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第55話 ─潤─

 本当の性別も、想いも、伝えなければいいだけの話だ。  ……とは言うものの、どちらも潤にとっては過酷な選択である事は間違いない。  潤はこれまで通り天と接していられればそれでいいのだが、なまじ恋に気付いてしまうと線引きが非常に難しい。  ベッドの隅で頑なに縮こまる、これまで葛藤し続けてきた天の体と心。 それを今ここで、潤がいくら溶かそうとしても無理なものは無理だ。  潤もそうであるように、性別の苦悩は言葉には言い尽くし難い。  不本意にも性別を隠していた相手にヒートを救われてしまった天と、直面し救った潤とでは動揺の具合も遥かに違うだろう。  潤は、天を苦しめたくはなかった。  嫌だと言う天の気持ちが痛いほど分かるだけに、物分りよく頷いてやる事しか、傍に居られる方法はないと思った。  α性だと打ち明けようものなら、天は二度と潤と会ってくれなくなる。 たった今、「αの者に支配されたくない」と天本人が言っていたからだ。  それならば、悩む必要もない。 潤は、天の傍に居たい。  初めて会った日からほぼ毎日のように連絡を取り合って仲を深め、何度か短いデートをし、日毎に天の存在が大きくなっていった潤には、突き放される事が何よりも恐怖だった。  黙り込んだ潤をチラチラと窺う視線に、いじらしさを感じる。 見た目もさることながら、天は仕草や言動が可愛い。  気付いてしまった想いに蓋をせざるを得なくなったが、傍に居る術は確保した。  天の体を抱き締めた感触がまだ腕に残っていて、思わずフッと笑みが溢れる。  すべてを語った天が「帰る」と言い出さないだけ、まだ救われた。  今はそれだけで充分だ。 「───あ、そうだ。 ディナー食べ損ねたからお腹空いたでしょ? 本宅で何か作ってくるね」 「えっ? いや、そんな、……。 てかここって……?」  立ち上がった潤を、可愛い視線が追い掛けてくる。  話題が変わった事にあからさまに安堵している様子の天に、潤は優しく微笑んだ。 「あぁ、ここは僕のお城だよ」 「……家ってこと? あっちの家は何?」 「向こうも僕の家なんだけど、両親と兄夫婦の二世帯住宅なんだ」 「あっ、潤くん、お兄さん居るんだ?」 「うん。 九つ離れてる」 「えぇっ!? ……そ、そうなんだ。 なんかよく分かんないけど、潤くん……独り暮らし、みたいだな」 「そうだね。 僕が向こうの家に出入りするのは、食事とお風呂の時だけ」 「な、なんで……? 寂しくない?」  事情がありそうだと勘付いているのに、深くは聞き出そうとしてこない清淑さが好きだ。  潤は寂しがり屋で、恐らく天にもそれはバレている。  ……寂しいに決まっている。  わざわざこんな離れ家を建てて期待を押し付けられた事も相まって、潤は両親に反発しているのだ。  天ほどではないしろ、潤も相当に自らの性を憎んでいる。 なぜβで居させてくれないのだろう、と……。 「寂しいって言ったら、天くんここに居てくれる?」 「へっ!? いや、えっ!?」 「あははは……っ、冗談だよ。 ちょっとだけ両親が教育熱心で、僕期待されてるから勉強に打ち込みなさいって意味でここに。 しかも本宅には兄夫婦も居るしね、僕はこっちで自由に自分の時間過ごせて快適だよ」 「……そう、なんだ」 『居てよ。 出来る事なら、ずっとここに居てよ。 快適なはずない。 どうして僕だけ違うの。 家族とも過ごせない、未来も勝手に決められる。 αだというだけだよ。 僕は僕なのに』  ───嘘の上塗りをした潤は、この台詞が喉まで出かかった。  嘘を吐き続けるのはツラい。  けれどこれも、天と居るためには必要な不実だ。 潤にとっては言うまでもなく、必要悪。 「あっ、潤くん、マジで俺お腹は……っ」 「僕が空いてるの。 ホッとしたらお腹グーグー鳴ってて、さっきからうるさいんだよ。 食べられたら天くんもつまんだらいいじゃん。 ね? あ、ちなみに今日は絶対にここに居て。 抑制剤、半分しか天くんの体に入ってないよって僕言ったよね」 「…………うん、……」  本宅に向かうべく靴を履いていると、天が立ち上がって追って来ようとしたが、「ここに居て」ともう一度言うと天はすんなり頷いてマフラーを握り締めた。  まだこの時間では両親と、もしかすると現在不仲な兄夫婦がリビングで微睡んでいるかもしれない。  天がヒート直後で無ければ「友人だ」と言って紹介するのだけれど、潤の性別がバレてしまう恐れもあるため今日はその時ではない。  潤が本宅のキッチンに向かうと、兄夫婦は居なかったが案の定両親は起きていた。  母親と短い会話を済ませ、天が好きだと言っていたミートソースのパスタを手際良くこしらえた潤は、何食わぬ顔で離れ家に戻る。  近頃母親と交わす会話は「勉強はかどってる?」「うん」のみだ。  本当は勉強などそこそこにしかしていない。  クリスマスシーズンは連勤に次ぐ連勤でヘトヘトで、正直それどころではなかった。  潤がアルバイトをする事に関し、両親は今も良い顔をしないがそれ以外の点で従順な息子には反論出来ないでいる。  そうで居てもらわねば、潤はもっと自らの性を嫌いになってしまう。  もはや天に嘘を吐いている時点で、彼の言葉を借りるならば「うんざり」なのだが。 「潤くん……! ほんと、ごめんな……っ? 嘘ついてて、ほんとに……っ! 俺、申し訳なくて……!」 「────ッ!」  パスタを手に離れ家の扉を開けると、すぐ目の前で天が立ち竦んでいた。  瞳には涙をいっぱい溜め、独りにしていた間もこの密室で思い悩んでいたらしい。  ギョッとした潤は大急ぎで靴を脱いで部屋へと上がり、勉強机にパスタ皿を置いて天を振り返った。 「ちょ……! 待って、な、泣かないで……!」 「だって、……潤くん優しいから……っ、俺がΩなの知っても、優しいまんまだから……っ」  両手で顔を覆い、鼻を啜る天の全身から哀愁が漂っている。  ふと見ると、顔を覆っている両手には先程まではしていなかった潤のプレゼントが着けられていた。  天は、潤の居ない間に帰ろうとしたのかもしれない。 首元には畳まれていたはずのマフラーまで巻いてあり、潤の考察を裏付けている。  だが、帰らなかった。  世間はあんなにも冷たいのに、真実を知っても変わらず優しいままで居てくれる潤に詫びたい気持ちが勝って、きっと帰れなかったのだ。 「あ、あの、天くん、……ぎゅってしていい? だめ?」 「…………いい、いいよ。 でもあんま力入れないで。 さっき、痛かった……」 「それはごめん……っ」  ───愛おしかった。 可愛い、と思った。  玄関先で潤を待っていた天の姿を想像するだけで、何だか胸がいっぱいだった。

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