42 / 55
第42話 5年前 春の日 3
それでも、もう俺の体は臣兄無しじゃダメになっていた。臣兄が家に居る時はほぼ毎日セックスしてきた。
前立腺セックスを続けると、人によっては自律神経に悪影響が出るらしい。俺は正にそれだった。
精神的に不安定になって臣兄に依存していて、この人が俺の全てだとさえ思えた。
何度か臣兄の口から聞いた『塩田会計事務所』の名前。詳しいことはわからなかったけど、臣兄の退職にはそこが関係しているらしかった。きっと臣兄の不正を指摘したのが『塩田会計事務所』なんだろうと直感した。
もし不正がバレなければ、臣兄が再びクズに戻る事は無かったんじゃないか、と思った。そう考えるのは間違っているとわかってる。悪いのは臣兄だ。
でもこんなことにならなければ、何も知らなければ、俺はまだ幸せの中にいれたのに。
その一件で、臣兄は家を出ることになった。それは同時に、俺と臣兄との関係の終わりも意味していた。
俺には臣兄が必要なんだ。こんなにも好きなんだ。誰にも渡したくないんだ。わかってほしかった。
だから、望まれてもいない臣兄の復讐をしようと思った。犯罪者になってもいい。ずっと臣兄の心にいたいんだ。
そうして俺は『塩田会計事務所』へ。
ドアの鍵は以外にも簡単に壊せた。だけどすぐに警報が鳴る。何かを盗もうだとか思ってない。ただ、どこへもいけない自分の想いをぶつけるように事務所を荒らしすぐにその場を去った。
短時間の犯行でろくに物も壊せなかった為か、高校の制服を着て防犯カメラにも映っていたはずなのに、俺の元に警察が来ることは無かった。
そんな中、同じ高校の女子達の間で話題になっていた他校生の『蓮』が塩田会計事務所の息子だと、すぐに知ることになる。『蓮』の周りでは女がよくトラブルを起こすらしい。
それを聞いて俺は、臣兄の為にとやった事が会ったこともない『蓮』絡みのトラブルと勘違いされたんだと思った。だから敢えて警察に突き出さないんだと。
俺の思うように事が運ばなかった。ガキの浅知恵なんてそんなもんだ。けど、悔しかった。
臣兄が家を出て1ヶ月。居場所もわからないままで、俺は臣兄と会えない事が不安で堪らなくなっていた。
それに引き換え一度意識してしまった『蓮』の情報は嫌でも耳に入って来る。
どんな奴かと気になって、同じクラスの女子達と一緒にそいつの高校の近くまで行ってみる。
放課後、何人かの女子を引き連れて校門から出てくるパッと見 軽そうなユルそうな男。
「あれが蓮くんだよ~! カッコイイしお近付きになりたいけど、他校じゃハードル高いよねぇ。五十嵐、友達になってウチらに紹介してよ!」
「ははは。あんだけガッチリ包囲されてたら、いくら男でも声掛けづらいって」
勘弁しろよ、あんないけ好かない奴、友達なんて有り得ない。
俺とは系統が違うけどよく見りゃ女みたいに綺麗な顔してるくせに、女に囲まれてチヤホヤされてるなんてそれだけでムカつく。
臣兄しかいない俺とは違って、きっとヤリたい放題なんだろうな、アイツ。
しばらく蓮を見ていると、どうやら、帰りたいのに取り巻きの女子に帰らせてもらえず困っている様子。
が、後から来た長身でガタイのいい女子に腕を引かれて、取り巻きたちを残しようやく帰って行った。
「あーん。モテる上にあんなのが彼女とか。ウチら別の意味で勝ち目なくない? でも蓮くんカッコイイ♡せめて知り合いになりたい~」
蓮の様子を一緒に見ていた女子たちは溜息を吐く。
は・・・なんだよアイツ、自分よりゴツイプロレスラーみてえなのと付き合ってるとか。なんか拍子抜け。あれだったら俺の方が何倍も可愛い。
蓮に対して理不尽にムカつくのは変わらないけど、なんだか残念な奴なのかも、と思ったら少しだけ親近感が湧いた。
同クラの女子たちと別れ、普段利用しない駅から電車で帰ろうとしていた俺は、聞き覚えのある声に辺りを見渡す。
視界に入ったのは、1ヶ月ぶりに見る愛しい実の兄だ。
俺は何も考えられず臣兄の元へと走る。
「臣兄!」
「あ・・・? ああ、佳廉」
「この近くに住んでるの? 一人で? ねえ俺、臣兄がいないと・・・」
チッ、と不機嫌な舌打ちに俺は言葉を飲み込む。
我に返って兄の横を見れば、派手な身なりの割には大人しそうな女の人がいる。
嫌な予感がした。
「悪い、弟なんだ。先行ってて」
うん、と言って女性は一人で歩いて行く。
「臣兄、元気だった?」
「まあ普通」
続かない会話。男兄弟なんて、久しぶりに会ったところで話題が無い。
でも、俺と臣兄は兄弟以上の関係なんだから、もっと・・・
「佳廉、お前ちょっと見ない間にデカくなったな」
「え、うん。2年になってからだいぶ身長も伸びたし、でも臣兄が出てってからは2センチくらいしか」
「そっか。家にいた時は気付かなかったけど、お前もうどっから見ても男だったんだな」
「え・・・?」
「まあアレだ。顔だけは可愛いしそういうの好きな奴もいっから、お前なら上手いこと遊べるよ」
「どう、いう意味・・・俺、臣兄以外とは・・・」
「はあ!? 冗談だろ俺たち、兄弟だぞ? あんなんお前の世話してやってたみてぇなもんだろ。ここまで成長して可愛くねえお前の世話とかもうできねーよ」
臣兄は悪気なんか一欠片も無い笑顔で、別れの挨拶も無しで俺に背を向ける。
どうして、なんで・・・可愛いとあれだけ言ってくれた。あんなにたくさん抱き合ったのに、どうして。
俺の背が伸びてしまったから?
