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第2話嫌いになれない

 そうして、初めて体を繋げたあの日から数年が過ぎた。匠たちの関係は、変わらずあの時の交わりも無かったかのような、あの時のまま幼馴染で。  匠は普通のサラリーマンとして、誠実はどこかの製薬会社に入った。  まぁ、頭の出来は流石アルファだけあって、良かったから当然かもしれないが。  それでも、最大手の製薬会社に余裕で合格してしまえるほどなのは若干じゃないぐらい腹が立つけれど。  あの日から、番を新たに持つこともせず、勉強し、実験している誠実は、どこか昔の面影も感じられて、匠は泣きそうになる。  もう直ぐ、自分が必要でなくなる時が来るのではないか、と。  その時に、ちゃんと誠実を祝福してやれるのか、と。  製薬会社に勤めるようになってから、誠実は週に一度は匠の住んでいるアパートへ顔を出すようになった。  その日も、誠実は匠の部屋へとやって来ていて、勝手知ったると言ったようにリビングでくつろいでいる。 「それで、今度は何の薬だ?」  時折差し出される薬袋に、またか、と匠はため息を吐いた。  時々、誠実は匠の元へと自分の開発した薬を持ってくる。 「毎度言ってるでしょ?正確なデータが欲しいから教えられないって」  その試作品のテスターに毎度なっている。怪しくはあるものの、誠実が自分を殺したりするような薬を作るはずはない。  だから、体に入れても害は無いと分かっているのに、それでも怪しいと思えるのは、単に誠実だからだろう。  それでも、飲んでしまうのは、誠実を信頼しているから。  とりあえず、一か月。と受け取った薬に、眉間にしわが寄る。  これまでの薬は、多くて1週間程度。少なくても1日2日で、副作用というかアレルギーテストというか、そんな感じだったから受け取りやすかった。  一か月分なんて渡された事は無かった。  多くないか?と誠実に言えば、この薬は効果が確認できるまでしばらくかかるのだと言う。  ため息を吐けば、まぁまぁ、飲んでみてよ、と笑って言われた。  忙しいのか、ココでくつろいでいたのはどういう了見だ、と問いただしたくなるぐらい、薬を手渡すと誠実はじゃあ、一か月後に、と部屋を出て行ってしまう。  せめて飯くらい食ってけば良いのに、と匠は思いながらそれを見送った。いつもなら、夕飯もしっかり食って、泊っていくことすらあるから、少し……寂しくも感じて。  その薬を飲み続けて、二週目が過ぎるころ。誠実は、部屋を出る時に言った通り、一か月後、と言うだけあってこの二週間、匠の部屋へと寄ることは無かった。  信頼されているんだと思う。けれども、それとは別に寂しさを感じる。週に一度顔を合せていた幼馴染と会わなくなっただけで。  その薬を飲み始めてからちょくちょく有った事だが、体がどうしようもなくだるく、この日はとうとうベッドから起き上がる事さえ出来なかった。  急遽、有休を使い会社に連絡を入れると、匠はすぐに誠実に電話を掛る。 「なに、匠ちゃん。何かあった?」 「うごけ、ない・・・、いますぐ、来い」  呻くように言って、電源を押した。今は、携帯の画面すら見て居たくは無くて、乱暴に投げ捨てる。  側にあると、グルグルと世界が周るようで。  這い出る様にベッドから下りて、ベッドに背を預けたままため息を吐いた。座っていても、寝転がっていても、気持ち悪さと眠さは変わらずにやってくる。  起きたばかりなのに、目の前が周るのに、眠くて眠くて仕方がない。  何が、どうしてこうなっているのか理解できない。  いや、どうしてとなればそれは誠実の作った薬のせいなんだろうが、どうしてこうした作用が出ているのかちゃんと説明をしてほしい。  ……どんな理不尽な説明を聞いたところで、結局最後には許してしまうんだろうな、と思いながら匠は瞼を閉じた。 「はろー、匠ちゃん。不用心だねぇ」  気持ち悪さに瞼を閉じ、ぐったりとしている間に、眠ってしまっていたらしい。  