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第7話 疼く傷 壱

結婚で失敗して、EDになった。 独り身になってから付き合った女もいたが、まったく勃たなかった。 風俗にも行ってみた。 病院にも行ってみた。 何をしても変わらなかった。 親友に相談したところ、とんでもないことを聞かれた。 「男は、いけるクチ?」 それをお前が聞くか。しらけた顔を作って答えた。 「は?」 「だから、男。お前どっちもいけると思ってたけど」 「俺のことそんなふうに思ってたのかよ」 「いや~…そんな噂きいたことあったからさ」 誰だよ、そんな余計なことほざいてた奴は……それも、こいつの耳に入るとか、最悪だ。 親友は悪びれない笑顔で、引き続きとんでもないことを言った。 「会社の上司にきいたんだけどさ。すごいところがあるらしいよ?」 すごいってなんだよ、と言いながら親友のくれたメモを受け取った。 しわしわのメモ紙には、「臥待月」という名前と、仲介人の電話番号だけが走り書きされていた。 「基本的に、頼めばなんでも要望に答えてくれるらしいよ。もちろん高いけど」 「風俗なんだからそりゃそうだろ…高いのは他になんか付加価値があるってことか?」 「いや、それがさ…本番だろうと、SMだろうと、マジでなんでもやってくれるんだって。…男がね」 「…ウリ専ってことだろ」 「業種としては間違いではないけど…料金が馬鹿高い理由がそこにはあるとか何とか、上司は言ってたぞ」 「何だよその曖昧な情報」 「いいじゃん、ものは試しでさ。それでED克服できたらラッキーだろ?金はあるんだからさ、社長」 そう、金はある。 有り余るほどに。 だから女は次々寄ってくる。 でも誰も、俺を見ていない。 たぶん俺を昔から変わらない視線で見てくれるのは、この親友だけ。 その親友に邪な想いを抱いて早や20年。 勃たなくなったことを打ち明けて、まさかゲイ風俗を紹介されるとは思わなかった。ゲイだなんてひとことも言ったことがないのに。 治ったら、俺たちの関係は何か変わるのか?と聞きたい気持ちを押し殺す。興味のないふりをして、俺はメモをひらひらとたなびかせた。 「ま、お前がせっかく教えてくれたから、そのうち行ってみるよ」 「おー、行ったら感想教えろや」 簡単に言いやがって。 それで治った俺が実はゴリゴリのゲイだったのを20年隠してノンケ気取ってました、って言ったらどうすんだよ、お前。 雨がひどい夜だった。 仲介人に言われたとおり、時計は外してきた。 そもそも仲介人ってやつに電話してから、受付が受理されるまでに一週間かかった。何でそんなにもったいぶられるのか知らないが、部下に聞くところによると、俺の素性を調べている奴がちょろちょろしていたらしい。 素性を調べられたところで、たいした埃は出てこないだろう。 俺は車を降り、運転手に今夜は迎えはいらないと告げた。 持ったこともない、和風の傘。今日選んだスーツには不似合いだが仕方ない。 傘を開いて、少し先の豪華な門の前に歩いていく。 小さな灯りが灯っていた。予約してあるのだから当然だと思うのだが、話によると、赴いても灯りがついてなければ、お帰りくださいと言う意味だそうだ。 格子戸を開けると、石畳の通路がある。その先に本屋敷の入り口が見えた。 入り口の脇に、大きな桜の樹が立っている。そのしたに、人影があった。 海老茶色の地に山吹色の小花が散りばめられた着物に、同じく山吹色の帯を腰の低いところで締めた、和傘をさした女性が立っていた。 長い髪を耳の下でひとつに結び、肩の前に垂らしていた。 女性の従業員もいるのか。受付嬢としては、驚くほど美しい。 彼女は俺に向かってにっこり笑った。 「お待ちしておりました」 声が低い。優しげな京なまり。 俺は不躾にじっと見つめた。 そういえば、女性の帯の締めかたじゃない。体つきは細いがよく見れば肩幅もあるし、胸も薄い。近づくと、思っていたよりも背も高い。 「日比野さまでございますね。ようこそ臥待月へ」 男にしては線の細い彼は、屋敷の格子戸を片手で開け、俺を中へと誘ってくれた。 驚きを隠して言われるままに屋敷に入ると、玄関のたたきを上がったところに、三つ指をついて正座する人物がいた。 今度は男だと分かった。 桜のしたの彼よりも体格が大きく、薄灰色の着物に江戸紫の帯を締めている。前下がりの前髪は今どきの若者風だが、俺に向かって発した言葉は、礼儀正しく丁寧だった。 「お部屋にご案内させていただきます。陽(あき)とお呼びください」 陽というその青年は、見たところ20代前半だろう。桜の樹の青年は、陽よりも少し年上だろうか。この青年も、目を見張るほどの綺麗な顔立ちをしていた。 外からは分からなかった広さの屋敷には、長い回廊があった。 通されたのは、日本家屋の中にあるとは思えない、豪奢な洋室だった。 天蓋つきのベッドが真ん中に備え付けられ、その奥にガラス張りのバスルーム。金の猫足のバスタブから白い湯気が上がっているところを見ると、すでに湯が張ってあるらしい。 「こちらのお部屋を準備させていただきましたが、座敷の方がお好みでしたら、そちらもご用意できます」 陽は、部屋を見渡す俺に、穏やかに言った。 柔らかな物腰が心地よかった。そういうことをしに来たことを忘れさせてくれる。 「いや、ここでいいよ。君が俺の相手?」 我ながらムードのない人間だと思うが、本来の目的が目的だけに、そっけない言い方をしてしまった。 ばさりと脱いだジャケットを、陽はさりげなく後ろに回り自然な動きで受け取った。 「はい。もしよろしければ、その前に湯をお使いになられませんか」 陽は、バスタブを手で示した。 驚いた。 いつのまにか、桜の樹の青年が、バスタブの傍らに立っていた。 それも、薄い肌襦袢一枚だけの姿で。

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