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ⅵ ②

 しばらくして──実際には一分もなかっただろうが、春樹にはその時間が一時間にも二時間にも感じられた。冬真がぽすりと春樹の胸に額をつき、小さく言った。 「嬉しい……嬉しい……春、もう一回言って」 「好きだ。好きでたまらないんだ。冬真、帰るなよ、ずっとここに、俺のそばに居てくれ……」  冬真は返事の代わりに、春樹に抱き付いてきた。いつもは抱き付かせたまま放っていた春樹は、初めてそろりと冬真の背に手を回した。その背は思う以上に小さく、冷たくて、男特有の骨っぽい感触。それがたまらなく愛しい。力を込めて抱き締めると、冬真もそれに応えた。 「春……震えてるの?」  耳元で囁く冬真の言葉に、春樹は腕の力を緩め自分の掌を見る。その手は小刻みに震えていて、意識してみると全身も僅かに震えている。 「……好きだと言えばお前が出て行っちまうような気がして、怖かったんだ」 「まだどこへも行かないよ、休暇残ってるしそれに……オレも春が大好きだから。ずっとずっと、大好きなんだよ……ね、夢みたい。オレちゃんと起きてる?」  春樹もその自信はない。ひょっとして現実だと思い込んでいるだけでいつの間にか眠ってしまったのでは。白銀から漂う匂いも、撫でればさらさらとした指通りも、腕の中の僅かな温もりも、春樹を好きだと言った冬真の言葉も。全部夢なのでは。  春樹は試しに自分の頬をつねってみた。こんな漫画のような事をしている自分を嘲笑する余裕もない。  春樹を見上げて困惑している冬真の頬もつねってみる。 「いて。何すんのさ!」 「痛いか。じゃあ夢じゃないんだな」 「……そっか。夢じゃないんだ。夢じゃないんだね」  涙をこぼしながら笑顔を見せる冬真の髪を、もう一度撫でる。口を開いた冬真の唇に人差し指を当て言葉を飲み込ませ、指を離す。白い肌に映えるその赤い唇──何度も夢にみた唇に、自分の唇に重ねた。  想像した通り、冬真の唇はひんやりと柔らかい。ほとんど体温は感じられないのに、乾燥しているどころかしっとりと吸い付いてくる。顔を離すと、冬真は目を見開ききょとんと春樹を見つめる。 「え。なに……んぅ」  春樹は冬真の後頭部を押さえ、もう一度唇を重ねる。ぽかんと口を開いたままの冬真の口内に舌を侵入させ、下顎に張り付いていた舌を絡めとる。冬真の口内はやはりひんやりとしていて、春樹の舌までも冷やしてしまう。  舌を絡めとられたまま冬真は何か話そうとするが、ろくに言葉にならない。 「ん……は、ぅ……はう……あいふんおはっ」 「……何て言ってるのかわかんねぇよ」 「何すんのさぁ……」 「何って……したことないのか、キス」  舌を解放してやると、冬真は口を手で覆い隠す。 「きす? よく知らない……」 「……そんな、とろんとした顔でよく言う」 「んむ」  口を隠す手を強引に引き離し、三度目に唇を重ねる。春樹の舌で多少暖まったのか、今度は僅かに暖かみを感じる。春樹の舌にいいように遊ばれていた舌は、やがておずおずと春樹の口内に伸びてきた。それを強めに吸い、甘噛みすれば舌の根元から甘い音が響く。 「あふっ、ん、んぅっ」 「なんて声出してんだ」 「だって、頭がぽーっとなって、ふわふわして気持ちいい……」 「……お前……冬真さ、最近俺がどんな気持ちで同じ布団に寝てたかわかるか?」 「え? どんな? え、狭いなーとか、寝苦しいなーとか?」 「……お前やっぱ、馬鹿だな」  冬真の反論も待たず、春樹は冬真を押し倒し足を挟んで跨がる。冬真の顔の横に着いた肘を支えにして、冬真の額を撫で枕に頭を押し付ける。