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ⅳ ④

 年末年始の買い出しで、どこにそんなに人が居たのかと不思議に思う程の人混みに揉まれながら、春樹は大きなキャリーケースを買った。一泊から二泊程度の物は持っているが、冬真の荷物まで考えると入りきらない。  冬真が居候するようになってから出費が増えたが、大した問題じゃない。むしろ春樹は少し嬉しく感じていた。人の為に身銭を切るのは何だか気持ちが良い。  子どものようにはしゃぎまわる冬真と一緒に真新しいキャリーケースに荷物を詰め込めば、冬真に感化されたのか、春樹も帰省を楽しみに思えた。  帰省ラッシュのすし詰め状態でさえ、笑みを絶やさない冬真の顔を見れば苦痛はなかった。  終点で吐き出されてバスに乗り換え、家を出てから一時間半。この地域では高級クラスに分類されるマンションを二人で見上げた。小気味良く靴音が反響するエントランスで夏子にドアを開けてもらい、高層階用のエレベーターに乗り込む。エントランスに入る前からポカンと開けている冬真の口の中は渇いてしまっていることだろう。 「春の住んでるとことは全然違うね」  最上階から一望出来る街を見渡しながら、冬真が足を止めて呟く。  安定を重んじ高望みしない春樹と違い、向上心とチャレンジ精神の強い夏子は、高卒で就いたOLに早々見切りをつけ営業職に転職した。仕事一筋でろくに恋愛もしなかった夏子は年収が春樹の稼ぐそれの桁を超えた年もあった。両手に仕事を抱え生き生きとしていた様子を覚えている。今では仕事の量も減らし気ままにやっているらしいが、毎月のノルマはきっちりこなしている所はいかにも彼女らしい。  さてその夏子の部屋の玄関前にようやく立った春樹。ここに来るまで何も考えていなかった事に気付き、チャイムを押す直前で固まる。  冬真の事を何て紹介しようか全く考えていなかった。 「春? どうしたの?」 「……友達、じゃねぇよなぁ」  第一友人連れで正月に帰省も変だ。夏子の事だから細かい事は気にしないだろうが、西島のようにうっかり誤解されてしまう事は避けたい。ありのままを話せば、身元不明の青年を警察にも届けないのかとまた小言が始まってしまうに違いない。  腕を組んで唸っていると、突然開いたドアに頭をぶつけてしまった。今度は痛みに呻いていると、ひょっこり顔を出した夏子が訝しげに眉根を寄せる。 「何やってんの、来てたなら早く入りなさいな」 「……ただいま」 「おかえり。あら、その子は?」  春樹の背に隠れそわそわしている冬真に気付き、夏子はしかめていた顔に笑みを浮かべる。 「あー、その、こいつは」 「お友達? あんたが友達連れて来るなんて初めてねぇ。あなたお名前は? どうぞ上がって。荷物の事は春樹に任せてお茶でもどうぞ。今からお茶するところだったから丁度良かった」  人の返事を待たず喋りながら、夏子は戸惑う冬真の手を引き揚々と拉致して行ってしまった。  相変わらずのマシンガントーク。変わらない夏子の様子と、説明の手間が省けた事に安堵しながらようやく玄関に入った。  当時は春樹の自室だった客室に荷物を運び入れていると、リビングから聞こえる声が一人分多い事に気付いた。そう言えば、紹介したい人が居るとか何とか言っていた気がする。  客間に放り投げてあった冬真のコートと一緒に自分のコートをクローゼットに仕舞いリビングに行くと、夏子の隣に見知らぬ女性。春樹は簡単に挨拶をして冬真の隣に座る。 「彼女は私の友達の千秋(ちあき)。千秋、これが息子の春樹。仏頂面で可愛くないでしょう」  やはり「息子」と紹介され春樹は胸の下辺りがむずむずとした。差し出されたコーヒーで押し流す。 「仏頂面は余計です。生まれつきなんだから仕方ないでしょう」 「相変わらず堅っ苦しい子ねぇ」  夏子が春樹の敬語に唇を尖らせる。敬語については何度もやめるよう言われたが、すっかり癖になってしまっていて、改める努力もとうの昔に放り出した。 「初めまして、夏子からいつも聞いてます。宜しくね。春樹君、で良いのかな?」 「こちらこそ、初めまして。どうぞお好きなように呼んで下さい」  二人のやり取りを見てくすくす笑った千秋は、春樹を真っ直ぐに見て柔らかく微笑む。その優しげな笑顔と口調からは上品な印象を受ける。カップを口に運ぶ手付きや、夏子お手製のマフィンを頬張る様子も、たおやかで夏子とは正反対。  夏子にこんな育ちの良さげな友人が居たとは知らなかった。 「ところであんた、彼女はどうしたの。てっきり連れて来るもんだと思ってたけど」 「ああ、彼女とは別れましたよ」 「あらま。