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ⅲ ④

 会場の焼肉屋に入って暫く。幹事挨拶と課長の労いが終われば待ちわびたビールを一斉に飲み干す。すぐに二杯目を西島が注文し、おあずけ状態で汗をかいていた肉が次々焼かれて行く。西島の隣に座る臨時職員の女性が普段無口なメンバーの飲みっぷりに関心する。  次々空になるジョッキを回収しながら、肉も間が空かないよう西島と春樹は注文に忙しい。本当は一番年若い西島と、もう一人若い職員の仕事なのだが、暗黙の了解で喫煙者は末席に追いやられる。お陰で春樹も毎回給仕に追われる。中盤皆が出来上がった頃に、やっと二人はゆっくり飲み食いに集中出来るようになるのだ。  一息ついて焼酎を注文し、煙草に火をつけ向かいに座る西島をチラリと見てみる。同じく一服中の西島は、隣の女性のお世話に精を出しているようで春樹を見ようともしない。いつもは暇さえあれば絡んで来るのに。  他の職員への態度はいつも通りで、どうも春樹だけ避けられているようだが、何故突然そうなったのか皆目見当がつかない。  別に普段と変わった事は無かった筈だ。理由を聞こうにも目も合わせないんじゃそれも叶わない。春樹はぼんやり考えながら、上座から回ってきた手作りキムチを黙々と食べていた。 「近藤君、よくそんな辛いの平気で食べられるね!」  主幹の驚いた声が聞こえ振り向けば、全員の顔が春樹を見ている。 「え……そんな辛いですか?」  箸で摘まんだままの真っ赤な白菜を口に放り込めば、一斉に声が上がる。どうやら余りに辛過ぎてたらい回しにされたキムチらしい。  どうも、冬真の激辛料理のお陰で辛さに強くなったようだ。 「……近藤さん、焼酎派でしたっけ」  一人納得しながらキムチを食べ続けていると、初めて西島が話し掛けてきた。春樹の手にあるロックグラスを指して眉間に皺を寄せている。 「ああ、最近は焼酎なんだよ。焼酎も悪くないぞ、経済的だ」 「何で焼酎に変えたんすか?」 「何でって……激辛料理にビール飲むと口の中が痛くてな」 「そうまでして激辛料理食べる程辛いもの好きでしたっけ?」 「……何が言いたいんだ?西島」  やたらに質問を重ねる西島に質問を返すと、ふいと目を逸らしそれきりまた春樹には話し掛けて来なくなった。  メンバーが半分になった二次会のカラオケでも西島は一切絡んで来る事なく、いつもより早いペースでグラスを空けていた。  ふらつきながらトイレに立った西島が何となく気になり後を追うと、個室のドアも開けっ放しに西島は吐いていた。 「おいおい、大丈夫か?」 「うー、あんま、大丈夫じゃないっす……」  背中を擦ってやり、吐いて青くなっている西島を引き摺ってフロントの椅子に座らせる。店員に水を貰い、椅子から動かないよう言ってから部屋に戻る。  すぐに自分と西島の荷物をかき集め二人分の料金を置いた春樹の様子に、心配気な声。 「ちょっと飲み過ぎたみたいで。俺あいつ送って行きます。お疲れ様でした」  フロントに戻り、椅子に凭れたままピクリとも動かない西島にジャケットとコートを渡す。吐いた事で少し回復したのか、大人しく着て鞄を受け取り、よろよろと店を出る。  タクシーでも通らないかと道路を眺める春樹の横で、西島は背を反らしちらほら降る雪で顔を冷やしている。 「……近藤さん、ちょっと一杯付き合って下さい」 「は? お前あんだけ飲んどいてまだ飲むのか」 「吐いてスッキリしました」 「まぁ……別に構わねぇけど」  意識ははっきりしているものの足元の覚束ない西島に着いて、春樹は近頃流行りの個室居酒屋に入った。ここは西島が良く足を運ぶ店らしく、馴染みの店員を見付け常連の会話を交わす。  奥の座敷に案内され、サービスだと言う小鉢とビールで再び乾杯する。一息に飲み干した西島は乱暴にジョッキを叩き付け、春樹をじっと見る。 「先に、謝ります。最近態度悪くて、すみませんでした」 「良いって。お前も色々大変なんだろう。奥さん大丈夫か?」  午前中妻の不調のため半休を取った事は、勿論課内の皆が知っている。妻の体調が思わしくないのは事実だが、実際には西島は駅で油を売っていただけだ。  そんな事は露程も知らない春樹は心配気に眉尻を下げる。まともにその視線を受けた西島は、さっと目を伏せ煙草に火を着けた。 「ええ、まぁ……とりあえずは」  西島は紫煙を大きく吐き出し、ジョッキに手を掛ける。条件反射で口をつけるが、すぐに空だと気付きおかわりを注文した。店員が来るまで西島は黙って煙草をふかすだけで、話し掛けても生返事で春樹を見ない。  