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はじめての巣作り4
予定日の何日か前から、天は自身の変調に気付いていた。
離れて暮らしているためいつも恋焦がれてはいたが、その時はとにかく潤に会いたくてたまらなかったのだ。
離れていても寂しくないよう、未だ朝と晩に欠かさず聞かせてくれる潤の声に、悲しくもないのに涙が溢れた。
出勤中も、職務にあたっている最中も、帰宅後一人で煎餅布団に横になっている時も、何なら寝ている時でさえ性器と後孔が疼いてしょうがなかった。
「──潤くん、……俺ヤバイかも……」
『え? ヤバイって何? どうしたの?』
「いや、あの、……実は……」
発情期に入る前日。
夜恒例の〝おやすみ〟コールを掛けてくれた潤に、天はいよいよ我慢出来ずに打ち明けた。
明日から発情期に入る予定だけれど、何日も前からその兆候が見られている事。
潤の声を聞くと泣きたくもないのに涙が出てきて、悶々としながら浅い眠りにつく事。
天宅にある潤の衣類に染み付いた彼のフェロモンが消えてしまい、猛烈な寂しさを感じている事……。
『え……天くん、それはヤバイね』
「うん、ヤバイ」
切々と、だが心配かけまいと平静を装って打ち明けている最中も、どんどんと息苦しさが増していく。
とにかく会いたい。体の疼きを止めてほしい。ぎゅっと強く抱き締めてほしい。
電話越しの潤の声が、ひどく遠くに聞こえた。
抑制剤なら、きちんと手元に七日分ある。今すぐに飲み始めれば、多少なりともこの体内のざわつきは治まるはずなのだ。
『天くん、抑制剤……どうするの?』
「どうしよう……どうしたらいい?」
『これから、発情期は僕に何とかしてほしいって言ってたよね。そのために二人で首輪も選んだし、……』
「うん……」
『でも天くんの気持ち次第だよ。どうしたい?』
「潤くんがイヤじゃなかったら、その……その……」
『分かった。今すぐ行く』
「えっ」
『待っててね』
潤はバイト帰りだった。しかしわざわざ遠回りとなる天の自宅まで迎えに来てくれ、すぐに支度を促されるや彼の離れ家に連れ込まれた。
α専用のコンドームと、天のために誂えた首輪が潤の自宅にあったからだ。
「天くん、ほんとにいいの?」
「うん……だって抑制剤、家に置いてきちゃった……」
「天くん……っ」
潤にすべてを託してみたいという天の決意は、それに表れていた。
潤を待つ間、風呂を済ませた。いつもより念入りに隅々まで洗った。もちろん後孔に中指を入れ、自分なりにかき回して洗ってもみた。
その後、天は緊張しながら豊に一週間欠勤の連絡を入れた。「生々しくてドキドキする」と揶揄われはしたが、欠勤に関しては快くOKをもらえてホッとした。
Ω性である天が性別を偽っていた事を詫びて以来、社内は性への偏見が和らぎつつある。そうまでしなくては就職さえ困難である男性のΩについての同情が集まり、同性の者らからは「よくぞ言ってくれた」と天はヒーロー扱いされていた。
元々仕事に関しては、期待された以上の成果を上げている。性別が理由で結果に差が出るなどとは古い考えで、そんなものは問題ではないと天自らが約三年の働きで証明した。
そう。天は、母からの厚意を新居で頂く事にしたのだ。潤が天を迎えに来たのも、その新しい住まいの方である。
発情期を迎えるにあたり、心配事は一つも無かった。
ただただ、潤が恋しくて恋しくてたまらない。
そばに居ても、抱き締められていても鎮まらないこのざわつきこそが、発情期というものなのだろう。
発情期を舐めていた天は、潤さえそばに居てくれれば何とか乗り切れそうだと安易に思っていた。
「仕事は? 休めた?」
「うん。時任さんに連絡したら、大丈夫だって」
「それは良かった……って、変な感じ。僕も〝時任さん〟なんだけど」
「あはっ、ほんとだ。でも潤くんは潤くんだよ」
上司である時任 豊と、天の恋人である時任 潤は、歳の離れた兄弟だ。
潤は天との運命を感じてくれていて、天も同様にたくさんの〝しるし〟からそう信じて疑わないが、接点の多い天と豊の仲に嫉妬する潤は意外に子どもっぽい。
彼らがあまりにも似ていないので、たまに兄弟だという事を忘れてしまう。抱き締められて安堵した天は、潤の腕の中でのんきにクスクスと笑っていた。
「うん……。天くん、そんないい匂いプンプンさせて、どういうつもりなのかな? 発情期って正確には明日からなんじゃないの?」
「えっ?」
潤が目の前にいる安心感により、いつの間にか天のうなじからふわふわと甘い香りを放ち始めていた。
無自覚に漂わせているフェロモンが、潤の眉間に皺を生む。瞳を覗き込まれたその瞬間、天は硬直した。
「あ、……っ!?」
「うわ、……もう……天くんっ」
胸をざわつかせていた何かが、脳天を突き抜けた。その衝撃は二人の全身に迸り、突如として本能を開花させる。
「天くん、早いってば……っ」
「そんなこと言われても……! あっ、潤くん……! うっ……俺なんか、泣きそう……っ」
天は膝から崩れ落ちそうになり、唐突に放たれた発情フェロモンを間近で浴びた潤は立ちくらみがした。
潤に抱かれ、天はベッドに横たえられる。そして直ちに首輪を嵌められた。
「これでいいのかな、ちゃんと嵌ってる? 噛んで取れちゃったりしないよねっ?」
「そんなの、どうでもいいから……っ! 潤くん、早くぅ……っ」
「ちょっと待って、僕にも心の準備ってものが……!」
目を細め、潤は理性と戦いながら何度も首輪の調整をしていた。
我を忘れてうなじを噛んでしまう自分が怖いと、彼は常々セックス後に天に土下座をする。発情期でなければ大丈夫だと何度も言い聞かせている天に、その倍は謝ってくる。
ただし今回は、〝噛んじゃった〟では済まない。潤は何度も何度も、フェロモン漂う天の体をコロコロ転がし、万一にも首輪が外れないかどうかを確かめた。
瞬間的に襲ってきた性欲に支配された天には、潤の生真面目さが歯痒くてたまらない。
何をグズグズしてるんだ! と、一向に衣服を脱がせてこない潤に怒鳴ってしまいそうだった。
「潤くん……、潤くん……っ、匂い、ちょうだい! 足りないよ……っ、潤くんの匂い、足りない……!」
「待ってってば! あっ、そんなエッチな顔して僕のこと見ないで! 天くん、ちょっとでいいから目瞑ってて!」
「なんで!? 潤くんのこと見てちゃいけないの!? こんなに好きなのにっ? 俺……っ、潤くんのこと大好きなのに……っ?」
「照れちゃうから言ってるの! ただでさえもう頭の中空っぽなんだよ! こんなに強い匂い、僕は知らないから……っ」
「潤くん……っっ」
ドクン、ドクン、と潤の胸を打つ鼓動が、聞こえてくるようだった。
彼らしい正直な言葉が愛おしくて、本当に照れて顔を背けた横顔も愛おしくて、天を傷付けまいと発情フェロモンに必死で抗おうとする姿勢も愛おしくて、……我慢の限界に達した天は自らキスをして恋人を煽った。
ただし根本的な事を忘れていたがために、天は丸二日の間ベッドの上に軟禁される羽目になったのだ。
潤は、どんなにそれらしくなくとも、カースト上位のα性なのである。
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