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ⅱ ⑤
「春! おかえり!」
カウンターキッチンと繋がる居間へ上がれば、真新しい白いエプロン姿の冬真が満面の笑みで出迎えた。
手にはお玉が握られていて、部屋中がカレーの匂いに満たされている。
「春?」
冬真はドアの前で動かない春樹の顔を見上げて首を傾げる。目が合うと、春樹はぷいと視線を外しぶっきらぼうに呟いた。
「……ただいま」
目を合わせないまま寝室に引っ込み電気をつければ、どこに片付けたらいいのか分からなかったのだろう洗濯物がきちんと畳まれベッドの上に積んであった。近頃放置気味で洗濯物が溜まっていたので正直助かる。
犬猫よりはましか。
コートとスーツをクローゼットに掛けながら思っていると、居間から冬真の陽気な声が聞こえる。
「お風呂入れてるけどすぐ入る? それともご飯? って何か新婚夫婦みたいだねー」
くすくす笑う声に、余計な口を聞かないペットの方がやはり良いかも知れないと思う春樹だった。
風呂で暖まった体も、くれぐれも激辛にしないように注意したが出されたカレーの辛さに汗が吹き出し、乾けば余計に冷えてしまった。春樹はカーディガンの上から半纏を着込み、ふわふわの靴下をはいてソファーで身を縮める。
何だって家の中で凍えなきゃいけないんだ。
キッチンで後片付けをする冬真はパジャマに春樹が貸してやった薄手のカーディガン一枚。おまけに冷たい水で皿を洗って平気な顔をしている。
暖房を効かせたいが、またあんなに暑がられるのも見ていて鬱陶しい。
春樹は視線をテレビに戻し、明日の天気予報をぼんやり観た。
天気予報士によれば、明日のこの地域は大雪警報が出ており、外出は控え大雪による災害に備えるよう注意を呼び掛けている。今年の雪の量は異常で、初雪を観測してから僅か十日で例年の降雪量を超えたと言う。全国的に見ても今年はどこも大雪だそうな。
「ちょっと降りすぎだよなぁ今年の雪は」
「雪?」
「大雪警報だと。この地域にそんな警報出たの初めてじゃないか?」
片付けを終わらせた冬真が春樹の後ろに立ってニュースに見入る。
テレビに映された北国の様子は、まるで非現実。大人の身長を遥かに超える高さに雪が積もり、家から出られなくなった人も居るらしい。屋根の除雪作業中に転落して誰其が亡くなったとか、車のスリップ事故が絶えないだとか、雪の重さに倉庫が倒壊だとか。
「凄いな、これ。雪国の人は大変だよな」
「……これは、まずいね」
ぽつりと落とした冬真を振り向くと、眉間に皺を寄せ険しい顔でテレビを睨んでいる。
「ちょっと、電話してくる」
「何だ、携帯持ってたのか?」
「うん、仕事用のだけど」
冬真はどこに持っていたのか折り畳みの携帯を開き、薄着のまま外に出て行った。
カーテンを細く開け外を見れば、大雪ですっかり積もっている。カーディガンだけで寒くないだろうかと気になったが、降り頻る雪の中に薄いセーターとマフラーだけで平気な顔をしていた位だから、まぁ心配いらないだろう
暫くして戻ってきた冬真はやはり、体に積もった雪を払いケロリとしていた。
「仕事してたのか」
「まぁね。今は休職中ってとこかな」
「何の仕事だ?」
「何って……うーん……何て言ったらいいのかな」
簡単な質問をしたつもりなのに、冬真は隣で首を傾げ唸りだしてしまった。
説明が難しい仕事、なんて何かあっただろうか。人に言い辛い仕事なら色々あるが。
「管理会社……みたいなものかなぁ」
「へぇ? 意外とまともな仕事してるんだな。何の管理会社だ?」
「……んー……春は? 何の仕事?」
「俺? 俺は市役所勤めの地方公務員だ」
「普通だね」
「普通が一番だろ。で、お前は?」
どうにか話を逸らそうとしたのだろうが、そう簡単には誤魔化す隙を与えない。職場が分かればうまい事家に帰す方法も見つかるかも知れない。
「んー……もう! 何て言ったら良いか分かんない! いいじゃんオレの仕事なんて何でも!」
「人に言えないような仕事なのか?」
「そんな後ろ暗い仕事じゃないけど、とにかく何て説明したらいいか分かんない」
「普通管理会社って言ったら不動産が一般的だと思うけど、違うのか」
「うん、違う。そんなに気になる?」
「……いや、別に。お前がどこで働いてようが俺には関係ないな」
管理会社の種類をあれこれ考えているうちに、春樹は急に冬真の仕事に対する興味が失せた。
またこれだ。
考えたり悩んだりし出すと途端に興味が失せる。要は面倒なのだ。他人の生活など知っていなくたって自分一人生きるのに何の支障もない。
すると冬真は急に怒りだして、ソファーに足を上げて体ごと春樹に向けて腕を引っ張る。
「関係なくないよ!」
「……じゃあ何だよ」
「……う……その、いつか言うから」
「いつかって言う程長居するつもりか」
引っ張る手から力がなくなり、冬真はしゅんと項垂れてしまった。
「そのうちちゃんと、元居たとこに帰るから……」
背中を丸め淋しそうに呟いた冬真は、春樹の腕を掴んだままの手に少し力を込める。伝わる体温は酷く冷たく、僅かに震えている。
ここまで落ち込まれると流石の春樹も心が痛む。置き去りにした時はそんな様子、微塵も見せなかったのに。
春樹はつむじしか見えない冬真の頭をぽんぽん軽く撫でてやる。初めて触る白銀は驚く程さらさらで、思わず指を差し入れ髪を梳く。
「……別に、もう追い出したりしないから好きなだけ居たらいい」
数分前まで家に帰す方法を探していたのに、口から出て来たのはそんな台詞。
思いの外、冬真が笑顔で言った「いってらっしゃい」「おかえりなさい」の言葉が心地よかったのかも知れない。
誰かに送ってもらったり迎えてもらったり、そんな当たり前の事がずっと、春樹の生活には無かったものだったから。
顔を上げた冬真はきょとんと目を丸めたかと思えば、すぐに笑顔で抱きついて来た。反動でソファーに二人して倒れ込み、春樹は肘掛けに後頭部をしたたか打った。
「痛って……だから、抱きつくなって!」
「良いじゃん、減るもんじゃないし」
「男に抱きつかれりゃ心がすり減る。ほら、さっさと退かないか、起きられないだろ」
冬真は退くどころか春樹の胸に頬をすり寄せしがみついて離れない。
「もう少しだけ~春ってあったかいね~」
「気色悪い事すんな!」
無理矢理引き剥がされた冬真は、唇を尖らせ春樹をケチだと責める。アメリカ人じゃあるまいし、そんな激しいスキンシップはお断りだ。
しかし結局、狭いベッドに二人で並べば、冬真は春樹にくっついて寝るのだった。
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