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vii ①
西島と現実的な話をしたおかげか、午後の業務でぼんやりすることはなかった。
確かに十代のような恋愛をすることはできないし、するつもりもない。夏子と千明のように、生涯を約束するのもいいかも知れない。だが障害は多いだろう。誰しもがぶつかるであろう社会や世間、法の壁のことではない。春樹は、冬真のことを知らなさ過ぎる。
冬真は春樹には話せないと言った。未来の話もしない。未来をほのめかすような話題では、返事をせず曖昧に瞳を揺らすだけだ。そうして少し暗い影を落とす。何より、ずっとそばに居て欲しいと言った春樹に抱きつくばかりで、はいもいいえもなかった。
不思議だ。ほんの数時間前、冬真に想いを告げる直前まで、二人に未来がないと決めつけていたのは春樹の方だったのに。
話をしよう。もうここには、他人に興味がなく、ましてやそれが時間の無駄だと思い、一人で生きていく事を選んだ男はいないのだ。冬真が春樹の部屋を出ると言っても構わない。居候という特殊な環境で一時芽生えただけの勘違いだったと言われても構わない。今は、次々溢れて止める事が出来ない感情を、ただ伝えたい。
家路を歩く春樹の頬がちらりと冷たくなった。空を見上げて目をこらしてみれば、雪がちらちらと舞い降りている。雲の合間で街灯から隠れるように淡く光る星が、そのまま降り注いでいるようだ。春樹の頭の中に使い古された言葉がよぎる。
──ああ、世界はこんなにも、綺麗だったのか。
「ただいま。冬真?」
思考に歩みをとられたうえ、ぼんやり空を見上げたりしていたので帰りが遅くなってしまった。明りの見えない部屋を不審に思いながら玄関をくぐると、やはり中は真っ暗だ。勿論冬真の出迎えもない。靴はあるようだから、中にはいるようだが。
電気をつけてコートを脱ぐが、リビングは外と変わらないほど寒い。朝も帰りも、いつも部屋が暖かいのは冬真のおかげだったのだと、当然の事に今さら気付く。あまりの寒さにコートを再び羽織り、とりあえず暖房を入れてキッチンを覗いてみる。まな板には切りかけのキッシュ、トースターの中には焼くつもりなのだろうバゲット、鍋に入っているビーフシチューはまだ暖かい。ソファー前のテーブルはキャンドルやクロス、花まで飾ってあるのはここに越してきて初めて見る。
なんだかやたら豪華だが、今日は何かあっただろうか?
ひとまずコートを脱いで半纏でも着ようと寝室に入ると、ベッドで白銀が揺れた。
寝ていたのか、珍しい。
電気をつけても気付かない冬真を横目に見ながら、クローゼットにコートを押し込む。半纏は冬真が抱き枕に使っていた。
やれやれ、いくら寒さに強いと言ってもこんなに薄着ではさすがに風邪を引いてしまうだろうに。
寝返りを打って掛け布団のような格好になった半纏の裾からのびる、真っ白な足を見ながら思う。あんまりよく寝ているものだから起こすのもかわいそうな気がするが、一人であの豪華な食事はできない。
「……こりゃ、一体どうしろってんだ」
半纏をめくったがすぐに掛けなおし、鼻を押さえる。鼻血が出たのではないかと思った。出ていない事を確認して、ひとまずベッドの脇に腰掛ける。ふーっと一息ついて、冬真の頬をつねる。
「いて」
「……おはよう」
「うーん……あ、春。おかえり……」
春樹を認めた冬真は、眠気まなこをこすってむにゃむにゃと喋る。あくびをして起き上った冬真から、春樹は目をそらす。
「ごめん、寝ちゃってた。ん? どうかした?」
「……なんでそんな格好で寝てんだよ」
「え。あ! えーと……その、暑かったから……なんて……」
冬真は全裸で寝ていた。不意打ちをくらった春樹はまともに冬真を見ることができない。
「にしたって下着くらい穿くだろ」
「だよね……と、とりあえず着るから、あっち向いてて欲しいかな~……」
半纏を抱えてきょろきょろする冬真。春樹は要求を無視して詰め寄る。そろりと後ずさりする冬真を押し倒し、顔の両側に手をついて閉じ込める。
「素っ裸で、ベッドで、一体何してたんだ?」
少しは冷静になれたはずだった。いや、そう思い込んでいただけだった。
長年深海のような場所に閉じ込められ、気付かれないままやがては化石となるはずだった欲望は、突然の解放に留まることを拒否しているらしい。
「何って、だから寝てたんだよ……」
今夜は二人の未来について話し合おうと思っていた。冬真の事をもっと知ろうと思っていた。それに腹も減っているし、寒いし、熱い風呂にでも入って暖まりたい。こんなことをしている場合じゃない。しかし冬真の恥じらう姿を見れば、欲望を飼いならす術を知らない春樹の理性は簡単に吹き飛んでしまうのだった。
半纏を引き抜き、真っ白な肢体を露わにしても、冬真は恥ずかしそうに身をよじるだけで抵抗しない。そろりと指先で脇腹に触れると、びくりと腰を跳ねさせ甘い声を漏らす。
「なんだ、やけに敏感だな?」
「あっ、そんな、ことないっ」
するすると脇まで指を滑らせただけで、冬真は熱い息をつく。ちらりと下腹部に目をやれば、既に硬く主張している。
「そんなことあるだろ。ほら……何やってたか正直に言えよ」
夕べ春樹がつけた印は、うまくいかなかったため既に消えかけている。そこに舌を這わせ、もう一度吸い付く。今度ははっきりと残ったアザがなんだか誇らしい。冬真はというと、完全に興奮してしまったようで、物欲し気に上目で見ている。
「……春が……朝あんな……」
春樹と目が合うと、顔を真っ赤にして目をそらす。
「春が、今朝あんな中途半端にするからずっと、もやもやしてたんだよぉ! だから……」
「だから?」
「だからその……春が夕べしてくれたように……自分でしてた……ってこんな事言わせないでよぉっ!」
勃起もセックスも知らなかった男が、初めて自慰をした羞恥に顔を真っ赤にして涙目になっている。春樹の肚で獣が頭をもたげる。
「へぇ……自分でって、どんな風に?」
「……春は自分でするの?」
「いや、しねぇな」
目に今にも零れんばかりの涙を浮かべて、肩を震わせ春樹を見詰める。性の知識や経験が皆無なのにもかかわらず、それらが現代のヒトにとって羞恥を伴う行動だと感じているらしい。
そんなまっさらな冬真を、自分色に染め上げて支配したいという欲求が沸き上がってくる。そんな思いから、春樹は平気で噓をついた。
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