じゃああんた結婚はどうすんの」 「彼女との結婚反対してたのは誰でしたっけ。結婚はもう、別にしなくても良いと思ってる。夏子さんだって似たようなもんでしょう」 「まぁ、そうだけどね」  夏子は少し表情を曇らせ、ちらりと千秋を見た。それが何を意味するのかは分からないが、自分も結婚していない手前、春樹にばかり結婚しろと言うわけにもいかない筈。  自分から話を振っておきながら、出口が見えなくなったらしい夏子は、今度は冬真に照準を合わせた。 「ねぇ冬真君、春樹とは結構歳離れてるよね。どう言うきっかけで友達になったの?」  黙って話に参加していなかった冬真は、突然話題の中心に引きずり込まれ、コーヒーの湯気から目を離した。  事前に居候の事を口止めしておくのを忘れてしまっていた。全く、こんなに上手く頭が回らない日も珍しい。慌てて春樹が口を挟もうとするも、冬真が笑顔で答える方が早かった。 「一人で居酒屋に居たら、酔っぱらった春からナンパされたんです。結構気が合っちゃって、それ以来よく一緒に飲んでるですよ。って言ってもオレは殆ど飲めないんですけど」 「へぇ、随分仲が良いんだ。春樹があだ名で呼ばせてるなんてね。うちに連れてくる位だから相当だわ。自分の実家には帰らないの?」  初めて春樹が友人を──と呼んでいいのかは分からないが、連れてきたせいか夏子はやけに掘り下げてくる。口を挟むタイミングを失った春樹はひやひやしながら冬真を見る。 「今年は両親がお正月は海外で過ごすって言うんでオレ一人になっちゃったんです。パスポートが間に合わなくって……お正月に一人ってつまんないから春に泊めてくれって頼んだらじゃあ一緒に行くかって」  口を挟むどころか春樹は言葉を失ってしまった。  よくもまぁぺらぺらと、つい数日前まで正月が何かも知らなかったくせに。  玄関前で悩む春樹を見て、何か気付いたのだろうか。それとも、冬真自身も居候の事は伏せておきたいのか。もっともらしい理由で誤魔化す冬真はいつもの世間知らずで幼い様子が微塵も見えない。 「へぇ~ぇ! 春樹がそんな事を! 全く他人に興味が無くて「ロボット」とか言われてたくせに、珍しい事もあるもんで」 「俺だって血の通った人間なんだよ!」  にやにやして春樹を見る夏子に、学生時代のあだ名を暴露され声を荒げる。  冬真の前で余計な事を。妙な印象を持たれたらどうしてくれるんだ。  すっかり夏子に興味を持たれた冬真は、彼女の質問攻めにも嫌な顔一つせず答えていた。以前春樹が訊ねた事も含まれており、時折答え難そうに言葉を詰まらせていたが、そんな様子を即座に察知した夏子はすぐに質問を変えた。  隣で聞いていた春樹も得るものは多く、冬真と言う人間が少し分かった気がする。  職場は遠くにあるらしく、それも住み込み。就職してからずっと、ろくに休みも無く働いてきて、ようやくの長期休暇だったらしい。それも相当強引に取ったそうだ。  ブラック企業じゃないかと指摘するも意味が良く分からなかったらしく、首を傾げていた。 「職場に缶詰めって言っても、繁忙期以外は結構のんびりしたもんだよ」  そう言って柔らかく笑う冬真は、ほんの少し、淋しそうに瞳に影を落とした。  冬真が料理が得意だと分かると、夏子は嬉々としてキッチンに連れ込み、夕飯の支度を手伝わせた。  リビングに残された春樹は、微笑んで二人を見守る千秋をちらりと盗み見た。どうやら話好きの夏子の聞き役らしく、お喋りな方ではないようだ。合わせて春樹も口数が多い方ではないため、リビングは火の消えたように静かになった。無言で視線を交わせば、千秋はにっこり笑ってキッチンに視線を戻した。  その横顔は何だか幸せそうに見えて、春樹は不思議に思った。  テーブルの上で軽く組んだ手には、左薬指に細い指輪が見える。既婚者なら自分の家庭があるだろうに、大晦日に友人宅で油を売っていて良いのだろうか? 「あの、千秋さん?」  控え目に声を掛けると、ゆっくり振り向いてことりと首を傾げる。 「失礼ですけど、ご自宅に居なくていいんですか?」  千秋は笑みを消し、瞳を揺らして斜め上を見る。顎に添えられた指先は、よく手入れされていて上品なフレンチネイルが似合う。  泳がせた視線が空になったカップを見て、温かいコーヒーを注いでから静かに口を開いた。 「心配してくれて、ありがとう。私の事は後で夏子が説明すると思うから、気にしないでね」 「はぁ……」  コーヒーを一口啜って、千秋はまたキッチンに視線を戻した。  それが会話の終了を意味する動きだと解釈した春樹は、それ以上何も聞かなかった。

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