気が付いたらベッドの上で、真上から誠実が匠の事をのぞき込むようにそこに居た。 「まさ・・・っ」  無意識に止めていた息を吸い込めば、いつもとは違う感じがしてとっさに手で顔を覆った。  まるで、絡み取られるかのような、強烈でいて、それでとても切ない匂いがする。  訝し気に匠が誠実を見ると、誠実はとても嬉しそうな顔をしていた。 「うんうん、ちゃんと作用してるみたいだね」 「作用、している?」  ということは、匠のこの症状はあの薬を飲んだ効果としては正常ということなのだろう。  一体、何の薬だ?と匠は誠実を睨みつける。  この匂いの正体すら、分からないのに。 「一か月も必要なかったね」  にっこりと笑う誠実に、訳が分からない、と匠は口を開きかけたが、それより先に誠実が話し出す。 「ずっと、俺が会社に入って製品開発部に所属してからずっとだ。そして、ようやく完成したんだ」  これ、と薬のヒートをプラプラと掲げた誠実。  一日一回と書いてあった十錠の、匠が飲んでいた薬。  にやり、と笑っている誠実に、何と帰していいのか分からず、その薬をポケットへと仕舞う動作を見送った。 「誠実、俺・・・」  俺は、お前に何かしたか?と、聞こうと思ったのに、それを人差し指で遮られる。 「安心して、匠ちゃんを俺が殺そうとするはずないじゃない」  安心できないから、今この状況になっているのだが?と言いたいが、どうにもこうにも匠の言葉を誠実が素直に聞いているとは思えない。  頭は良いのに、人の話を聞かない奴だ……あえて聞いてないのは知っている。 「じゃあ、何で」 「これはね、バース性をオメガにする薬」  の、試験薬。と誠実は笑った。アルファやベータで、多少用法容量が変わってくるけど、と誠実は言う。  今さっき、成功した。と、誠実は匠を見る。その成功した事例の一人目が、匠なのだ。  薬を飲むのをやめればベータに戻ってしまうらしい、が薬の服用中にヒートに近い症状を起こし、アルファにうなじを噛まれればそのままオメガになる道をたどると。  そして、それが今の匠の状況であり、匠が寝ている間に誠実が匠の項を噛んでしまった事も、べらべらと誠実は話す。 「薬でオメガになった人に、運命は無い。だから、匠ちゃんの番は俺で、俺以外にこれから来るだろう発情期を鎮められる人間は居なくなった」  匠ちゃんは、俺から一生離れられなくなったと、とても嬉しそうに笑う誠実にくらくらと眩暈がするような感覚に陥る。  勝手に、体を弄られて、勝手にオメガにされて、勝手に番にされたのだ。  それも、匠はベータだったから運命も何もないのに、自分の都合で、誠実のオメガへと。 「あぁ、やっと手に入れた。俺の、俺だけのオメガ・・・」 「・・・どうして、俺なんだ」  やっと、絞り出すように出た声。  匠は、怒りも何もかもが通り過ぎ、ぐったりとベッドへと体を預けて言った。 「そりゃ、匠ちゃんがベータなんかで産まれてきたのがいけないんだよ」  誠実の瞳は、悲しそうにゆがみながら深くどす黒い色をしていた。  そんな目を見てしまえば、俺はあきらめるしかない。  どうしてだろう?こんな、理不尽なことをされてもなお、誠実を嫌いになれないし、見捨てる事なんて出来ないんだ。  狂気に触れている、と思わなくはない。けれど、ダメなんだ。何をしても、何をされても、誠実を放って置くことが、出来ない。  惚れた弱み、と言われればそうなのかもしれないし、違うと言われれば違うのかもしれない。  それは、匠自身にも分からない。分からないけれど、確かにそこに存在する感情と言う物があって。  割り切れない、そうなのかもしれない。 「だってもう、匠ちゃんしか居ないんだもん」  匠を抱きしめ、耳元で囁くように誠実が言う。  それ以外の返答は返ってこなくて、匠はそうか、としか返せなかった。

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