二杯目のジョッキを半分程空け、また黙り込んだ西島の顔を覗き込んでみる。酷く顔色が悪く、やはりまだ具合が悪いのかと春樹が口を開いたところで、西島は急に顔を上げ息を飲み、真剣な瞳でやっと春樹を見た。 「近藤さん」 「お、おう」 「僕は、そういうのに偏見は持ちませんから!」  拳を固く握りしめ、青い顔のまま何を言い出すかと思えば。 「そういうの?」 「周りは色々言うかも知れません。僕も正直……どう近藤さんに接したらいいか分からなくなりました」 「は?」 「でも最近の近藤さん見てると楽しそうで、彼も幸せそうで……近藤さんが変わったのも分かる気がするんです。そんな形もあって良いかなって思ったんです。僕は二人の事っ、応援してますから!」 「いや、待て待て、話が見えないんだが。彼って誰だ?」  顔を真っ赤にして熱く語る西島の前に手を差し出し、話を区切る。随分真剣に、多分春樹に関する事を話しているが、当の本人は西島が何を言いたいのか全く分からない。 「冬真さんですよ。今日彼に会って話しました」 「何でそこで冬真が出てくる?」 「え。だって近藤さん、彼と一緒に住んでるんでしょ?」 「あいつはただの居候だ」 「まさか。付き合ってるんでしょ?」 「……は? ちょっと待て、何をどう解釈したらその結論に辿りつくんだ」  真剣な表情からはうって変わり、西島は妙にすっきりした顔でビールを飲み干し続きを話す。 「僕、この間駅ビルで仲良さそうに二人で歩いてるとこ見ました。その時はまだ半信半疑って感じだったんですけど……今日冬真さんに会って確信しました。あのコート、近藤さんの好きなブランドっすよね。結構高い。ただの居候相手にそこまでしますかね。近藤さんの嗜好が変わったのも、彼の影響でしょ」  先程までぐだぐだに酔っていたくせに、いやに饒舌に話す。 「お前、冬真と一体何話したんだ?」 「近藤さんとどんな関係か聞いたんす。ただの居候だって言ってました」 「そう、ただの居候だ。別に恋愛的な何かは……」 「近藤さん! 僕にまで隠すなんて水臭いっす! そりゃ、男と付き合ってるなんて大っぴらには言えないでしょうけど、さっきも言ったように僕応援しますから! はじめは混乱したけど、やっぱ僕は近藤さんが幸せなのが一番だと思いますから!」  酔っているのか本気なのか、結局西島は春樹がどう否定しようと説明しようと、西島の中で既に決定している事実は変えられないのだった。  真っ青になって吐いていたくせに、すっかり上機嫌になった西島は笑顔で手を振り帰って行った。  代わりにすっかり酔いも覚め青くなってしまった春樹は、重い足取りで自宅に向かった。気が付けば日付が変わって随分経っている。  とんでもない誤解を招いてしまった。それもこれも、冬真が状況も考えず飛びついてくるからだ。家の中で抱き着かれる事に慣れてしまっていた春樹は、軽く咎めただけで振り払う事はしなかった。よりによって同僚に見られていたとは思いもよらない。  気味悪がられて避けられなかったのはまだましだと言えるだろうが、誤解されたままなのは困る。  まぁ今回は酒の勢いもあって思い込みに拍車が掛かっただけだろうから、月曜にまたきちんと説明して誤解を解くしかないか。  思いながら部屋のベランダを見上げると、夜も遅いと言うのに電気がついている。 「……ただいま?」  何となく音を立てないよう戸を開けると、ソファーで転寝をしていたらしい冬真が目を擦りながら顔を上げ、春樹を認めて眠そうな顔をふわりと綻ばせる。 「おかえり、春」 「何だ、寝てて良かったのに」  ソファーにコートとマフラーを掛けた春樹のジャケットの裾を、冬真はツンと引く。冬真が頭を持ち上げて空いたソファーに座れば、春樹の腰に抱き着いてくる。 「春待ってた……一人じゃ眠れない」 「今寝てただろうが」 「うん。本当は春に、おかえりって言いたかったから起きてた。ちょっと寝ちゃったけど」 「……そうか」  春樹は冬真を押し退け、ソファーに横になる。 「春~狭いよ、オレ落っこちる」 「上に乗ってろ」  言って春樹は冬真を自分の体の上に乗せ、冬真の髪をかき混ぜる。心地よい重みとは裏腹に、伝わる体温はいつもより冷たい。 「冬真、今日西島に会ったんだってな。何話したんだ?」 「西島さん? ああ、春の後輩の……春の良いところ話した」 「何だそりゃ。あいつ……」 「ん?」 「いや、何でもねぇ……」  寒さと狭さに本能はベッドを求めるも、今は何故だか、この心地よい重みを放したくないと、春樹は目を閉じた。

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