そのまま再び唇を重ね、舌を吸い、飢えた獣のように冬真の口内を余すところなく舌を這わす。  言葉が堰だった。  冬真への想いを口に出すと、溢れる煩悩が外界へ流れ出さないよう堅固に守っていたダムは、簡単に決壊した。  殻を壊され三日も明けていないのに、溢れる想いや欲望は留まるところを知らない。それは一体いつから蓄積されだしたのか。忘年会の夜か、冬真のために駅ビルで散財した日か、それともまだ前、出会った夜か。 「悪い、止まらないみたいだ」 「止まらないって、何が?」  やっと唇を解放された冬真が春樹を見上げる。青灰色の瞳は、リビングから入る光に照らされきらきらと輝いている。体を起こし、冬真のシャツのボタンを外す春樹の手元と顔を困惑した様子で交互に見ている。 「え、なに? お風呂? 自分で脱げるよ?」 「ちょっと黙ってろ」  シャツの隙間から、薄闇に浮かぶ冬真の透き通るような白い肌。すべてを露にさせようとした手を冬真がすかさず掴む。 「なに? 春、何なの?」 「お前……今の状況が本気でわかってないのか?」 「え? え? なに……ちょっと、動けないよ」  春樹は困惑したままの冬真のの手を掴み、頭の上で押さえつけ万歳のような格好をさせ抵抗を封じる。意外と冬真は力が強く、両手で押さえていないと逃げられてしまいそうだ。  何とか脱出を試み身をよじった冬真のシャツがはだけ、細い体が露になる。 「春、恥ずかしいよ、放してよ」 「だから、ちょっと黙ってろって」  磁器のような肌を掌で感じたかったが、あいにく両手は放せない。春樹はかわりに唇で冷たい肌に触れた。胸元に乗せた唇を鎖骨まで滑らせれば、さらさらとなんの抵抗もない。そのまま鎖骨の上辺りに唇を押し付け、強く吸い付く。冬真が相変わらずもがいているうえに春樹はこんな事をするのは初めてだったため、それは雪原にインクを一滴垂らしたように、白い肌にほんのり赤くにじんでいた。 「……綺麗だ」  ぽつりとこぼすと、冬真はやっと大人しくなった。疲れてしまったのか肩で息をしている。春樹はそろりと手を放し、唇でたどった肌を今度は指先でなぞる。春樹が手を触れると僅かに身じろいだが、冬真は手を上げたまま逃げないでいる。  なんて白い肌。なんてすべらか。すべすべとしているのに吸い付くようなキメの細やかさ。  夢中で冬真の体を撫でているうちに指先がツンと立った小さな乳首をかすめ、冬真の喉から甘い声が漏れた。それだけでもう、ほとんど残っていない春樹の理性は霞と消えてしまいそうだ。 「やっ」 「……急に大人しくなったな」  春樹は今の刺激で固くなった乳首を親指で潰して捏ねる。僅かに身じろぐ冬真の様子は、先程とは様子が違う。 「だって、なんか変な感じ……」 「変って?」  言いながら春樹は首に舌を這わす。今しがた自分が付けた跡より離れた場所、鎖骨の下に吸い付き、そのまま胸まで這わせていく。 「んっ……なんか、ドキドキして、体が熱くって……」  親指で捏ねている方とは反対の乳首を舌先でなめる。小さな乳首を舌先で転がし、押し潰して音を立てて吸い、ほんの少し歯を立てる。冬真はぴくぴくと体を跳ねさせ、落ち着いていた呼吸が荒くなってくる。 「やっ、ぁ!」 「……それで?」 「あぅ……それで、それで……ぞくぞくして、むずむずする……んっ……!」 「それな、気持ちいいって言うんじゃねぇか」 「気持ちいい……?」 「そうだよ。気持ちいいから勃ってんだろ」 「え?」  冬真は春樹の視線を追い、自分の下半身を見た。その瞬間、桃色に染まっていた頬から血の気が引きみるみる白くなる。急に冬真は春樹を押し退けて飛び起き、着替えもせずに穿いたままだったチノパンを引っ張りまじまじと己を見つめた。 