体が逞しくなってしまったから?
女に見えない俺はもういらない?
思い返せば、キスも優しい愛撫も一度も無かった。「好き」だと言われた事すら。
ああそうか、もういらないんじゃない。
最初から臣兄にとって俺は必要じゃなかったんだ。
離れていく背中に縋ることも、手を伸ばすこともできなかった。俺は「捨てられた」んじゃない。だって臣兄のものになった事なんて、無かったんだから。
それでも好きだ。大好きになってしまった臣兄を憎いなんて思いたくなかった。
俺の憎しみの矛先は、関係の無い蓮へと向くようになる。誰でもよかったのかもしれない、ただ、兄の代わりに誰かを憎いと思いたかっただけだ。
臣兄と体の関係が終わっても、一度覚えてしまった快楽から抜け出せなくて、俺はゲイ専門の掲示板を利用して複数の男と関係を持つようになった。
こいつらを使って、無理矢理でも蓮を犯してもらおうか、なんて考えたりもした。女に囲まれてヘラヘラしてるイケメンを雌落ちさせたら面白いかも。最低なことだってわかってる。まずは蓮に近付いて・・・
と思ったが、簡単じゃなかった。
あいつ、隙が無い。というか、取り巻きの女たちとゴツイ彼女のガードっぷりが予想以上で声をかけることすら容易じゃない。
蓮を追い掛けて同じ大学に進学するほどの長期戦になった。
大学にはあのゴツイ彼女はいない。チャンスと思ったが、新たな取り巻き連中がすぐに蓮を囲む。
なんなのあいつ。異常なまでに惹き寄せる体質なの? 才能? ほんとムカつく。
でも、蓮をずっと見てきてわかったことがある。いつも女に囲まれて笑ってんのに、あいつの笑顔はハンコを押したようにいつも同じだ。
俺は薄らだけど直感する。
蓮は根本的に女が好きじゃない。
もしそうだったらと思うと、何故か心が踊った。
けど貼り付けたような笑顔だけじゃ立証できない。
同じゼミにも入ったけど個人課題ばっかで授業は少ないし、ゼミ飲みに参加しない蓮とは距離が縮まらない。それどころか、俺自身も周りとの付き合いが多くなって更に近付けないまま1年が過ぎた。
そして大学2年目の夏。
初めて蓮がゼミ飲み会に参加した。夏休みで何人かのゼミ生が帰省していて参加者は少ない。取り巻きもいなくて、蓮に近付ける絶好のチャンスがやって来た。
背後から声をかけようとして、蓮の項にキスマークを見つける。
俺の直感は真実味を帯びる。こんな所にキスマークがあるなんて、バックで掘られてなきゃそうそう有り得ない。でもあの彼女なら羽交い締めとかされて有り得るかな? とりあえず、一か八かで聞いてみよう。
「塩田って、男好きでしょ?」
「い、いや?」
誤魔化す蓮の泳いだ目で確信した。
俺と同じだ、と。
蓮には既に、奏汰という恋人がいた。相思相愛。心底羨ましいと思った。
蓮と奏汰、どっちかを貶めてやろうと思った。どっちにしろ蓮がダメージを受けるなら、なんでもいい。
でも蓮と付き合いをするようになって、男しか好きになれなくてもこんな風に幸せになれるんだ、と思うようになって。
臣兄の代わりに憎しみをぶつけようとしていた相手は、俺に少しの希望をくれた。
──────そして今、されるがまま俺の腕の中に収まる蓮が可愛い。
もしかしたらずっと前から、俺は蓮に助けられていたのかもしれない。こいつを理不尽に憎むことで、臣兄を恨まずに済んだ。
結婚の話を聞いてショックだったのは確かだ。今でも臣兄以上に好きになれる誰かが現れるとは思えない。
だけど、こんな気持ちになった事は今まで無い。
男に抱かれたいと思うより、抱きたいと思ったのは初めてなんだ。
なのに、手が出せない。蓮を傷付けたくない。
臣兄を想っていたのと似ているようで違う。もっとあったかくて、胸が締め付けられるような苦しさがある。この感情をなんて言うか、俺は知らない。
俺はきっと、憎む相手を間違えたんだ。
いや、やっぱり蓮で良かった。
『人生楽しく』なんて本当の自分を偽って来たけど、蓮の傍にいたら不思議だけど本当にそう思える気がする。
やっぱり蓮には、何か特別な才能があるのかもしれない。
ともだちにシェアしよう!