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玄関ドアを開け、リビングに足を踏み入れた時にはもう、先程までの怒りも自責も消えていた。
エレベーターの中で始終、俺の背中を撫でてくれた彼のおかげだろうか。
俺はソファに腰掛けると、ぐったりと項垂れたまま顔をあげられずにいた。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。
衝動的だったとはいえ、大人気ない自分が情けない。
純一は特別驚いた様子はなかった。ビジネスでの折衝でポーカーフェイスは慣れているとはいえ、血の繋がった弟にあんな事を言われれば誰でも動揺するに決まっている。
それなのに今はキッチンに立ち、コーヒーを淹れている。
無造作に椅子に掛けられた彼の上着をじっと見つめていると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「――これ飲んで落ち着いたら話そう。お前も……話したい事あるだろう?」
「俺は別に……」
テーブルにコーヒーカップを置きながら、彼はため息を吐いた。
「もう……そういうの、やめないか」
「やめるって……、何のことだよ」
「――俺も素直になろうって思った。お前にばっかり苦しい思いをさせてたみたいだから」
隣りに腰掛けた純一はわずかに俯くと、額に落ちたこげ茶色の髪をかき上げた。
こうやって並ぶと、俺たちが兄弟であると何人が認識出来るだろう。
昔から似ていないとは言われてきた。俺は圧倒的に母親似で、彼は年を重ねるにつれて父親に雰囲気が近づいてきた。
大手銀行の地方支店長として長年勤務してきた父。何が起きても動じることなく冷静な判断を下してきた。
純一もまた、コーヒーカップを口元に運びながら何かを考えている。
胸につかえたままの何かを押し流そうと、コーヒーを一口啜る。
毎朝、朝食の際にキッチンに用意されているものと同じ味だ。チェーン店系のカフェを好まない純一の拘りで、このコーヒー豆も専門店で買っている。
「――いつもの味」
無意識に口にした言葉に、彼が視線を向ける。
その眩いほどの黒い瞳に酷く後ろめたさを感じて、すぐに逸らした。
「よかった……。なあ、貴文」
「なに?」
「さっきのこと……なんだけど」
「あぁ……。忘れてくれていいよ。俺、どうかしてたんだ……。残業続きで疲れてたのかもな」
「俺は……かった」
「――え?」
純一を思うあまり自分の耳がついにイカれたのかと思った。
聞き間違いだったと自分に言い聞かせ、純一の方を向きながらカップを置いた。
なぜだろう……手が震えている。
カチャンと音を立てたカップにその場の空気が揺れた。
「嬉しかった……。何度も言わせるな」
「兄貴……?」
「彼女に嫉妬して……。お前にキスしてくれって言われた時、危うく飛びかかりそうになった」
「なに……言って……っ」
俺は一瞬言葉を失った。純一の口からまさかそんな――。
筋肉質な腕が俺の肩の後ろに回り、大きな手にグイッと引き寄せられる。
緊張に身を強張らせた俺を覗き込むように見つめて来た純一は、自分の薄い唇を親指で強く拭った。
「これで彼女の痕跡は消えた。今度はお前の唇で清めてくれないか?貴文……」
「なっ、何……を……っうぐ!」
言いかけた言葉を不意に唇で塞がれる。幾度となく夢見ていた純一とのキスはほろ苦いコーヒーの味がした。
乾いた唇を湿らせるようになぞる舌が何かを探るように差し込まれる。
俺が一番恐れていた”拒絶“。
今は彼が恐れているかのようだ。
戸惑いに逃げる俺の舌を絡めとるように追いかける彼の厚い舌に翻弄され、いつしか顔を上向かせて熱い息を吐き出していた。
求めて止まなかった兄とのキスは、次第に甘さを含んでいく。
ピチャ……ピチャ……。
これほど気持ちのいいキスをしたことがあっただろうか。キスだけで体が蕩けそうなほど熱くなり、奥底に仕舞われていた疼きが湧き上がってくる。
無意識に下肢に伸ばした手をやんわりと押さえつけられ、俺はもどかしさに体を捩った。
チュッと音を立てて離れていく純一の唇が愛おしくて、俺は舌を伸ばしていた。
「――今まで黙っていてすまなかった。貴文……」
「ちゃんと……言えよ」
「お前を弟としてじゃなく……愛したい」
「――さっきの女、誰?」
「俺の部下……。ちょっと協力してもらった」
「協力……って」
いきなり立ち上った純一は俺の手首を力任せに掴むと、引きずるようにして自分の寝室に向かった。
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