「冬真?」 「は、春。なにこれ。オレ、なんかの病気?」  手はチノパンに固まったまま、顔を上げた冬真はすっかり青ざめ今にも泣きそうな顔で唇を震わせている。それを見た春樹は大笑いし、とうとう泣き出した冬真にはたかれてしまった。 「何で笑うのさ! そりゃ、こんなとこがこんなになっちゃっておかしいだろうけど!」 「なに言ってんだお前、そりゃ病気じゃねぇよ。男なら当たり前だろ……え。まさか冬真お前……勃起したことないのか?」 「え? ぼっき? ぼっきってなに? 当たり前って、春もぼっきするの?」 「勃起連呼するなよ……」  初めてそれを目の当たりにし、それがどういう状態なのかも知らないらしい。冬真の顔には血の気が戻っていて、止まった涙が下瞼の上に溜まっている。胡座に座る春樹の下半身に視線を落とすと溜まっていた涙がポトリと落ちた。 「春もぼっきするの?」 「するに決まってるだろ。絶賛勃起中だ」 「オレがおかしいんじゃないんだね」  下半身から視線を外さない冬真に、春樹は試しに言ってみる。 「……触ってみるか?」 「いいの?」  すると冬真は目を輝かせ、そろりと手を伸ばす。パジャマの薄いズボン越しに触れた手はやはり、春樹の熱に負けて体温は伝わらない。 「っ……」 「わ、凄い、かちかち。何でこんなになっちゃうの?」  春樹の熱を撫で回したり握りしめたりして目を丸くする冬真をまたベッドに押し倒す。唇を重ねて舌を絡めながら、春樹はチノパンのホックを外した。 「何でかって?」 「あっ、やだ、触らないでっ」 「冬真だって触っただろ」 「やっ、は……やだやだ、さっきよりむずむずするっ」 「むずむずじゃなくて、気持ちいいって言えよ」 「あ……き、気持ちいい……?」  下着から引っ張りだし掌に包んだ冬真の熱は、春樹が与える刺激に素直に反応する。熱、と言ってもそこさえもほんのり暖かい程度。  正直に言えば、それを直に触れる自信はあまりなかった。いくらゲイ動画を見て興奮しても、頭の中で幾度となく冬真を抱いても、いざその時が来れば怖じ気づいてしまうのではと。もっとも、本当に「その時」が来るとは夢にも思わなかった。 「あんっ、んっ、春っ、気持ちいいよぉ……」 「何でかって……お前がそんな可愛い反応するからだろう」 「ぇう……オレのせい?」 「そうだ、お前のせいだ。興奮し過ぎて、頭がどうにかなりそうだ」  濡れた青灰色の瞳で春樹を見上げ、眉は頼りなく下がり、頬は桃色に染まり僅かにしっとりしている。そして甘い声と吐息がこぼれる赤い唇。春樹が与える刺激に震える体、真っ白な雪のような肢体。掌に包んだ幼さの残る熱も、愛おしい。  春樹は上下にこすっていた手を止め、そろりと放した。残念そうな色を含む声で春樹の名を呟く冬真の額から髪に手を差し入れ、白銀を梳く。 「冬真……どうも俺は、自分で思ってたよりずっとお前の事が好きらしい。頭がどうにかなる前に、一応お前の了解を取っておきたい」 「なんの?」 「勃起もわかんねぇんじゃこれから何をするのか想像もつかないだろうけど……」  言葉を切った春樹を、冬真は目を丸くさせて見つめた。本当に何の話かわからないらしく、キョトンとして話の続きを待っている。 「冬真が欲しい。できるだけ優しくするから。自信はねぇけど」 「なんかよく分かんないけど、春のしたいようにしていいよ」 「途中で嫌だとか言ってもやめられねぇからな。いいんだな?」 「うん……春がそんなにオレが欲しいなら、全部あげる」

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