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第十話「策略、反撃開始」

「詠斗、ここでキスして」 「ここ、公共の場。海外じゃあるめぇし…」 「いいの?そんな事言って。あの写真のこと…」 その先の言葉ごと奪うように浅野は四ノ宮の唇を己のと重ねる。どうにも腹の奥がもやもやして仕方ないが、こうまでして四ノ宮の言う事を聞くのは全て井上の為だった。当たり前のことだが、周りがどよめく。通り過ぎてく人々や立ち止まってひそひそと話す言葉も当然耳に入ってくる。それもそうだ。仮にも四ノ宮は少しながらも人気のあるファッション雑誌の読者モデルだ。噂が流れでもしたら厄介と思うも当の本人は寧ろそれを望んでいるかのようにこうやって公の場でも積極的に求めて来る。今は朝で通学中だ。他の生徒も無論目にしていたのだろう。噂は一気に広まっていった。通知が鳴りやまないスマートフォン。学年で作られているグループチャットが騒がしく浅野の噂で埋め尽くされていく。本人も見るというのに大したものだ。 『浅野と四ノ宮が付き合ってるって本当?』 『道でキスしてたってさ』 『ただでさえ目立つ二人なのにな』 『あの二人なら納得かも~』 浅野が覗いた限り、これらの言葉が並べられているのを確認する。通知をオフにしてポケットにスマートフォンをしまえば一つ溜息を深く吐いた。 こんな時でも浅野は井上のことばかり考えている。あの日のアトリエでの出来事。重なる唇、吐息、体、すべてが愛おしいと思えた瞬間。最後に井上が口にした言葉。何度も浅野の頭の中で繰り返される。 『俺は…講師でありながら、浅野君、君のことがずっと好きでした』 一語一句間違えず、室内に響いた声や情景さえも頭に残っている。井上の言葉が、怯えたように震えた声が、頬を伝って零れ落ちた涙が。目の前に見えているのに掴めないもどかしさが胸を締め付ける。手に入ると思った矢先にそれを取り上げられたような感覚。そのせいか、どうにも四ノ宮が邪魔で憎くて堪らなくなってくる。何とかしたいという気持ちばかりが先走って策など思いつくはずも無かった。だからこうして待っているのだ。どこかで四ノ宮から隙が見つかるのを、静かに、まるで野生の肉食獣の様に息を潜めて。 四ノ宮は終始浅野にべったりとしていた。誰も近付けさせないというよりも、周りに二人の関係を知らしめる為といったように。時には自分とは関係のない講習にも着いてきたりしていた。井上の講習にも。それでも井上は常より変わらぬ態度で堂々と講習を終える。内心はどう思っているのか、傷付いているのか、もう自分への想いなど断ち切ってしまっているのか、分からないのもまた言い知れぬもどかしさは残る。いずれそれに慣れるようになっていった頃、冷静に考えが及ぶようにはなっていた。そして、浅野はある計画に動こうとしていた。それは大きな賭けとなる。 「恵美、帰りは俺んちに来い。今日はそういう気分だ」 何も知らない四ノ宮は頬を染めながら右腕に強く抱き着いてくる。それを内心疎ましく思いながらも浅野は悟られないように平然を装っていた。 浅野が言った通り、帰りは浅野の家に寄り道をする四ノ宮。心なしか表情も浮かれて見える。それもそうだ。漸く手に入れたかった人物を自分の手の内に入れているのだから。そんな時に限って井上と鉢合わせてしまう。視線がぶつかるのにその目は、他の生徒を見る目と同じ色をしていた。井上から短く挨拶をしてすれ違う。井上はもう浅野の事などどうでもよくなってしまったのか、そういう考えばかりが頭を過る。そうだとしても浅野は諦めきれるわけがなかった。何よりも井上の想いを、言葉を信じたかったのだ。 浅野は部屋につくなりキスを迫る四ノ宮を宥めてやればシャワーを浴びるように促す。恥じらいながら四ノ宮は浅野のの言葉を快く受けて脱衣所へ続く扉へと入っていった。 その間に浅野は四ノ宮の鞄を漁る。無警戒なのかスマートフォンは中にしまい込まれていた。プリントアウトした写真は……無い。頭の弱い四ノ宮のことだ、印刷も残していないか、あるいは自宅に隠し持っているか。取り敢えず浅野と井上が抱き合っている写真は削除した。そして疑われないように元へと戻す。ここからが本番だ。どうやって聞き出していくか。四ノ宮が浅野に惚れていると見た過程で行くとそれは容易い事のように思えるがあまり深い付き合いも無い、というより浅野が四ノ宮を気にかけてこなかった為に本心が分からない。ここからは探るしかないのだ。 暫く思考を錯誤していると、バスタオル一枚をすらりとした体に巻き付けて部屋に入ってきた。 「はっ、その気まんまんじゃん」 「詠斗が誘ってきたんでしょぉ?その気になっちゃうに決まってるじゃない」 首にすらりと伸びる細い腕を絡ませて耳元で甘く囁きを落としてくる。嫌悪さえ生まれるのに今は逆らう事は許されない。浅野はするりと腰に手を這わせて緩く抱き寄せてやった。肌が重なるだけで吐息を漏らす四ノ宮は明らかに煽っている。なのに浅野は全く反応もしない。けれど行動は甘ったるく溶かそうとしている。逆手を背に添え支えながらゆっくりと後ろのベッドに四ノ宮を押し倒しては乱暴に唇を奪い何度も角度を変えて深く口付けていく。額を重ね唇を浮かせれば触れそうで触れない唇の間で言葉を紡いだ。 「なぁ、あの写真、消してもいいか?お前以外の奴とくっついてるとことか残したくねぇんだけど」 「ふふ、だーめ。だってあれがないと詠斗、どっか行っちゃうでしょ?」 「プリントアウトとかメモリーに移すとかして人質に取っとけば?」 「あ、その手もあった。じゃあ、今度そうしようかな」 疑惑が確信に変わった。先程消した写真しか後は残っていない。こういう頭の悪い奴は詰めが甘い。きっとバックアップさえもまともに取っていないだろう。感謝の意味を込めて浅野はもう一度深く唇を重ねるとゆっくりと顔を離し、低い唸りのような声を上げて。 「さっさと服着て失せろ、雌豚。お前はもう用済みだ」 「なっ、そんなこと言っていいの!?あの写真…」 「お前、どこまで警戒心なくて頭悪ぃの?んなもんその汚ぇ体洗ってる間に消してやったよ」 一気に顔が青ざめたかと思うと、今度は一気に真っ赤に頭に血が上っていく。一気に怒りが浸透していくのが手に取る様に分かった。けれど、浅野にはもう怖いものなんて何もなかった。ここからが反撃だ。

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