながら、冬真は回鍋肉を口の中でモゴモゴ咀嚼している。
「一体何入れたんだ! 辛過ぎだろ!」
「そうかな? おいしいよ」
きっと冬真は舌がおかしいに違いない。辛い料理は割と好きだが、いくらなんでもこれは辛過ぎる。
けろりとした顔で激辛回鍋肉を頬張る冬真に、何だか一人で大騒ぎする自分を悔しく思いながら春樹は意を決して第二段を放り込む。
口の中はビリビリ痛むし焼けるように熱いし汗は吹き出すし仕舞いには唇が麻痺してしまったようにろくに動かなくなるし。散々な回鍋肉だったが、とても美味しかった。料理が得意と言うだけあって、辛さを除けば確かに美味。
「辛い辛い言いながら結構食べたね」
ソファーに体を預け舌を出し、どうにか口に残った辛味を逃がそうとしている春樹は返事をしようにもその気力も無い。第一口が痛い。
しかし口が聞けてもきっと言わなかっただろう、冬真の料理がとても旨かったからだ等と。
てきぱきと後片付けをする冬真を目で追いながら、春樹はぼんやり思った。そうだ、居候させてやる代わりに食事当番に任命してやろう──ただし辛さ控え目で。
変な話だ。五年も付き合った彼女の手料理さえまともに食べた事も無いのに、知り合って浅い居候の料理をこれから毎日食べる事になるとは。
「あ」
口の痛みも大分引いた頃、春樹は思い出して体を起こす。人を泊める事が無い春樹。ここには客布団なんてものは存在しない。
寝室の押し入れから毛布と綿布団を引っ張り出す春樹の背中に静かな声。綿布団は長い事干していなかった為湿気を吸って随分重い。
「まさかソファーで寝ろなんて言わないよね」
「寒いの得意なんだろ」
「ソファーじゃ体が休まんないよ」
「綿布団を敷布団にして床で寝なさい」
「やだ! ベッドが良い!」
「男二人がシングルベッドに一緒に寝るなんて、冗談やめろ」
「何だよ! こないだは一緒に寝たじゃん!」
「あれは不可抗力だ! ソファーか床か決めろ!」
「やだー! 春と一緒に寝るー!」
一緒に寝ると言って聞かない冬真はとうとう近所に聞こえてしまう程の声量で叫び出してしまった。
「わかった、分かったから! ちょっと黙れ!」
春樹は慌てて両手で冬真の口を塞ぐ。
全く何て常識を知らない奴だろう、拳を握りしめ騒ぎ立てる姿は子どもと変わらない。今の叫び声で近所にあらぬ誤解を招いてなければ良いが。
早速狭いベッドの壁際に陣取った冬真を横目に、春樹は深く溜め息を落とし電気を消した。
「たく……狭いぞ、もっと詰めろ」
「もうこれ以上詰めれないよ。くっついて寝ればいいじゃん」
「何が悲しくて男とくっついて寝なきゃいけないんだ」
「いちいち堅っ苦しいなぁ春は」
「男と一緒に寝たがるお前もどうかと思うけど」
暗闇の中、顔を捻って慣れない目に映るのは白銀の髪のぼやけた輪郭。僅かに触れ合う肩から冬真の体温が伝わって来るが、体温が低いのかあまり暖かみは感じられない。
「春は小さい頃父親と一緒に寝たりしてなかった?」
「それとこれとは状況が全く違うだろう」
「何でも良いけど……オレ体温低いから、一人で寝ると寒いんだ」
冬真は身を捩り体ごと春樹に向く。暗闇に慣れて来ると、白い冬真の姿が良く見える。枕が無い為腕を折り曲げ枕代わりにしている。
寒いのは得意だと言ったろうと鼻で笑うと、喉の奥でくすくす笑う声が返ってくる。
「あんま暑いのは嫌だけど、寝る時くらいあったかい方が良いよ」
言いながら体を寄せる冬真を振り払おうとして、やめた。見た目に反して中身は子どもっぽく甘えたがりらしい冬真、どれだけの間一人で居たのか知らないが、きっと淋しかったのだろう。
まぁ暫くは甘えさせてやろう。ほとぼりが冷めたら勝手に帰るだろうから、わざわざ新しく布団を買うのも勿体ない。欲を言えば柔らかく触り心地の良い女性が良かったが、それはきっと冬真も同じだろう。男の春樹を選んだのが悪い。
「ねぇ春、お前じゃなくてちゃんと冬真って呼んで……」
面倒だからしょっちゅうは呼ばないと天井に向かって言ったが、返事は無く耳をそばだてれば既に寝息を立てていた。
「恐ろしく寝付きの良い奴だな」
ちらりと冬真の寝顔を見て、春樹も目を閉じた。
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