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ⅳ ①

 降雪量はすっかり例年通りに戻り、街の色をうっすら覆い隠す事もなくなった。近所の子供達はつまらなそうにしとしと道路を濡らす雨を長靴で蹴っていたが、今までが異常だったのだ。本来この地域で十二月から雪がこんなに降る事はない。  バルコニーの屋根から通常運転をする空を見上げ、通常運転しなくなった自分に春樹は溜め息を落とした。  何かおかしいと気付いたのは忘年会が明けた月曜日。  西島に改めて説明しようと張り切ったはいいがまたも奥さんの不調で一日病院に缶詰だと連絡があった。夕方には戻れそうだと聞いて駅で暫く時間を潰していたが、結局来たのは謝罪の連絡だった。  仕方がないので冬真に何か土産でも買って帰ろうと思い駅ビルをぶらぶらしていたところで初めて周囲の浮き足だった喧騒の理由を知った。  ピークを迎えたイルミネーション、あちこちで目にするきらびやかな飾り付けのツリー、密度の濃いカップルとその多さ。  ああ、今日はクリスマスか。  そう言えば出掛けに冬真がやたら早く帰って来いと念押ししていたのはこのせいか。  これまであらゆる行事に無頓着だった春樹は、冬真の喜ぶ顔を頭に浮かべ、人生で初めてクリスマスらしい物を買って帰った。  居間のドアを開ければ案の定、入る部屋を間違ったかと思う程念入りに飾り付けがされていた。 「ただいま。凄いな、これ一人でやったのか?」 「おかえり春! そうだよ~暇だったから!」 「よくもまぁ…幾ら掛かったんだ」  近頃、買ってやった財布に食費を入れて渡している。食材以外にも必要な物があれば買って構わないと言ってはいるが、こんなに派手な飾り付け、一番気になるところはそこだ。 「最初の感想がそれ? ケチケチだな~。安心してよ、全部ひゃっきんってとこだから! 凄いんだよー商品が全部百円なんだよ!」 「お前は……箱入りのお嬢様か何かか」  初めて百円ショップに行ったらしい冬真は頬を上気させ、興奮し跳び跳ねる。キッチンに籠ったまま。良く見れば、部屋中凝った飾り付けをしているのに冬真は地味なパジャマ。それも、何故か春樹の。 「まだ何か作ってんのか? いつもは飛び出して抱き付いて来るくせに」  訝しく思った春樹がキッチンに回ろうとすると、カウンターから上半身だけ出した冬真が慌てて春樹の足を止めた。 「そ、それより何買ってきたの?」 「ああ、これか? 何となくな。チキンとシャンパン。ケーキは予約しないと駄目なんだとさ」 「ほんと!? ケーキは作ったんだけど、チキンは売り切れてたんだ~」  思い描いた通りの反応と笑顔に、春樹は自分も頬が弛むのを感じ、慌てて口を引き締める。 「べ、別にただ旨そうだから買ってきただけだ!」 「なにそれ! 春かわいい!」 「オッサンにかわいいとか言うな!」  それにしても。やはり冬真の言動がちぐはぐだ。今の調子ならもう何度飛び付きぶら下がられてるやら。今日はカウンターの奥で飛び跳ねるだけで一向に出てこない。  いい加減怪しく思った春樹は冬真の制止を押し切ってキッチンに入った。 「わー! こっち来ないで!」 「……お、前……何だその格好……」  キッチンに隠れていた冬真は、春樹のパジャマの上だけ着て下は下着一枚だった。顔を真っ赤にして上着の裾を懸命に下に引っ張っている。 「その……ほら、最近天気悪かったじゃん、洗濯出来なくて……」  もう冬真の服は一枚もないそうな。 「何で下履いてないんだよ」 「春のパジャマ暑くて……」 「結局それか! お前アホだなぁ、干せないんだったらコインランドリーに持って行けばいいだろ」  俯いてもごもご話していた冬真は真っ赤に染まったままの顔を上げて泣きそうに眉尻を下げて。 「こいんらんどりー?」  そうだ、冬真は百円ショップの存在すら知らなかった。コインランドリーと言う便利な物もその白銀の頭には無かった事だろう。 「今度教えるよ……」  春樹は呆れて笑みを溢し、パジャマの裾を握ったままの冬真の頭を乱暴に撫でた。 「それより飯にしようぜ」 「お風呂は?」 「後で入る。腹減ったし。シャンパンお前も飲めよ。一人じゃ無理だ」 「えー、オレお酒弱いよ」 「潰れたら介抱くらいしてやるよ。ほら、料理が冷めるだろ」  今度こそ冬真は春樹に飛び付き、いつもの優しいを連呼して春樹の背にぶら下がるのだった。  結局冬真はワイングラスに三杯シャンパンを飲んだだけで潰れてしまった。冬真が酔う姿に興味があって暫く放置していたが、これが完全に絡み酒で、べたべたと粘着質に絡んでくる。 「お前ほんと弱いのな」 「だから言ったじゃ~ん体がぽかぽかになんのは苦手なの~」 「辛いものだって体が温まるだろうが」 「それとこれとは別~辛いのであったまってもすぐ引くじゃん」  言いながら冬真はずるずると沈み込み、春樹の腰に抱き付いたまま眠り初めてしまった。 「おい、冬真。寝るならベッドに行け」 「春連れてって~オレもう歩けないー」 「ったく……返って面倒臭くなったな」  軟体動物のように体を弛緩させた冬真をおぶり、春樹は寝室のベッドに落とした。冬真は既に目を閉じうわ言を言っている。  この調子じゃ今夜はソファーに寝るしかないなと、春樹はベッドに大の字に転がる冬真に布団を掛けてやろうと体の下敷きになった掛布団を引っ張る。  ふと、若干サイズが合わずゆとりのあるパジャマの裾から伸びる真っ白な下肢に目が留まる。太股はアルコールのせいか僅かに桜色に染まり、きめ細かい肌と白銀の産毛が蛍光灯の光を反射する。そこだけ見ると、男の脚だと思えず。  ほとんど意識もせずにその綺麗な脚に触れた。  酔って感覚が鈍っているのか、冬真は大した反応も見せずすっかり眠っている。  吸い付くような感触に誘われるように太股の内側に手を滑らせると、脚を縮めて春樹の手を挟み込む。 「ぅ……ん……」  唐突な湿った声に顔を上げれば、桃色に染まった頬に、白に映えるいつもより赤い、濡れた唇。 「んー……春ぅ……」  春樹はそろりと冬真の脚の間から手を引き抜き、髪に差し入れれば自分の名をうっとりと紡ぐ唇を見詰めて、吸い寄せられるように顔を近付ければもう春樹の影に色は見えなくなって。  鼻先が触れたところで春樹は飛び退いた。 「何……何やってんだ、俺は……」  今度こそ寝息を立てる冬真に布団を掛け、春樹はリビングに戻り残ったシャンパンを瓶のまま飲み干した。  頭を振ってもアルコールに脳を浸しても、今自分がしようとした行為は易々と消えてはくれなかった。

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